少年犯罪『報道』急増化データ | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

少年犯罪『報道』急増化データ

 冬枯れの街の遊鬱さんが 、ネット、ゲームなどの悪影響論を根拠もなく語りあってる「少年問題に関する特別委員会会議録 第4号 平成18年3月30日」の模様を、丁寧にうまく抜粋して書いているので(えらい、えらすぎる!記者もこれくらいがんばれよ)、私もお力添えになるものをがんばって書こうかと。


 まず、実態とかけはなれた「治安悪化神話」なるものがどのように作られたかであるか。大きく寄与したのは「少年犯罪」報道である。犯罪学者、浜井浩一さんの論文からのデータを抜粋します。下のグラフを見て欲しい。画像をクリックすると大きくなります。

少年犯罪報道数

  もう一目瞭然である。「少年犯罪」が急増したんじゃなくて、「少年犯罪報道」が本当にものすごく「爆発的に急増」しているのがよくわかる。
 下の青いラインが●が殺人の認知件数である。全然増えてません。(なぜ殺人を使うかというと暗数が少ないから。人殺しておいて見つからないっていうほうが少ないっていう意味として理解してください。たまに庭とかに埋めてる人もいますが、まあそれは誤差の範囲ということで)。

--データについて注記 ---
 以上のデータは朝日新聞のデータベースである朝日DNAを使用する。殺人の認知件数及び代表的な事件とともに、「凶悪」+「殺人」をキーワードとした記事件数について1985年を100としたときの推移を見たものである。殺人の認知件数は減少傾向又は横ばいであるのに対して、「凶悪」+「殺人」は1988年以降記事件数が上昇し、2000年に急上昇している。つまり、現実におきている殺人事件の認知件数とは無関係に、記事件数、つまり報道量が増えているのが分かる。しかも、単に「殺人」ではなく、「凶悪」というキーワードを同時に使用している記事件数が増えているのである。この「凶悪」というキーワードと図に示したような代表的な事件が結びつき凶悪犯罪のイメージが作り出されていくのである。キーワード検索を行いヒット件数を記事件数とした。記事内容を分析して件数を修正することも考えたが、その段階で主観的評価が入るため、あえて単純ヒット件数とした。ただし、ランダム誤差とはいえない、特別の偏りの発生についてチェックを行っている。


 次に長谷川真理子さんの論文から要約します。 日本における殺人検挙率は、1955年くらいまでは100万人あたり35人で、そこから一直線に下降している。こんな国はどこにもない。増加した国がほとんどです。 なぜ、減ったかということを何で計るかですが、「誰が殺さなくなったか」というふうに見ますと、20代前半の男性です。
 つまり、日本の殺人低下に貢献してきたのは20代の若者である。若者をつかまえて、「犯罪者集団」というようなことはお門違いも甚だしいことにです。キッパリ!
 

 私はゲーム自体はまったくしないのですが(テトリスの花火で燃え尽きた、ふるっ)、「性表現悪影響論」も根強い。
 ただ、日本の性犯罪はアメリカなどと比べると圧倒的に少ない。2万件くらいと1000件くらいだ。
 強姦とかはアメリカの40分の1くらいだったかと思うが、マンガ、コミックなどの性表現が過激な時期は(個人的には意味不明に過激だとはおもってるが 笑)、つまり売上が倍倍でのびてた70年代、80年代というのは強姦件数は著明に減っている。自主規制などを含めた規制ができた90年代のほうが増加に転じている。キリスト教的な倫理感があるアメリカは性表現を青年から遠ざける傾向にあり、アジアで性犯罪が多いとされる韓国は儒教観念影響して規制が厳しく、それに比較して日本はわりとゆるい国であるというのが、性犯罪増加に歯止をかけていたとされる論もある(ちょっとこれは本当かな?と思ってたりはするんだが)。

