【転記】偏見③ 法は道徳を自身の根拠にしない | 矯正知力〇.六

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以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『法は道徳を自身の根拠にしない』

法の問題について議論するときに
道徳律や気持ち、感情などといった、心の問題を持ちだす人が
少なくない

法はそれらを一切排除し、極めて論理的なモノを自身の根拠に置きます
論理とは、科学的な思考のことではありますが
イコール科学ではありません
とりあえず、そのことは頭に入れて置いてください

これらは、子供が生まれること
「出生」についての法の解釈をみるとわかりやすいです


出産のときに、赤ちゃんが一部露出した時点で
生まれたとみるか(一部露出説)
体のすべてが出たときに、生まれたと判断するか(全部露出説)
このことは、法律の世界では、たいへん重要なことなのです



◆民法の場合

民法では、全部露出説を取ります

民法上の解釈のため
人と胎児の区別をつける基準を
全部露出に置きます

これでは、お腹の中の胎児は
人でない、命でないとみなされます

胎児の体がすべて出た瞬間から、胎児から人となり
生まれた直後に死んだ場合、堕胎ではなく
人の死と扱います



◆刑法の場合

一部露出説を取ります

胎児が母体から一部でたときに、胎児を殺した場合
堕胎ではなく、殺人になります

昔は、経済的な理由で「間引き」が行われていました
最近もそういうニュースありましたね
近代になって堕胎と殺人の基準を設ける必要ができ
そのために採用されたのが、一部露出なのです

一部露出してしまえば、母体とは直接関係なく
胎児に攻撃を加えることができる
それによって、堕胎ではなく殺人なのです



諸外国では他に
「陣痛開始説」や「独立呼吸説」などがありますが
日本の法律では採用しておりませんので
その説明は日記の趣旨に沿わないので、省きます



◆道徳律など、心に依拠した場合ではどうか?

カトリック教会などは、人工妊娠中絶を殺人とみなして認めません
最近では考えを改めようとする動きもあるようです

女性では、例え望まない妊娠であっても
赤ちゃんに罪はないし、命を奪うことはできないとして
生むことを選択される方もいます

人によっては、妊娠が確認できた時点で
胎児を人と見做します

道徳的な基準を、刑罰でも採用した場合は
言わずもがなです

なんらかの事情で、どうしても中絶しなければいけない人
そうした時点で殺人罪です
それを避ければ、経済的な事情などで、親子は苦しめられます
新たな悲劇を生む原因になるかも知れません



◆まとめ

道徳や倫理、宗教などの心の問題を法律の根拠とすれば
法律、しいては世の中が成り立ちません

民法のおいては、お腹の中の命が
人でないとみなされることになり
生物学の事実と矛盾します

刑法については、殺人者と生活困難者を増大させることになり
更に悲劇を生む原因にもなります
社会がうまくまわる為の法が、社会を混乱させる原因になりえます

冒頭で、論理は科学的な思考ではあるけれど
「論理=科学でない」
と言ったのは
これまでの説明でもわかるように
胎児を例にとって、命の誕生をどこで認めるか
生命科学の判断と、「法の論理」の判断は
一致しませんよね
そういうことです



法は、道徳律や倫理、宗教など心の問題を
考慮して基準に置いてはいけないのです

科学的な思考、論理にもとづき
独自の「法の論理」によってのみ、法の基準を定めなければならないのです




厳密にいうと、現行法も、道徳や慣習に基づいて定められたり
判決がだされる、そういう部分もあるんです
まったくないというわけではないのです

ただ、法とは永久不変のモノではなくて
段々と変わっていってるんです
どんどん、道徳や慣習の面が少なくなっていくと思います

刑法は、原初的な「罪に罰」という概念から
更正教育目的に変わってきたように


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