「バーチャル社会の弊害から子ども守る研究会」設置第2章~ラスボス竹花豊・前田雅英登場~ | あざみの効用

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                      武田徹「戦争報道」

先日の警察庁による「バーチャル社会の弊害から子ども守る研究会」設置~オタク表現の危機「パンを捨て剣を持て!」~ 第二章というか初会合のニュースorz

ネットの性暴力情報から子供守れ・警察庁が研究会
>アニメやインターネット、ゲームなどにあふれる性や暴力の情報が子供に与える弊害について議論し、改善策を検討する有識者の研究会を警察庁が設置、10日に東京都内で初会合を開いた。設置されたのは「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」

会のネーミングから既に弊害があることが前提ですが、いったい全体いつそんな証明がなされたのでしょうね。心理学、社会学、脳科学の分野では見当たらないのですが?

>警察庁によると、子供を性の対象とするアニメなどの影響を受けて子供を狙う性犯罪が誘発されることがある一方、インターネットで殺人などの画面を見た少年が「実際にやってみたい」という気持ちになり、加害者となった例 もあるという。

「など」と範囲を拡大しておいて「も」あると(論理学ならば全肯定命題の否定につかう類のもの)証明を実質放棄するその姑息さ。逆にインターネットで殺人などの画面を見た少年がそれで満たされて犯罪に至らなかったこともあるでしょう。何に影響されてどんな行動を起こすかなんてそれこそ個人差の問題以外のなにものでもない。

>研究会は月1回程度、開催。これらの現状を踏まえて問題点を夏までに整理し、規制の在り方も含めて改善策を探る。専門家で意見が分かれている子供のゲーム依存の影響についても話し合う。

規制ありきというのがここからも透けて見えます。おそらく竹花元都副知事、前田都御用達学者ラインでもって都条例で先鞭をつけようというのではないでしょうか?

>会合の冒頭、警察庁の竹花豊 生活安全局長は「(この問題では)いろんな改善努力がなされているが状況を大きく変える力にはなっておらず、研究会を立ち上げた」とあいさつ。首都大学東京の都市教養学部長前田雅英 氏が座長に選ばれた。

先日、委員会議事録で竹花がどうせ音頭をとっていると名指ししましたが私の陰謀論ではなかったことが裏付けされましたヽ(*´ワ`)ノ ワーイって全然嬉しくないし、よりによって座長は前田…。

↓のメンバー一覧+浜井先生メールだけ追記、あとトラックバックいただいた安原さんの過剰収容のカラクリについて は必読(もっと『浜井浩一氏』の名前が有名になるといいのにな…)

187 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/04/12(水) 05:17:16 ID:C4Go2luFO

【重要】
■研究会メンバー15人の一部
見れば恐ろしく、ヤバ過ぎるのは解るハズ。研究会の政府・警察庁への答申は、『会合は月1回のたった5回くらいで、遅くとも8月には出るという非常にタイトなスケジュール。勿論お決まりの非公開。』議題には児ポ法での二次元の表現規制、児童ポルノ法強化?も入っている。
 
パブリックコメントはやるかは未定。通例、パブコメは招集時か中間報告時に実施されるから、つまりはパブコメはやらない。

●【座長】前田雅英(都大学東京 都市教養学部長)←『完全に否定されている少年犯罪凶悪化言説を垂れ流す。なんと2年前の東京都の規制条例でエロゲ・エロ漫画アニメ撲滅を図った御用学者・張本人』

●岡田尊司(京都医療少年院精神科医・『脳内汚染』著者)
←『ゲーム撲滅論者。フジの報道2001の脳内汚染の特集を見た人ならその危険性・電波性が解るハズ。また「脳内汚染」はゲーム脳と同様に電波な内容の類→ゲーム撲滅論。』

●江川紹子(ジャーナリスト)←その昔TRPGをやっているオタクに否定的な事を述べた

●竹花豊(警察庁 生活安全局局長・元東京都副知事)←『東京都副知事での政策の横暴を知っている人なら危険性が解るハズ』

●宇佐見昌伸(エクパットECPAT東京 ストップ子ども買春の会)

●玄田有史(東大 社会科学研究所 助教授)←「NEET」概念を日本に紹介

●義家弘介(横浜市教育委員)←通称「ヤンキー先生」

●坂元章(お茶の水女子大教授)


