気功ゼミの1回目の会合が終わった
ゼミ生の話を聞きながら、昔のことを思い出していた
昔といっても限定されている
2年前に死んだ祖父のことだ
僕の祖父は地元の高校で校長までやった人で、近所には彼の教え子が多くいたし、僕が小学生に上がる頃の校長先生は祖父の後輩だった
高校の現代文・古文の教師の仲人を務めたのも祖父だった
年長の教師に会うたびに「先生は元気か?」とよく聞かれた
先生とは当然祖父のことだ
また祖父は引退した後も自分で俳句の会なんかを主催して、近所の人を指導したりしていた
幼い僕は、社会とか働くとかよくわからなかったので、そんな祖父を通じてその手触りを掴んでいたのかもしれない
今では僕も気功の「森野先生」だ
何の因果か、昔は祖父のことを指していた「森野先生」という言葉が、今は僕の存在を名指す
正直、人に何かを教えたり、指導する職業につくとは思っていなかった
自分のことを棚に上げて人様を教導できると思い込んでる人を憎んできたし、今でも嫌いだ
だから自分はそういう人間にならないつもりだった
だけど結局、人に気功を教えることを生業とする人間になっていた
自分が完全無欠で、できないことが何もないかというと嘘になる
日々壁にぶつかっているし、それを本当に超えていけるかどうか冷や汗を流しながら悩んでいる
そんな人間が人様にものを教える資格はあるのと思い悩むこともあった
しかしそのような人間にしか果たせない他者への機能もあると知ったし、もうないものなだりはしない
気功の先生なら、その先生としての機能を果たそうと思う
そんなことを気功ゼミの会合の帰りに思った