ガダルカナル戦書籍一覧


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現在地はソロモン諸島ガダルカナル島中部戦跡

ルンガ上流第一野戦病院対岸。

この野戦病院の正式名称は
「ルンガ屈曲点南方 第二師団第一野戦病院第一半部」


第二師団がルンガ飛行場総攻撃を実施した際の野戦病院であります。

第一野戦病院から攻撃目標の飛行場まで拡大してみました。

参考までに
紫色 昭和17年 8月21日 一木支隊  約900名
水色 昭和17年 9月12日 川口支隊  約4,000名
※熊大隊と青葉大隊の間が川口支隊主力福岡歩兵124連隊攻撃地点、二師団の突撃地点と重なっております。
黄色 昭和17年10月24日 第二師団 約20,000名(住吉支隊含)
以上三回、飛行場奪回の為に実施された日本軍の攻勢で、二師団総攻撃頓挫の後持久戦へと移行していったのであります。

このブログをご覧戴いている皆様には現在地から飛行場までとてつもなく遠い事をご理解戴けると思います。

第二師団突撃地点・カツマタポイントで負傷された将兵は各所属部隊の仮包帯所で応急手当を受け(実際に仮包帯所が機能していたかは疑問が残るが・・・)途中ニューアンドー村付近の患者中継所(11月初旬、会津若松歩兵第二十九連隊約200名がこの患者中継所と第一野戦病院間の担送任務につかれていたが、後に機関銃を優先せよとの命により患者輸送は中止された)を経て此の第一野戦病院へと向かったのであります。

後日撮影・カツマタポイントの密林

一面密林でありました。


第一野戦病院の軍医であられた長谷川英夫氏の著書「軍医の見たガダルカナル戦」昭和57発行には第一線部隊を追及して昭和17年10月26日ティネンヒル南方付近まで進出している。
ティネンヒル付近では24・25日と二日にわたる戦闘で傷ついた将兵が引き返して来ている姿を目にし二師団総攻撃が失敗に終わったと認識されている。

後日撮影・カツマタポイント方面より望むティネンヒル

長谷川軍医の進出したティネンヒル南方付近は写真に写る山の反対側。

10月27日、第一野戦病院(現在地・対岸)開設。
此の日、患者は一人も来なかったと記録されている。
受傷した将兵が第一線からこの遠路を踏破するには無理があったのだろう。

10月28日担架兵により重傷患者が担送されて来る。
第一線には既に糧食などある筈も無いのだが「野戦病院で炊き出しがあるから、運べ運べ」と言われて苦行・担架兵による第一号患者到着。
野戦病院もまた米など一粒も無く、米飯でつられた結果となった担架兵に長谷川軍医は同情されている。
以後、続々と重傷患者・独歩患者が第一野戦病院に到着するも満足な機材も無く蛆虫をピンセットで取り除き赤チンを塗る程度の治療しか出来ず長谷川軍医も情けなく思われている。

11月3日マラリア熱発(長谷川軍医)

11月15日たまに運ばれて来るカビくさい米の補給も途絶え飢餓が始まる。

11月中旬には前線より辿り着く将兵も途絶え病院にはマラリア・デング熱・赤痢などの重症患者ばかりとなって野戦病院自体も患者続出し生地獄となる。

11月20日頃、29i背嚢置き場西方約1kmまで進出した山砲一門が敵陣にめがけ砲門を開いた。
此の地まで艱難辛苦の末運んだ山砲を一発も打たぬまま餓死・病死して逝くのは耐え難かったのであろうと推察する。

長谷川英夫氏著「軍医のみたガダルカナル島戦」より

11月20日頃、砲門を開いた山砲


この砲撃により米軍が日本軍の位置を知る事となり米軍の砲撃が開始され、11月30日第一野戦病院は米軍の急襲を受ける。

第一野戦病院では日本軍山砲発射時より米軍襲来の危険を予知し10月25日頃より患者をルンガ渡河点へと出発させ病院整理を完了したのは11月30日午前九時半。
同日午前10時、米軍の急襲を受け動けるものはモカヒルの急峻を攀じ登りルンガ渡河点へ唯一第一野戦病院車廠部の宮原一等兵だけが脚気で動く事が叶わず残置されたのでありました。
第一野戦病院警備隊として残置されていた会津若松歩兵第二十九連隊の一部がこの戦闘で玉砕された事実も忘れてはなりません。

