ご無沙汰しております。6期の宮野です。
私からは17日の午前について報告致します。
17日の午前には、カンファレンスのテーマ''Technology and Social Justice’’に関するディスカッションを行いました。
日本において''Technology and Social Justice''について考えるとしたら、2011年3月に起きた福島第一原発事故の問題を扱いたい。-この思いは、多くのメンバーが初期から抱いていたものでした。
日本社会が改めて''Technology and Social Justice''について考えた大きな契機であり、今の日本についてハーバード生に知ってもらうためであると同時に、この本質的にはユニバーサルな問題をアメリカの学生がどう考えるかを知りたかったからです。
私たちは今回、院生の方々のご指導を頂きながら、自分たちでディスカッションセッションをセッティングしました。
原発事故については世代間倫理、地域間格差など様々な論点がありますが、今回私たちは情報格差の問題に焦点を当てました。
「社会的正義実現のために、科学の情報をどうコミュニケートしていくべきか」という問いに基づいたグループディスカッションです。
具体的には、第一部で政府・専門家の立場からそれぞれRPG(ロールプレイイングゲーム)を行い情報格差が生じるしくみの理解に努め、第二部では市民の立場から、今後どのように科学の情報と接するべきか各グループで自由にディスカッションしました。
私たちの作成した資料で実際にはどのようなディスカッションができるのか、大きな不安と共に迎えた当日でしたが、予想を上回る活発なディスカッションがなされ、実りの多い企画となりました。
第一部では、たとえば東大生の一部に「政府は情報を流すべきではあるが、パニックを避けるため情報の選択や伝達方法には気をつける必要がある」という意見が見られたのに対し、ハーバード生には「情報の透明性は絶対だ」「政府は情報を流すだけで、それを信じるか否か、どう行動するか、は市民の責任だ」といった意見が主流でした。また、専門家が情報を流すかどうかに対しては、「転職が一般的なアメリカだったら個人の判断に基づき情報を流すと思うが、なかなか転職の機会がない日本では上司の指示に背くことは難しいのではないか」といった意見も出ました。
第二部では、第一部での意見の対立をさらに深めて日米の政府・市民の役割の違いについての話し合いに発展させたグループもあれば、市民としてどのようにメディアの情報と接するかを日米のメディアについて比較しながら話し合ったグループもあり、各グループの発表を互いに興味深く聞くことが出来ました。
私自身は運営側だったのでグループディスカッションには加われなかったのですが、第一部と第二部の間に1人のハーバード生がわざわざ私のところに来て、私が作成したRPG用資料について感想・批判を言いにきてくれたのがとても心に残っています。「すばらしい!」と褒めてくれると同時に、「でもここにあがっているファクターは、情報を流すべきだという意見を誘いがちである」「そして実際、反対論拠をあげるのは難しい」などと私が乗り越えられなかった壁を指摘してくれ、さらに「ではどうしたらいいのかしら」と一緒に考えてくれる姿勢に感動しました。積極的に議論しお互いを高めようとする態度に感銘を受けただけでなく、私たちが一年近くかけて作ってきたカンファレンスをハーバード生が真剣に受け止めてくれていることが嬉しかったのです。原発企画の準備を、そして大げさですが一年間、頑張ってきてよかったと思いました。(そして時間の都合上このハーバード生と最後まで議論できなかったことはカンファレンスを通して最も大きな後悔の一つです。)
本企画に御協力頂いた教授や院生の方々、及びカンファレンスに御協賛・御後援・御協力頂いた全ての方々に改めて感謝申し上げます。
原発企画の後は大学生協に寄って各自お土産を買った後、和館に戻り、
近所のお弁当屋さんのお弁当を食べました。
次第に近づくカンファレンスの終わりをそれとなく感じながら、
自然と全員で輪になって食べたのを覚えています。
3月17日午後の報告は次の担当者から行います。
ここまで読んで頂き有難うございました。
HCAP東京大学運営委員会
6期 渉外
宮野紗由美