ガダルカナル戦書籍一覧


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現在地はソロモン諸島ガダルカナル島中部戦跡

モカヒルを目指してルンガ河を河口へ向け北上中
九〇三高地麓より延びる黄色い線が我々の辿ったルートであります。

ルンガ河の途中黄色線の切れているところが 11:02小休止地点


此処で案内人ラファエル
タレアレ川からコロフブ川・モカ川の山中にはBONE(御遺骨)メニーメニー(沢山)
と悲しげに教えてくれる。

少し引いて確認

こうして書庫の資料とグーグルアースを照らし合わせ、現地で撮った写真と比較し漸く現在地の休憩地点対岸の密林内の事を言っていたのだと得心するも現地ではそれぞれの河口の確認が出来ていなかった。

グーグルアースは昨年襲来したサイクロン「アイタ」被災直後のデータ画像で、一年経過した河口には樹々が生茂り密林に戻ってしまっているからである。

前記事・丸山道33 ルンガ渡河点~モカヒル4
で漸く確認できたタレアレ川


何も書き込まない画像はこうである。

現地ではルンガの流れに浸食された川岸程度の認識でしか無く、河口だったなどとは思いもよらなかった。

それではコロブブ川の河口はいずこ
今一度現地で撮った写真をじっくりと見入ってみると・・・
10:39にサンデイを撮ったこの写真


赤丸で囲ったところが

此処がコロブブ川河口だったのか・・・


今一度、位置関係を確認


二師団尖鋭中隊長であられた勝股氏の資料

青い点線が二師団基幹の総攻撃往路で撤退路は不明。
今は冥府の陣地へと旅立たれてしまった歩十六の長谷川氏も撤退時往路と同じ道を歩いたか定かではないと仰っておられ、丸山道の退路は混沌としていたと想像出来ます。

勝股氏の資料にある黒点線・東海林部隊帰路とは

第一野戦病院から次の集結地ルンガ渡河点へと繋がる道、二師団基幹部隊の撤退から大きく遅れて此の地を十一月中旬に撤退路として通過した東海林部隊・静岡歩兵第230連隊。

歩230は38師団より二師団へ配属された部隊で、二師団総攻撃頓挫の後西海岸への撤退ではなく「飛行場適地を選定確保」の命により東海岸コリ岬へ向かい米軍逆上陸部隊と一戦を交え再び西海岸へ転進の命により長蛇の列をなし餓死者続出、此の地を通り西海岸へと向かったのであります。
(※ルンガ警備隊関谷大隊は歩230連隊の残置部隊で渡河点警備の他患者後送の任ほ果たされておりました)

コロブブ川とモカ川の中間地点左岸小休止地点より見た右岸

東海林部隊が通ったと思われる密林

案内人ラファエルの
タレアレ川からコロフブ川・モカ川の山中にはBONE(御遺骨)メニーメニー(沢山)
此の言葉を耳にしたとき東海林部隊の一ヶ月に渡る戦闘・行軍が蘇りルンガを渡りあの密林内へと考えてはみたものの体力・気力が伴わず断念せざるを得なかったのであります。

長くなりましたので次のモカ川の写真捜索に入ります。

つづく


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