裁く側に立って物を考えてみる | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

小沢裁判については無罪判決を書くのが裁判所としては一番楽である。
公訴事実について証明が不十分で有罪と認定するのには合理的な疑いがあり、様々な事情を総合勘案してもその合理的な疑いが払拭できないとでも書けば、それこそ一気呵成に判決文を書くことが出来る。

私自身は裁く立場に立ったことがないから、裁判官の目から小沢裁判が見えるか、裁判官の目には小沢裁判がどう映っているかを的確に指摘することが出来ない。

精々が司法修習生として裁判所で審理に立ち会い、判決書きの修習をした当時の記憶がおぼろげに残っている程度である。
もっとも、司法修習の指導担当裁判官から裁判官になるよう勧誘されたことがあったから、当時の私の感性は裁判官になっても特に違和感がないようなものであったろうと思う。
現に司法試験の勉強をしている時は裁判官になることを考えたこともある。
ということで、これから書くことは、当たらずとも遠からず、それほど間違っていはいないが当たってはいない、というものになることを予めお断りしておく。

いよいよ今日の午前10時に判決言渡しになる。
これまで小沢裁判について様々な論稿を書いてきたが、まだ裁判所の立場で書いたことはない。
判決が言い渡される前に、自分が裁判官ならどんな判決を書くだろうか、裁判官はどんな観点から判決を書くだろうかということについて私の観測を書いておく。

私自身の目がどの程度正しいか、どの程度曇っているか、客観的に頼れるか、頼れないかを検証するための試みである。
皆さんもそれぞれにされておかれたらよい。

すべての決着が着いたときに、誰が一番物が見えていたかが分かるはずである。

今日言い渡される判決は、裁判史上に残る歴史的な判決になる。

今日の判決で言及されるのは、①政治資金規正法の定める規制が何のためにあるか、すなわち政治資金規正法の法の立法趣旨、②政治資金の出し入れについての政治家の説明責任の有無及びその程度、③政治団体の代表者と会計責任者、会計事務担当者との関わりの在り方、④検察審査会の審査の在り方、⑤検察審査会の審査に対する不服申し立ての在り方、⑥検察庁特捜部における捜査の在り方、⑦事件関係者が事実の存在を否定している時の事実認定の在り方、⑧その他、指定弁護士及び弁護人の個別具体的な主張についての裁判所の判断等になるはずだ、というのが私の見立てである。

現在の日本の刑事司法制度の根源に深く関わるような重要な判断が今日の判決で示される。
結構大部な判決書になるだろうと予測している。

だから、冒頭に書いたような三下り半のような簡単な判決にはならない。
牛の涎のような、ある意味ですべてのことに目配りをした周到で精緻な判決になるだろう、というのが私の予測である。
無罪判決を言い渡す時でも、読む人が読めば限りなく黒に近い無罪判決になる。
多分、検察審査会の第1回目の議決に近いものになる、というのが私の見立てである。