すべての犯罪施策について思うが、新しくて、なんかよさげな方法論だからと、むやみに信じるのはまずいと思う。安易に「トライ &エラー」だとか「試行錯誤」だとかいってるのも、言い換えると「ようわからんから、まずやってみよう」といってるだけである。検証結果が出ていれば、よその失敗を再度やる必要はないし、まず犯罪が日本より多い国の方法まねたいの?それをやったことで犯罪がかえって増えてるんじゃないかという逆の視点も当然必要と考えるのが自然だろう。

プロファイリングとかも90年代頭に流行ってたが、アメリカの凶悪犯罪はいわゆる路上犯罪で面識がない場合が多い。被害者の身元がわれても人間関係がない場合が多いのでプロファイリングが必要であるというロジックがある。日本でおなじようにあてはめると文化も数も違うのにおかしなことになりやすいと思う。特殊事例が一般化してしまう危険性がある。日本はいわゆる通り魔的な犯罪はほんとうに少ないのだ。
 例えば、良識派の喜びそうな「スケアード・ストレイトプログラム」というのがある。これはアメリカで2000年あたまに復活したプログラムだ。少年を凶悪犯罪者に対面させ、かなりきついことを言われる。世の中をなめきったような少年が「大人しくなって将来を考えていく姿」がテレビで放映され、感動的で印象的であったらしい。「かなり効きそう」感のある種ショック療法的なプログラムは、実はまったく効果なし。テスト群とコントロール群と比較すると、効果がないどころか「再犯する」ということが明らかになっている。「ブートキャンプ」とよばれる軍隊式の訓練に少年を参加させるものもあるがこれも「再犯率」があがる。

今起きていることは、通学路は「安心・安全の日本復活」と「地方共同体復活」に燃え、老後の生きがいを見つけた「防犯」わん章つけたおばちゃん、おじちゃんたちでいっぱい、タクシー通学まで登場して、遊び場所を変えるような子どもは悪い子どもで、なるべく親やら大人の目の届く範囲に。うちに帰れば、ゲームは脳がいかれるからNGで、家で見てよろしいビデオはディズニーとジブリだけ? まあトトロは好きだが、今私が子どもとなったら、それこそ窒息してしまいそうだ。親の時間的、物理的、心理的負担は増えるばかりな気がしてならない。やれボランティアに参加しろ、外をひとりで子どもをあそばせたら、いったいどういう教育してんですかと(きっと)いわれ、家帰ったらゲームもそうそうさせることはできず、自分の仕事しなくちゃいけないのに、ってことは始終まとわりついてくんのか?そんな子育てなんて、いやですぅ。めんどくさくて、産めるかよーというのが本音であろう。

子どもがいる、仕事をしている友人女性たちの話を聞いていても、子どもの口にガムテを貼りたくなる(笑)といっている。「虐待だろーそれ、笑」と。

再犯を減らすとか、とかニートどうするか、少子化どうするかという問題も、忘れてはならないのはすべて「社会問題」であることだと思う。


※参考資料

浜井浩一『日本の治安悪化神話はいかに作られたか――治安悪化の実態と背景要因(モラル・パニックを超えて)』  

長谷川真理子 『日本における殺人率の減少』「学術の動向」2005年10月号

作田明 福島章編集 『現代の犯罪』


さてひといき。


 最近お気に入りのお菓子がある。ファミリーマートで売ってる無印良品の「りんごマシュマロ」だ。無印良品のお菓子はたまにものすごいヒットがあってついつい新しいものが出ると買ってしまう。気がつくと一袋食べている。マシュマロの作り方を知っている私は、あの原材料をいっきに食べてしまったかと思うとちょっと気持ち悪くなる。ほとんどが卵白でできているんだけど、卵白の生は鼻水みたいで大嫌いなんだけどなー。目玉焼きの白いところはプラスチックみたいで大嫌いなんだけど、なんでマシュマロだったら大好きなんだろう?不思議。