【参考】
【転載メール】『警察白書』『犯罪白書』の検討結果-日本は「治安の危機」「治安の悪化」といわれるような状況にはない。


以下 前田氏の現状認識が如実に表れている論文

「犯罪増加と矯正施設の過剰収容」-法律のひろば平成17年1月号(前田雅英)- (以下、特に気になる部分を抜粋するのでこれもできれば原文を一読されたし)
>収容者の急増は、刑期の長期化、実刑率の上昇なども若干寄与しているが、やはり決定的なのは、もともと法定刑の重い凶悪犯を犯して有罪となった者の急増が大きく影響している。平成に入ってからの凶悪犯の増加は著しい。特に、強盗の認知件数は一五八六件から、七六六四件に増加している。平成に入ってから五倍近くに増えてしまったのは、まさに異常な状態であり、そのことが刑務所人口に影響したことは明らかで、さらに今後しばらくは過剰収容状況が悪化する可能性が高い。凶悪犯の認知件数の増勢は止まっていないからである。

「認知件数」はあくまで警察用語であって=発生件数では決してないので要注意の専門用語です。あくまで被害の届出、告訴、告発を警察において認知した件数を言うので、それまではたとえ届出があったとしても事件にしなかったようなものも警察がきちんと事件化すれば急増します。単純に総ての犯罪が通報されるわけではないし、通報されても警察で総て記録されるわけではないということは知っておくべきことです。

このようなことを単に書くと妄想のようですが、先の委員会質疑で泉議員が追及していたように、補導が警察指導によって急増したのと同じカラクリだということです。そして↑の前田氏の書き方だと平成に入って徐々に増えたように感じるかもしれませんがそれははっきり間違いです。強盗も傷害も暴行も脅迫も平成10年を境に急増しているのです。その年に何があったか?それは前年の「桶川ストーカー事件」で、警察対応に対する非難が集中した結果、警察庁が指導を徹底したことによると考えるのが自然です。

>たしかに、戦後社会はこの30年の間に大きく変質した。国民の価値観や生活様式は多様化し、離婚率は上昇を続け、「社会の基礎単位である家庭」の崩壊が進行している。また、地域社会の連帯意識が希薄化している。「社会に内在してきた犯罪抑止機能」が著しく低下していることは認めざるを得ないであろう。

先に平成に入ってから急増したと述べておいてここでは、その要因を30年のスパンで考えるというこの矛盾。今までにも再三述べているように少年犯罪を30年のスパンで考えれば激減していますが何か?

>最近の治安の悪化は、社会的には共通の認識となったといえよう。マスコミなども、一部の例外を除いて、治安の悪化を認めている。その背景として、自らが行った世論調査の結果なども影響していると思われるが、治安状況の評価に最も影響力を持つ犯罪白書が、近時一貫して治安の悪化を強調してきた事実が重要である。

先の認知件数のカラクリをみていれば空々しいことこのうえないです。認知件数を増やせば検挙人数が増えない以上(逆に言えば成績に関係するので検挙しやすい犯罪はそれまでも認知されやすかったということでしょ?)、数字上は悪化するのは当然のこと以外の何ものでもないでしょうに。

>「統計数値には暗数があり操作性も働く余地がある」という指摘自体は、統計を扱う際の初歩的前提であるが、白書が明確に犯罪増加を謳っているにもかかわらず、それを否定して「犯罪は増えていない」と主張するのは、かなり大胆なことと思われる。たしかに、検挙率の低下の一部は警察の方針の影響を色濃く受けたが、認知件数の増加、特に現在問題となっている凶悪犯の認知件数の増加は、警察の「政策」などでは説明できないことは明らかである。平成に入り強盗が5倍に増加したのは、それまで隠されていた暗数が表に出てきたからだとは思われないからである。

この部分からは批判に対する再反論の部分です。

女子リベ  安原宏美--編集者のブログ「少年犯罪『報道』急増化データ」 で記されているように増えたのは犯罪ではなく、犯罪「報道」であるということこそ、この暗数が表にでてきた一役を担っている(私は一役どころかそれでほぼ全部説明つくと思っていますが)と思います。

>犯罪が増えていないという論者も、過剰収容の事実は否定できないであろう。そこで、過剰収容と犯罪の増加とは結びつかないとするために、「本来刑務所に入らないでよい人間を法務・検察などが無理に公判請求している」とする説明も見られる。「1996年以降検察庁の新規受理人員に目立った変化はないのに、強盗、窃盗、恐喝、傷害、強姦等の公判請求人員が上昇傾向にある。その背景には、検察官の厳罰化志向」があるとし、検察が公判請求率を上げた等の問題を指摘するのである(『犯罪は本当に増えているのか』3頁)。

>日本では、犯罪は増えていないのに法務省が増加を意図的に作り上げているというニュアンスを含む記述が見られる。しかし、同論文が犯罪の具体例の筆頭にあげられている強盗の受理人員は、検察庁の統計によればこの10年で1138人から2669人に増加した(前述の認知・検挙件数の増加から見れば、当然のことである)。おそらく「10年で135%しか増えていないのだから目立った変化はない」と主張するのであろうが、やはり「増えている」とする方がわかりやすい。

