『養生訓』 良医には医学十年の労(巻六38) | 春月の『ちょこっと健康術』

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士庶人の子弟いとけなき者、医となるべき才あらば、早く儒書をよみ、其力を以(もって)、医書に通じ、明師にしたがひ、十年の功を用て、内経、本草以下、歴代の明医の書をよみ学問し、やうやく医道に通じ、又、十年の功を用ひて、病者に対して、病症を久しく歴見して習熟し、近代の日本の先輩の名医の療術をも考しり、病人に久しくなれて、時変を知り、日本の風土にかなひ、其術ますます精(くわ)しくなり、医学と病功と、前後凡(およそ)二十年の久きをつみなば、必(かならず)良医となり、病を治する事、験ありて、人をすくふ事多からん。


然らば、をのづから名もたかくなりて、高家、大人(たいじん)の招請あり、士庶人の敬信もあつくば、財禄を得る事多くして、一生の受用ゆたかなるべし。此如く実によくつとめて、わが身に学功そなはらば、名利を得ん事、たとへば俯して地にあるあくたを、ひろふが如く、たやすかるべし。是士庶の子弟、貧賎なる者の名利を得る好(よき)計(はかりごと)なるべし。この如くなる良工は、是国土の宝なり。公侯は、早くかかる良医をしたて給ふべし。


医となる人、もし庸医のしわざをまなび、愚俗の言を信じ、医学をせずして、俗師にしたがひ、もろこしの医書をよまず、病源と脈とをしらず、本草に通ぜず、薬性をしらず、医術にくらくして、只近世の日本の医の作れる国字の医書を、二三巻考へ、薬方の功能を少覚え、よききぬきて、我が身のかたちふるまひをかざり、辯説(べんぜつ)を巧にし、人のもてなしをつくろひ、富貴の家に、へつらひしたしみ、時の幸(さいわい)を求めて、福医のしわざを、うらやみならはば、身をおはるまで草医なるべし。


かかる草医は、医学すれば、かへつて療治に拙し、と云まはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、この如くなる卑狭なる術を行ふは云かひなし。



武士や庶民の子でも、幼ない頃から医者になれるような才能が認められたなら、早くから儒書を読ませて基礎的な学力をつけ、その学力で医書を学ばせ、名師に入門させなさい。十年間は、そこで『内経』『本草』から歴代の名医の書を読んで学問し、ようやく医道に通じたならば、さらに十年間、病人に対して病状を長期にわたって観察し、習熟する。近世日本の先輩名医の治療法も合わせて学び、病人に長く接し慣れることだ。時の変化を知り、日本の風土に適応した処置を把握する。そうなれば、医術もいよいよ精緻になる。医学と臨床と、前後合わせて二十年ほどの長い間努めれば、必ずや良医になり、病気をよく治療することができて、多くの人を救うだろう。


そうあれば、自然と名声も高くなり、地位の高い家や立派な人からも招請されて、武士や庶民からも敬愛され、信用も厚く、報酬を得ることも多くなり、生涯豊かになるだろう。このように、よく努力して、自分に学識が備われば、名誉も利益も得ることは、たとえば地上にあるゴミを拾うくらいに、容易なことである。これは武士や庶民の子弟が、貧賎から名利を得て出世するための、一つのよい計画といえる。このような立派な医者は、国家の宝である。諸侯は早くこのような良医を養成されるがよい。


医者になる人が、もしも庸医の業を学び、愚かな世間の俗言を信じて、医学をせず、俗な先生にしたがって、中国の医書をも読まず、病気の原因と脈とを知らず、さらに本草にも通じないで、薬の性も知らず、医術の知識も足りず、ただ近世日本の医者がつくった日本語の医書を二、三巻読んだだけで、薬の処方と効能を少し覚え、上等の服を着て、自分の外観や動作をもっともらしくし、弁舌を巧みにし、人のもてなしをつくろい、身分が高く金持ちな家にへつらって近づき、その時々の幸福を求めて、裕福な医者をうらやましく思い、そのまねをしていては、生涯とるに足らない医者で終わるであろう。


こうした草医は、医学をよく学ぶと、かえって医術が下手になるといいふらして、学問のある医者をののしるものだ。医者となって、天道の子として尊くありがたい万民の、きわめて重い生命をあずかって、世間に限りなく多い病気を治療するのに、このような卑劣な術をするということは、まったく語るに値しない。



「良医と俗医」「君子医と小人医」 に続くものですね。尊敬される真の意味での良医、君子医を育てるべきだと、おっしゃっています。現代日本、医学部の定員を増やすという話が出ていますが、数を増やせばいいというものではありませんね。事情があって働けずにいる医療者が働きやすい環境を整備するとか、まじめに働いている医療者が心身を壊さなくてすむようなシステムにするとか、他にもしなければいけないことがあるのではないでしょうか。


益軒先生、良医となるには学問10年、臨床10年の20年とおっしゃっています。今日本では、医学部6年、研修医2年の8年。アメリカでは、教養学部4年、医学大学院4年、インターン1年、レジデント2年かな。現代でも、名医として名をはせるお医者さんは、だいたい40代以降ですから、まぁ、似たようなものでしょうか。


『内経』(だいけい)とは、『黄帝内経』(こうていだいけい)のことで、これには『素問』と『霊枢』とがあります。『黄帝内経』は黄帝が著わしたものと言われていますが、黄帝は文字のなかった時代の人であり、実際の著者は不明です。『素問』・『霊枢』ともに、黄帝と岐伯(ぎはく)あるいは雷公(らいこう)との問答形式になっていて、長く言い伝えられたことがまとめられたのでしょう。解剖・生理・病理・自然環境の影響から、薬・鍼・灸・按摩、医学理論・医学思想などが書かれています。


『本草』(ほんぞう)とは、『神農本草經』(しんのうほんぞうきょう)のことです。これも神農が撰したものとされていますが、神農は黄帝よりも古い人ですから、やはり実際の著者は不明。365種の薬物が、薬性によって上品・中品・下品に分類されています。神農は、牛の首に人の身体を持っていたと言われ、農耕と医薬の神様として今でも崇められています。易経の六十四卦をつくったとも言われてます。


『内経』の黄帝と『本草』の神農とは、どちらも新石器時代(紀元前2000年ころ)の伝説上の人物ではありますが、医薬の祖なんです。だからこそ、益軒先生も「内経、本草以下…」と書かれているんですね。この2冊に、張仲景(ちょう・ちゅうけい)の『傷寒雑病論』を加えた3冊が、三大医学古典であり、中国における医薬の発展は、これらを元にして進んできました。いずれも書物として書かれたのは、三国志時代よりも前の後漢時代(25~225年)です。


野菜の花シリーズ。
春月の『ちょこっと健康術』-インゲン豆

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