ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

ギフ高地再び  より続いております。

現在地はギフ高地ヒル31南方民家・雨宿り中。

現在地ギフ高地・シーホースの戦闘記録は→アウステン山の戦闘記録
※ギフ高地・シーホースの呼称は米軍によるもので日本軍は両陣地を総称してアウステン山と呼んでおりました。

狼陣地を目指してヒル31を降っていたところで雨が横から降りはじめ堪らず民家へ避難したところ、民家の主が「レリック(戦争遺物)を見るか?」と仰るので拝見することにした。

民家のご主人が蒐集されたレリックであります。

手前三つ、左から一発の小銃弾・円筒形手榴弾・小瓶は日本軍。
奥のパイナップル形状の手榴弾と五発セットの弾丸は米軍。
左奥のドライバーは現代の物です。

米軍手榴弾三発に小銃弾十発、かたや日本軍手榴弾一発小銃弾一発。
ご主人が同じ条件で蒐集されたレリックの数量にも米軍の物量を切に感じてしまうのでありました。

手にとって見ました。
日本軍の手榴弾

米軍の手榴弾

多分米軍のM1カービンの小銃弾だと思います。

↑戦後、日本の自衛隊が暫く使用していた物と同じだと思います。
そして日本軍の小瓶

クレオソート丸の文字が読み取れます。
日露戦争の時には一時的に「征露丸」と呼ばれ日露戦争終了後再びクレオソート丸に戻ったようです。
今で言う「正露丸」
このクレオソート丸でアメーバ赤痢の病魔と戦われたのかと溜息一つ。

↓丸山道マタニカウ合流点・マタニカウ患者収容所(現地名タンブハ)で発見した小瓶

全く同じ物でであります。

あらためて此の地が日米両軍が十数メートルを隔て対峙し激戦を繰り広げた地なのだと再認識させられたのでありました。

風雨が少し収まったところで100メートルほど南方の案内人サンディ宅へ転進。


サンディ宅でお出迎えしてくれた子犬

先ほどのご主人宅でレリックを拝見し脳が昭和17-8年の飛んでいたので心癒されました。

然し・・・
サンディ宅には先のご主人宅よりも多くのレリック(戦争遺物)が待ち受けていたのでありました。

つづく


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