今回はいつもの「筋肉ネタ」ではなく、ほんとにどーでもいいことについて綴りますのでご容赦下さいませ
僕は生まれながらのパーマネント(いわゆる「天然パーマ」)の髪質なので、色気付いてきた中学生の頃から、髪型をキメる為には”整髪料”が必須アイテムでした
以前ブログ上で僕の生きてきた時代の流行の髪型を紹介しましたが、今回はその髪型を決める為の”整髪料今昔物語”を紹介したいと思います
僕の出身地は千葉県成田市近郊で中学生までこの地で育ちましたが、70年代後半から80年代前半のこの地は日本国内でも有数の”ヤンキー生産地”で、所謂「不良文化」が猛烈に根付きまくってた土地柄で、男の子の髪型の基本形は中坊にも関わらず”ソフトリーゼント”もしくは”コールドパーマ”、”アイロンパーマ(通称アイパー)”更に凄い奴は”パンチパーマ”をかけている強者もたくさんおりました
その髪型を実現する為のアイテムは”柳谷ポマード”そして”マンダム 丹頂チック”が主流を占めておりました
《柳谷ポマード》
《丹頂 チック》
その後、高校生になり、僕は市川学園という男子校に入学しましたが、80年代中盤のこの当時は空前のバンドブームで、しかも世に言う「ヘビーメタル/ハードロック」が主流だったので、髪型も基本的には長髪がかっこいい!とされてました。なので、この当時流行った整髪料はこれです
《DEP》
《ダイエースプレー》
ダイエースプレーについて補足すると、ヘビメタというよりパンク系のバンドマンは髪の毛を逆立てる必要があった為、このスーパーダイエーで売られたいたこの通称「ダイエースプレー」が一番立つ!との評判で使用率がNo.1だったと記憶しております
大学生になった頃人気を博していたのは”新御三家”と言われていた「吉田栄作」「加瀬大周」「織田裕二」で、基本的に”さわやか系”だったので、このバブル後半期(80年代後半から90年代前半)の頃はあまり整髪料は使わず”ナチュラル感よろしく”っていう雰囲気が好まれていたと思います。この頃はサラサラ系ヘアが主流だったので所謂”ムース”が一般的だったのではないでしょうか
《ムース》
社会人になり90年代中盤から後半になってきた頃、そんなに髪型にも気を使わなくなってくると、いよいよ今でも現役バリバリの”ワックス”が登場しました!これはホントに革命的だったように思います
そして2010年頃には今ではおなじみの「FOG BAR」なるスプレータイプのワックス?も登場し、柳谷ポマードの頃を回想すると、ホントに隔世の感が否めません
こうやって見てみると、整髪料の変遷って”10年周期”で流行が変わってるんだな~って思いマッスル
久々に”チック”でもつけてリーゼントでもしてみようかな~こんな感じに
リーゼントといえばやっぱりこの方をおいて他にいないだろう
《YAZAWA》