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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
現在地はソロモン諸島ガダルカナル島丸山道コンナブレ川
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150517/10/guadalcanal/4c/df/g/o0605079013309355428.gif?caw=800)
タンブハ=日本軍呼称・マタニカウ川合流点からアスタエ山へ向かうべくコンナブレ川を上流へと歩を進めていたところ案内人トンガが左折密林へと踏み入れ愈々アスタエ山かと緊張が走ったのであります。
河原から藪を乗り越え一段高い平坦部・・・
おお!!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150518/07/guadalcanal/58/8b/j/o0605045413310371795.jpg?caw=800)
此れは???
自転車のサドルのような物が・・・
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150518/08/guadalcanal/c5/fb/j/o0605045413310373520.jpg?caw=800)
武器については甚だ勉強不足につき帰国後確認の為調べてみると・・・
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150518/08/guadalcanal/33/ba/j/o0605040813310380569.jpg?caw=800)
↑の大砲とサドルの部分が一致!
四一式山砲で間違いなさそうです。
この四一式山砲は歩兵連隊に連隊砲として装備された大砲でウィキペディアより引用すると
重量540kg、馬6頭で分解運搬(駄馬)ないし、馬2頭で牽引運搬(輓馬)可能。山砲として開発されたため人力による分解運搬も可能であり、山岳戦や森林・密林地帯で威力が発揮された。また、構造が比較的簡単であるため組み立てや操作が容易であった。
とある。
我々日本人二人ローカル四人が背負っている装備・糧秣を併せても200kgには遠く及びません。
個人装備の他に540kgの大砲を此の地まで・・・
豪州の友人より事前に「丸山道」の大砲はククムビーチ近くの戦争博物館オーナーの白人により全て持ち去られたと聞いておりました。
砲身こそ持ち去られておりましたが難路「丸山道」砲兵の艱難辛苦を今も証明する物的証拠。
博物館において適正な位置・状況説明され展示されていればそれなりの価値はあるのでしょうが、↓のように雑然と地べたに転がしてあるだけでは砲の辿った歴史が総て消え去り唯のレリック(戦争遺物)としか認識されません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150519/07/guadalcanal/94/c9/j/o0549041013311401540.jpg?caw=800)
※2014年 戦争博物館にて撮影 此の中に発見された四一式山砲の砲身あるやも知れず
レリックは本来ある位置に鎮座してこそその歴史を辿る事が出来ガ島戦で何があったのかを無言ながら圧倒的説明力を持って語りかけてくりる訳で、戦争博物館のオーナーが現金に物を言わせネイティブ達を使役し各戦跡より持ち去ってしまう現実を知ると残念でならないのであります。
例えば三八式小銃の薬莢一つでも「此れは見晴台のヒル52で拾った物だ」とか「丸山道のタボーにあった薬莢だ」と説明を加えるだけで他の薬莢とは違うバックボーンが理解出来る訳であります。
その説明義務を怠っている戦争博物館の姿勢には異を唱たいのであります。
ともあれ「丸山道」残された大砲無しと諦めていた自分の眼前に姿を見せてくれた四一式山砲。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150519/07/guadalcanal/d3/9d/j/o0605045413311413812.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150519/07/guadalcanal/c9/f6/j/o0605045413311413742.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150519/07/guadalcanal/3b/e1/j/o0605045413311413741.jpg?caw=800)
製造番号が無いかと磨き調べるも・・・
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150519/07/guadalcanal/09/bf/j/o0605045413311413740.jpg?caw=800)
打刻は砲身のみのようで確認に至りませんでした。
勝股治郎氏の「丸山道偵察之記」より時系列に沿って読み返すと・・・
〇九四八右岸に御遺骨と大隊砲弾数十発、水筒発見、噫ゝここにもと最早涙も枯れぬる想ひ。
見渡せば数十人は楽に収容し得る平坦地、ガ島への出発前諸戦友に発送した六十通のアンケートに対する回答書の中29i西条軍医記載、合流点から数百米前に患者収容所開設し、ここで数十体埋葬とありしは此処ならんかと判断。
この記述の部分が現在地の平坦地ではなかろうか・・・
重量540kg、馬6頭で分解運搬されるべき此の大砲は丸山道の急傾斜をロープで吊るし仮置、その急傾斜を再び登坂、次の分解パーツを再びロープに括り急傾斜を降ろす・・・
砲兵の移動距離は歩兵の数倍に及んだとの記録があります。
艱難辛苦の丸山道を踏破した歩兵にして「砲兵の苦労は並々ならぬものあり」と特記させた大砲が今も「丸山道」残っていた・・・
感極まる場面でありました。
残念なのは此の四一式山砲も戦争博物館の主により雇用されたネイティブ達に運び去られ博物館とは名ばかりの倉庫の片隅で唯のレリックとして扱われる日はそう遠くない事であります。
つづく
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