>少なくとも、その後のデータでは、さらに増加の勢いを増すと思われる。それに比べて、強盗罪の公判請求率は十年前が 61%(公判請求588人/処理人員966人)であったのが、現在は60%(公判請求1348人/処理人員2254人)となった。「目立った変化はない」といえるように思われる。いずれにせよ、刑務所の収容者の増加は、刑罰を科さねばならない重要な犯罪が増えた結果、例えば勾留人員が1.7倍になり、公判請求人員も1.6倍になり、有罪人員も1.6倍になったことの結果なのである。犯罪、特に刑務所に収容しなければならないような重大な犯罪行為が増加していることは、客観的事実といわざるを得ない。

私の頭の悪いせいか、この部分のどこが批判に対する再反論になっているのかさっぱりわかりません!認知件数を増やして、重罰化すれば自然に収容人数は増えるということでしょう?そしてこの点が前田教授の恐ろしいところでもあります。監視カメラの有効性に関する議論の中でも単に歌舞伎町では効果があったというだけで具体的な根拠となる数字は示さず、言いっぱなしで議論を推し進めていく…その彼が座長ですか(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

>たしかに、凶悪犯の中で、最も上昇傾向の弱い殺人罪に着目すれば、「さほど増えていない」という指摘は当たっている。しかし、その殺人でも一二一五件から一四五二件に二〇%増加してはいるのである。ただ、一方で「殺人を除く強姦、強制わいせつ、傷害の罪の認知件数の近年の伸びが目立つことは間違いない。その要因の一つとして警察庁の政策的配慮等が指摘されているところであるが、上記の長期的視野を踏まえて、それらの罪の認知件数の増加について、その原因等を研究分析して、それらの原因を除去するための政治的・経済的・社会的方策を検討立案する」べきであるとする。

私が単なる重罰化、認知件数の問題に過ぎないという判断を下した最大の根拠はこの殺人数の動向にあります。というのは殺人というのは起きれば間違いなく、通報されそして警察も記録せざるをえない問題であるのでぶれが起こりようもないからです。それは件の「桶川ストーカー事件」を契機とする平成10年の警察の姿勢変化をみれば一目瞭然です。殺人の認知件数は他の犯罪と違って急増しないし、問題とされる検挙率も90%台半を維持し続けていることからも明らかです。前田氏の議論はいったい何がどういう根拠をもっているのかさっぱりわかりません。

>逆に積極的な取組によって犯罪の増加に歯止めをかけることも可能であることが示されたとも考えられ得る。もちろん、それは法定刑の引き上げのみでは達成できない。まさに総合的な政策が必要なのである。

おそらくこれがオタク表現規制なのでしょう(そしてここで鼻歌交じりで加担したマスゴミは同じやりくちで規制対象になりうるという想像力は有していないのでしょうね)。

>例えば、不法残留外国人は日本人の約一八倍の割合で強盗を犯しているというような事実を踏まえ、入国管理政策をしっかり行うことが重要だと考えられる。そして、単に犯罪を禁圧するのみでなく、本白書が特集の中で指摘した、「平穏な社会」を作る努力もなされなければならない。

「平穏な社会」って警察国家以外の何ものでもないと思うのは私が被害妄想にとりつかれているのでしょうか?


最後に守護神保坂先生のこれまた至極当然というか、それだけに奇跡となりつつある素敵なコメントで締めます。

保坂展人のどこどこ日記 「ゲーム脳」という強迫観念
>同じゲームを反復継続することによって「ゲーム脳」が生まれて、子どもの成長・発達に悪影響を与えるという俗説は、現在のところ確認されていない。長時間ゲームをし続けることで、影響は生まれるが、まるで症状のように「ゲーム脳」がこどもに固定化し、宿り続けるというのは間違いで、脳の活動はもっと弾力にとんだものだという印象を持った。

俗説は大量に流布されることで、真実をねじ曲げる。「ゲーム脳」も「ニート」も、きちんと検証し整理した議論を展開しなければならないと痛感する。

量が質を凌駕していく世論を形成して「体感治安」の悪化をもたらした、ただそれだけのこと。そしておのが影に怯えて吠える馬鹿犬を嘲笑っているうちにその犬が誰彼構わず噛み付き始めた段階に既に突入しています。しかも狂犬病のおまけつきみたいな…orz


『自分自身にふりかかる災難であれば、ごくささいなことであっても、もっと実際的な動揺をするだろう。明日、小指を一本失うことになっていたらその夜は眠れないだろう。しかし、一億人の同胞の滅亡に対しては、それを自分が見るのでなければ安心しきって高いぶきをかくだろう。』

                 アダム・スミス「道徳感情論」