わたしは無だ、誰でもない。
わたしの家はあっという間に爆発した。
わたしの猫が壁に張り付いた。
わたしはそれをはがそうとした。
でもそうさせてくれなかった。
これは、
「わたしは''無''」 E・F・ラッセル 短編集
創元推理文庫 SF 260円
に収録された「わたしは''無''」の中に出てくる少女・・・が書いた文章
この物語に出てくるのは、将軍とその妻、最前線で戦う息子が戦場で保護した女。
断固たる決意を持って開戦に踏み切った将軍、自分の息子は最前線で戦うべきだとの信念から息子を命も危ぶまれる激戦の地へ送る。
激しい戦闘に壊滅した敵陣の町、その中でただ一人生き残った女、将軍の息子はその女を保護し母親への手紙を添えて実家へ送る。
自分宛にきたことのない息子の手紙に最初は目を通そうとしない将軍、妻の説得でその手紙を読んだ将軍は烈火のごとく怒る
「世間知らずの息子をたぶらかした売女」
(売女=ばいた、と読みます。念のため)
でも、家にきたのは少女、戦場から直接送られてきた、ぼろぼろの服を着た女の子だったのです。
もちろん女の子は誰とも口をきかない、うつろな目をして感情を表さない。
そんな女の子に手を焼いた将軍は精神科医に助けを求める、そして精神科医が女の子から得たものが、冒頭の一文・・・
舞台は将軍の家です、戦場ではありません。
この文章を読んだ将軍は思う・・・彼としては何一つ手出しできない敵・・・
やがて戦争は終息に向かう。
ある日、少女に向かい合った将軍は、誰にともなくつぶやく
「わたしはごく小さいときから人々に囲まれて暮らしてきた・・・
だが、私のものといえる人は誰もいなかった。
ただの一人もだ・・・
そうだ、私だって無なんだ」
いやー、目に浮かびます、マーロン・ブランド風の将軍と、はかなげな少女との絡み
やがて少女は将軍の腕の中で泣き出して・・・
ラストはいかにもアメリカ風、アメリカでの物語というわけではありません戦争は惑星間戦争なんですが。
40年近く前に読んだときは十分に感動的なお話でした。
じゃあ今は感動的ではないのか・・・もちろん感動的ではありますが、今回読み直してみて思ったことは
「たくさんの人間に囲まれているが・・・私もまた無である」
とつぶやく将軍・・・
国家を背負って立つ男の孤独と少女の孤独が同じであろうはずがなく、ましてや戦争のさなか、心を閉ざした少女の感傷につきあってはいられないはず。
と大人の・・・いや、じいさんの感想です。
でも、将軍は将軍でも、どこやらの将軍様では、話がおかしくなりそう、少女だって納得しない、大いに不満な少女は・・・
たちまちエイリアンに大変身、それを見た将軍様、あわてて秘密兵
器の超小型レールガンを取り出し、パチンコ球を打ち出して必死に応
戦、しかし、悲しいかな電力不足パチンコ玉に威力がない。
パチンコ玉を受け、たんこぶだらけになったエイリアンは・・・
等と妄想してみました、遊びすぎでしょうか??
ところで、国連の北朝鮮に対する制裁、パチンコ玉より威力がない、日本の対応もそれに輪をかけてぬるい・・・(友愛なんぞもってのほか)
で一句
国連の 決議はいつも 茶番劇
白鹿庵
国連も遊びすぎではないでしょうか。