ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
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見晴台9 より続いております。

現在地はガダルカナル島中部戦跡・見晴台


ヒル57台上


本日の最終目的地ヒル57台上で達成感を顕わにするK隊員

足許、雨対策のラミネートした地図及び要図。

ヒル57台上より360度の展望

黄線我々の歩いたルート

ラファエルとサンディは疲労を心配し転進決断地点で待機、多分彼らの位置と我々の位置を含めた一帯をヒル57と呼んだと思われます。

右に視線を移動すると若林中隊が布陣した密林


さらに右へ、第三大隊本部へと続く密林が視界に入って来る

此の密林と密林を繋ぐ丘が若林中隊と第三大隊・西山部隊本部の最短距離。

↓の絵は、若林中隊長の同期生・谷晃夫氏の画、10加中隊長としてガ島戦に参加。

昭和18年1月13日、米軍の砲撃はこの日も熾烈を極めついに若林中隊長は砲撃により負傷、応急処置を施し、現況報告とお別れを伝えるため兵に扶けられ大隊本部へ行く若林中隊長(翌14日戦死)
此の絵の場所が密林と密林を結ぶ上掲写真の位置ではないかと思われました。

密林後方にはエクストンリッジ


さらに右へ密林は続きます


密林後方にはシムズリッジが僅かに顔を覗かせています。


密林は深くなり


第三大隊本部があったと思われる密林

後方にはヒル53

沖川上流の大地は日本軍呼称・宮崎台ではないかと思います。

その手前、密林内が第38師団歩兵第228連隊・陶村部隊本部
この密林内には第38歩兵団本部も位置していた筈

さらに右へ、後方サボ島が見え始め

黄丸後方に米軍攻勢図にあるヒル57、さらに後方が歩兵第228連隊第一大隊の布陣した堺台第一拠点。

一周してラファエルとサンディ


↓は当時ヒル66で撮影されたとされる写真

ヒル66は見晴台と堺台第一拠点に楔を打ち込むように台地で、彼らと戦ったのは歩228第一大隊第四中隊・小崎隊でありました。
此の地に旭日旗があるのは解せませんが海軍の通信基地があったのかも知れません。

こうしてヒル57台上よりラファエル達が待機する地点へ戻ったところでラファエル達が差し出した弾丸

米軍の弾丸で間違いないと思うのですが少しサイズが大きいように感じられました。
この周辺では日本軍のレリック(戦争遺物)は発見出来ませんでした。
上空が暴露しているので監視哨の配置はあったかも知れませんが戦闘は行われなかったように感じました。

こうして無事ヒル57からの展望をカメラに収め帰路へついたのであります。
レレイ村まで距離にして3kmほどですが・・・起伏に富んだ丘が連なり・・・
そう簡単には辿り着かないのであります。

つづく


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