シャネルの理想・・・
「シャトー・ローザン・セグラ」Rauzan Segla
ハロウィンの夜、由美ママはミクニグループのオーナーシェフ・三國清三氏が、20年来の友人である「シャトー・ローザン・セグラ」のジョン・コラサ社長を、『ミクニマルノウチ』に迎えてのスペシャルディナーへと出かけました・・・
『ミクニマルノウチ』http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10350943780.html とは、丸の内ブリックスクエア2階に今秋オープンした“江戸東京野菜”が主役のフレンチレストランですが、昨夜は、ミクニの料理と「シャトー・ローザン・セグラ」のワインを愉しむ・・・という究極の贅沢を味わう“饗宴”でした。
「シャトー・ローザン・セグラ」のジョン・コラサ社長のサイン
さて、ここで「シャトー・ローザン・セグラ」の歴史を紹介しますと・・・
「ローザン・セグラ」は、1661年ボルドーの商人ピエール・デ・メジュール・ド・ローザンにより始められ、
1790年にはトーマス・ジェファーソンが、“メドックの最高”と評したことなどで知られていたワインでしたが、
この名が世界で認められるようになったのは、1855年の格付けでの、シャトー・ムートン・ロートシルドに次ぐ
第二級のステイタスからで、その後、1903年にフレデリック・クルーズの手に渡りシャトーを建設。
1989年にまたまた所有者が変わるなどの紆余曲折を経た後、1994年からシャネルがオーナーとなり、
このシャネルの大規模な投資は、建物を一新し、新しい醸造所も建設したうえ、葡萄の植え替え(栽培品種にプティ・ヴェルドを加えた)とともに、大がかりに畑の環境を変え、そこから造られた“新生”「シャトー・ローザン・セグラ」は、ジロンド河の恵まれた環境により、唯一無二の天候や日照条件を享受して、
「Wine Spectator 2008」の世界100ワインで第2位にランクされるワインとして生まれ変わりました。
今回来日した「シャトー・ローザン・セグラ」のジョン・コラサ氏は、シャネルがオーナーとなった1994年に、社長に就任しましたが、以前はシャトー・ラトゥールの“顔”で日本では馴染み深く、
ここ数年は、この「シャトー・ローザン・セグラ」と、サンテミリオン第一級格付けのシャトー・カノンの二つのシャトーを背負い、コラサ氏自身は、栽培家や醸造家などの肩書こそもたないものの、畑のことや醸造のことに、現場の人間のように精通し、自身の言葉で・・・
「ワインはパッションです。最初に恋したのはラトゥールでしたが、1994年ローザン・セグラで働いてワインは終わりのない経験の積み重ねと思いました・・・」と優しく微笑み、
ワイン版ミシュランと言われるクラスマンに、「シャトーマルゴーに対抗できる唯一のブドウ畑を所有するプレステージュ・シャトー」と賞賛されるに至りました。
「シャトー・ローザン・セグラ」のジョン・コラサ氏と由美ママ
ミクニマルノウチとシャトー・ローザン・セグラの“饗宴メニュー”
本来のメニューは“フォアグラ”ですが、鳥類憐みの令が信条の由美ママは、“帆立貝”のポワレ!
さらに、昭島産“軍鶏”を“きんき”に変えて焼いてもらい、紫芋のピュレを添えて・・・
1983は“由美”誕生の年なので由美ママにとって最高のヴィンテージですが、美味しい“黒毛和牛三歳雌の処女牛ロティ”とともにいただきました!!!
完熟フロマージュは、今の時季限定の“ヴァシュラン・モンドール”
こうして呑み?尽くされた「シャトー・ローザン・セグラ」は、テーブルに並べられ、最後はジョン・コラサ社長との
記念撮影で暮れた素敵なハロウィンナイト!でした。
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「ここのワインは手に入れる価値のある華麗なものだ・・・」
とパーカー氏に言わしめたパーカーポイント93点獲得のこのグレイトワインは、11月1日より『ミクニマルノウチ』のバータイム(21:00~23:30)にて、ミクニの料理のためにセレクトしたグラスワインを楽しめますから、
江戸野菜を中心の旬の東京素材を、バータイムならではのアラカルト料理と「シャトー・ローザン・セグラ」との
コラボレーションを堪能下さい。http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10341538148.html