こんにちは、タロット占い師・守田のり子です。


しばらく、日にちが開きましたが、
母に対するボケ対策の続きを書きます↓
「ボケの正体・対策編(3)」



今回は、タブーだった父の事について、
母に聞いてみたのです。
かなり長くなるので、覚悟して読んでください。


母からこの話を聞く時、
母はきっと話すのを嫌がるだろう
と思っていたのですが、
意外にも、次から次と話を聞かせてくれました。


たぶん、母にとって、こうした体験は、
誰も聴いてくれない、封印されていた記憶や感情
だったのだと思います。


私は、そうした“封印した『想い』”
ボケの原因だと思っています。

こうやって、母の話を聞き、
その体験や感情を共感することが、
何よりの「ボケ対策」だと思っています。

(ボケについて、詳しくはこちら↓
「ボケの正体(後編)」



私の父は、私が3歳の時に、
借金を残して失踪しました。

当時、母のお腹には私の弟が居ました。

母は、出産後に自営業を始め、
父の借金を返済しながら
私たち姉弟を育ててくれました。


外に働きに出てしまっては、
子供の面倒が充分に見られないからと、
母は自宅で出来る学習塾を始め、
知恵を絞って、貧しい中でも愛情を持って
私たちを育ててくれました。

その間、母は、父に対する恨みごとを、
一切口にした事がありませんした。


母のおかげで、私も弟も、現在、専門的な職を持ち、
好きな仕事をしながら生活出来ています。

そんな聡明な母が、
「どうしてそんなヒドイ男と結婚しちゃったのか?」
というのが、私の長年の疑問でした。

その疑問を母にぶつけてみようと思ったのです。



でも、それは、私にとって、とても勇気のいる行為でした。

父に対する恨みや愛情、
そのどちらも感じる事がなかった私にとって、
父の問題は
「すでに終わった事=乗り越えてきた過去」として、
処理されていました。


3歳から父の居ない私にとって、
「お父さん」という存在は、『ない』のが当たり前でした。

家族の中で、父の事を話す事は殆ど無く、
母に対して、父の事を問いただした事もありません。


しかし、
・「私の父は、無責任で情けない人間や」
・「私は父に捨てられた」
という思いが、
私の中の、無意識の領域にあったのだと思います。

本当にクリアされているなら、気にならないはずですが、
私はその問題と直面するのが、とても嫌だったのです。

今から思えば、父のことを話題にすることを
“母が嫌がるであろう”と思ったのは、
『自分への言い訳』だったのです。


私が、なぜ父が急に居なくなったのか、
本当の理由を知ったのは、大人になってからです。


最初は、母から、
「お父さんが交通事故にあったので、
今、遠くの病院で療養している。治ったら帰ってくる。」
と、聞かされていました。

3歳の私はそれを信じて待っていたのです。

保育園の友達にも、そんなふうに説明していました。
当時の私は、いつか帰ってきてくれるお父さんを、
心待ちにしていました。


やがて変だなと気がつきます。

何年経っても、父は一向に帰ってくる様子がありません。
それどころか、
「お父さんは今、どこでそうしている」みたいな話も、
一切出なくなりました。


小学生になった頃には、
“あぁ、父はもう帰ってこないのだ”
“もしかして、もう死んじゃったのかな”
と漠然と考えるようになりました。

“でも、いくらなんでも、死んだら言ってくれるはずや”
“なんかおかしい・・・”
という疑問。


しかし、事実を知るのが怖くて、母には聞けません。

聞いてはいけない、
聞いて欲しくないという雰囲気を、
私は、子どもながらに、
母から感じ取っていたのかもしれません。

そうこうするうち、うちの家では、
父の事には触れてはいけない、
という空気が出来上がっていきました。


失踪届けを出してから、7年経つと、
裁判所から死亡宣告の通知が届きます。

実際の生死は分からなくても、
家族の同意があれば、失踪者を戸籍から抹消出来るのです。


高校生になったばかりの頃、
その事を始めて母から聞かされました。

「お父さんが死んだ事になってしまうけど、
それで良いか?」と、
母は、私と弟に意思確認をしたのです。

父の話が出たのは、何年ぶりかって感じでした。


正直、私には、どっちでもええ事でした。
すでに私の中には、『父』という存在は無かったから。
「お母さんの好きにしたらええよ」と答えました。

しかし、この時でさえ、本当の失踪理由を聞いていません。

父の名前は、私たち家族の戸籍から消えました。
つまり、この世から抹消されたのです。


そこで、そのまま終われば良かったのですが、
数年後、更に酷い出来事が起こりました。


私と弟が就職した年、つまり、
私たちの養育義務がなくなった時に、
父から連絡があったのです。


20年ぶりの連絡は、父から直接ではなく、
裁判所からの通知でした。



「父はどこへ行った?(2)」へ、つづく。


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