安全な食品を作る人の気持ちが分かります | マスコミに取材される方法

マスコミに取材される方法

新聞社とTV局に21年。PR会社に1年。その経験でプレスリリースの発信とマスコミ登場をサポートします。



私は学生時代、築地で働いていました。
魚河岸です。
正式名称は東京都中央卸売市場です。



魚を売りたいと言った元新聞記者

その築地の魚河岸で「仲買い人」をしていました。
元新聞記者で、元築地の仲買人。
たぶん、私だけでしょうね。
当時の写真があったのですが…。
見当たらないのです。

仲買人は、市場内の店舗で働き、料理店や寿司店などに魚介類を売る仕事です。
3年半で働いた店は3軒。
好んで店を変えたわけではありません。

1軒目は上物屋(じょうものや)と言われるジャンルの老舗でした。
相撲茶屋や高級寿司店がお客さんでした。
そこで配達係をしていましたが、私は魚を売ってみたくなって、旦那に聞きました。
配達係を軽子(かるこ)と呼ぶんです。
ある日、旦那に「売り子(販売人)にさせてください」って言いました。

そうしたら旦那が激怒して。「バカ野郎。軽子は一生、軽子だ」って。
そうか…一生、軽子ってのは…今は嫌だな。
そう思って、売り子を募集している店を探したのです。

冬でもノースリーブです

ある店が募集していると聞き、そこで働きました。
売り子として、セリ場にも行くようになりました。
その店に高校を卒業した若旦那が入ってきて。
私が指導係に指名されました。

3カ月経ったら旦那から呼ばれて「お前はもう要らない」。
若旦那がある程度、使えそうになったので人員整理だったのでしょう。
その翌週から、斜め前の店で売り子として働きました。
こういうことが築地では時々、あるのです。
翌週から目の前の店で働く。
大リーグで移籍するような…レベルが違いますね。
あまり、移籍することに躊躇しません。
そこが「活魚専門店」だったのです。いい勉強をさせてもらいました。

朝早く、起きました。
だいたい午前4時です。
バイクを走らせ築地の市場到着が5時すこし前。
そこからある程度、店を整えてセリ場に行きました。
冬でもノースリーブのシャツです。
だって、生け簀に手を突っ込む訳ですから。

天然物しか食べませんでした

その活魚専門店で時々、旦那の家で宴会をしました。
その時、我々が宴会のために用意する魚介類はどういったものか。
ヒントは「体の安全」です。

天然のヒラメ、タラ、ブリ、赤貝、アワビなどを持っていきます。
養殖の魚は絶対、持っていきませんし、普段も食べません。
なぜなら、養殖の魚は生け簀で育てられ、配合した餌を与えられますから。
自然の環境ではありえない病気にもなります。
その病気を発生させないように、餌に「抗生物質」を混ぜています。

つまり、築地の人間は「売れるから養殖物を売る」だけで、自らは食べないのです。
養殖で持っていくのはホタテぐらいですね。
ホタテは吊るしていますから。
タイやハマチと違って抗生物質とは無縁です。

話が長くなりました。
つまり、私は若い時から食品に対して厳しい目を持っていたのです。
今でもそうです。刺身で養殖物は食べません。分かりますから。

食品は「体を作る」大事なものです。
アレルギーも心配ですね。私にはアレルギーはありませんが。
甥っ子がアレルギーなので気を使います。




クリスマスです。アイスケーキです。

こうした中で、みんなに安心して食べてもらえるデザートって何だろう?
そう真剣に考えた人がいて、同じようにアレルギーに悩む人たちに受けています。
この考え方、マスコミに取り上げられますね。
多くの人のために、「今はこういう時代だから」と、真剣に商品開発したのですから。

この方、コンサルタントがとても有名になりましたが、
基本はアイスクリーム屋さんです。
安心して食べられるアイスクリームをどうしたら売ることができるのか?
それをとことん考えて、アメブロで発信していって、今のスタイルになった。
そう聞いています。

私はいつもこう考えています。
何かを行う時に最低でも5世代後のことを考えて決断する。
10世代後、20世代後でも通用するなら最高です。
ですから、この方の考え方に共感します。

そうそう。
北海道は冬でもアイスクリームを食べます。
私が初めてアイスのクリスマスケーキを食べたのが小学校中学年の時。
感動しました。
この方のクリスマス・アイスケーキはさらに感動するのでしょうね。
甥っ子の笑顔を見るために注文しました。


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メディアコンサルタント 荒川岳志