ブログネタ:○○がないと生きていけない
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最近、なんだか胸のすっとなる様な事がなく重い気持ちでいました。
それをスカッとさせてくれたのが芥川賞作家の言葉、お互い芥川賞同士の言葉のやり取りは胸の閊えが取れたような気持ちになったのです。
皮肉や嫌みもただ相手を傷つける為のものなら簡単でしょうが、何ともユーモアを交えた応酬は周囲のほくそ笑みを誘うほどでした。
ばかみたいな作品ばっかりだよ! 自分の人生を反映したリアリティーがないね。
昭和30年太陽の季節で芥川賞をとった。この作品にどれ程の人生を反映したリアリティーがあったのでしょう。
恋人交換、殺人、若い男女のヨットの場面などに石原自身の人生を反映したリアリティーがあったのでしょうか?
人殺しの場面でリアリティーを持つのなら殺人者でなければ演じられないとでも言うのでしょうか?
若手俳優がなぐられる演技が上手く出来ないのでそのまま殴ってください。といった所、俳優は殴られていなくても殴られるのを演じるのが仕事だとたしなめた俳優がいたそうです。
作家も同じかもしれません。
殺人現場を見た事もないのに殺人現場を言葉で表現しなくてはなりません。
文学は、誰もが同じ評価をする必要はないと思います。
誰もが、素晴らしいと称賛されるような物は児童文学で良いのです。
多くの批判や絶賛の中に文学があると思うのです。
しかし、受賞してそれを審査員が貶す事をしてはならないと思うのです。
4回も落っことされたあとですから、ここらで断ってやるのが礼儀といえば礼儀ですが、わたしは礼儀を知らないので! もし『断った』って聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら、都政が混乱しますので・・・・
物書きなら誰しも欲しい2大タイトルの一つを何を言われようと満面の微笑で受け取る者も多い中、私はこういう様な偏屈さが大好きなのです。
素直じゃないと思われがちですが、これほど素直な心はないと思うのです。
私も偏屈な人間としてなんとなく分かるような気がするのです。
私の偏屈翻訳によると・・・・・・(私なりの脚色が入っている事をご了承ください。)
4回も落とされやっとの思いで受賞をしたと思えば、あのようなバカみたいな作品ばかりと貶され
ふざけんなといって賞を辞退したいと思う気持ちもあるのだけども、なんとバカにされてもその賞は欲しい。
権威に媚びていると思われてもいただきたい。
もし断ればカッコいいのでしょう。そうすると芥川賞作家として威張っている石原さんが自分の権威を傷つけられたと思い倒れ、都政が混乱する事でしょう。
大体私ならもっと際どく刺すような直球になることでしょう。
上手くエスプリやユーモア、皮肉などを上手くちりばめた言葉だったのではないでしょか?
石原さんにしても生々しすぎる性描写だなどと批判を受けての受賞なのですから、批判は認められているという事かもしれません。
しかし、年々・・・・直木賞受賞作品、芥川賞受賞作品などの帯が付き買ってみるのだが憂う気持ちも解るのです。これが・・・・って思わせる物も少なくないのです。
該当者なしって言うのが結構あったような気がするのだが、読者が離れるのを恐れて乱発している傾向にある様な気がするのも事実なのです。
文学が利益優先の商売に傾いてはいけないのです。
しかし、ばかみたいな作品ばっかりだよ! は、受賞者がない時に言うのならまだしも、受賞者があってそれをバカみたいな作品というのは、芥川賞を愚弄しているのではないでしょうか?
それならば、石原さん自体が何十年か前の受賞を取り下げてくれというのが筋ではないでしょうか?
こんなバカみたいな作品が受賞する様な賞を持っているのは私の美徳に反すると言って返還する事の方が良いと思うのです。
何事も物事を荒立てないようにするよりも何か問題を投げかける。
わさびの様に引き立てるには何か鼻から抜けるような、油断してたらとんでもない様になるぞというような刺激が必要な気がします。
これからの田中慎弥さんの活躍に目が離せない気がします。
石原さんのように批判されそれを跳ね返しての受賞なのですから・・・・・・
私は、空虚の優しい言葉をかけるより刺激的な言葉でそれだけでは毒にも思える物がその人の為になるのならかえって良いと思うんだけど・・・・・
うちの母に対しても、空虚な優しい言葉をかけているように思います。
『風邪引かんようにね。寒い時には何もせずにベッドに潜り込んでいて・・・・・』
こんな空虚な言葉より、足腰を動かさないと寝たきりになるよ!毎日、少しでもいいから歩く目標を持たないと!
などと厳しい言葉が必要なのかもしれません。
大量のわさびは、困りものですが、生活にわさびの様な刺激がないととてもつまらない物になってしまうように思います。
私もわさびを吐く人間として、石原さんには芥川賞を辞退する!と言ってほしいものです。