以上が病院開設より凡そ一月、ルンガ屈曲点南方 第二師団第一野戦病院第一半部の悲劇概略であります。

※第一野戦病院を急襲した米軍の部隊は海兵隊の精鋭カールソン中佐率いる第二襲撃大隊、別名
カールソンパトロール・第二レイダースでで間違いないと考えております。
グーグルでGuadalcanal Carlsonと検索するとWiki英語版Carlson's patrolが一番最初にヒットします。

その中からグーグルクロームで翻訳(ちょっと怪しい日本語ですが)した該当する部分を引用すると

新しいミッション
カールソンの大隊は、上に移動を命じられたTenaru川と周囲-する日本人はヘンダーソンフィールドの戦いの間に彼らの攻撃のために彼らの男性と物資を配置するために使用していた痕跡を見つけルンガのルンガ川、南の周りをパトロールします。カールソンの侵略者を探し出し、数週間ヘンダーソンフィールドに対する嫌がらせ火を提供してきたいくつかの日本の大砲を破壊することもありました。侵略者は、11月20日に新たなベースキャンプをルンガの周囲の約2マイル(3.2キロ)南東を設定し、休息と11月24日まで補充。

11月25日には、カールソンのA社は、サントから到着し、侵略者に参加しました。11月27日、大隊は、さらにTenaru川まで4マイル(6.4キロ)を移転し、それぞれ上流および下流二つの補助パトロール拠点2マイル(3.2キロ)を設立しました。


カールソンパトロールが鹵獲したとされる大砲

11月28日に、企業B、Dは、ルンガ川を横断パトロールとマウントオースティンエリアにbivouacked、ルンガの周囲の南西。同じ日に、会社AとFはさらに南ルンガとTenaru間のパトロール。11月30日、侵略者は日本見つかった75mmの山の銃と37ミリメートル(1.46)抗戦車砲南ルンガ周囲の稜線約4マイル(6.4キロ)の定置を。銃が発見された場所の近くにパトロールF社から6海兵隊の分隊として、彼らは隠された日本のキャンプに入り、キャンプの中央に木の周りを積み重ね、その武器でシェルターの下で休んで約100日本兵の間で自分自身を発見しました。得られた乱闘では、侵入者の分隊は、約75日本人のを殺しました。残りは逃走した。

侵略者は、12月1日に休んだとairdropによっていくつかの規定を受け取りました。12月2日、カールソンは、ルンガ川の周りに彼のパトロールをファンアウト。B社は、川によってキャンプし10日本を発見し、それらのすべてを殺しました。他の企業はいずれも、日本に遭遇しませんが、一つは、他の75mmの山の銃を発見しました。遅めの時間に、カールソンは、パトロールを終了し、次の日に周囲ルンガに彼の軍隊を取るために注文を受けた。

企業A、B、およびFマウントオースティンに向かって西に向かっている間12月3日、カールソンはTenaru川に向かって東に会社C、D、およびEを送りました。企業C、D、Eは下Tenaruに達し、何事もなくルンガ岬のフレンドリーなラインに入りました。企業A、B、Fは、しかし、マウントオースティンの頂上近くの日本巡回が発生しました。クローズ四半期はジャングルで戦うには、25日本人が死亡し、4海兵隊員が真剣の一つは後に死亡し、負傷した。

翌日、会社A、B、FはMatanikau川の近くルンガの周囲に入ることを意図して出発しました。道に沿って、海兵隊の列は、4つの侵略者を殺害した日本のマシンガンチームによって待ち伏せました。セブンの日本は、この小競り合いで死亡しました。パトロールにはさらに反対に遭遇しないと昼下がりによってルンガ岬のフレンドリーなラインに入った。

青字部分が第一野戦病院急襲の部分で間違いないと思います。
75名を殺し残りは逃走した。
とある75名は第一野戦病院警備隊(歩兵第二十九連隊の一部)で逃走したとされるのが長谷川軍医の一行だと考えると腑に落ちます。
野戦病院を精鋭大隊で急襲・・・溜息のでる話です。


此処まで調べた結果、過日、丸山道34 ルンガ渡河点~モカヒル5 で記した、
案内人ラファエルの
タレアレ川からコロフブ川・モカ川の山中にはBONE(御遺骨)メニーメニー(沢山)
の言葉は第一野戦病院整理にあたりルンガ渡河点へと向かった患者が気力・体力尽き果て生命の灯が消えてしまった御英霊だと推察するに至りました。



目的地を対岸に望み
愈々、第一野戦病院へ!!

此処で隊長である自分は取り返しのつかない判断ミスを犯してしまったのでありました(ノ_-。)アア…

つづく


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