大和郡山お城まつりの由来 ・ 大和三英傑 柳沢吉里 ~ 算命学 と 奈良歴史
奈良に関する偉人、歴史人物を、算命学の紅星先生
が鑑定し、
その足跡(観光地)を紹介するおなじみのコーナーです。
今回は・・・
筒井順慶
、豊臣秀長
につづき、仏都の守護、大和三英傑のひとり。
連動企画
【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第十三弾は、柳沢 吉里です。
(柳沢吉里 大和郡山お城まつりより)
さて・・・
大和郡山は、今、お城まつりでまっさかり

(大和郡山城)
柳沢家は、もと甲府の武田家の家臣でしたが、武田滅亡の後、徳川家に招かれました。
大和郡山城の桜

享保9年(1724)。
柳沢吉里が甲府より大和郡山に国替えとなりました。
それは、家臣・総勢五千数百人が一同に東海道、中仙道に分かれての大移動となりました。
大和郡山城入場のときに桜樹の補植がされました。
大和郡山の名物・金魚
。戦国時代、金魚は、中国から御朱印船で日本に持ち込まれました。
家臣・横田又兵衛が、国替えの際に、大和郡山につれてきたのでした
横田又兵衛のペットだったんですね。
以後、藩士の中で金魚飼育が大流行し、金魚飼育は武士の内職として続いていました。
明治になって失業した武士が、地元農民と協力して養殖を始め、全国へ出荷するようになったのです。
現在、大和郡山が全国の40%のシェアを誇る一大産業となりました。
桜と金魚。それが現在まで伝わり、桜は、全国さくら名所100選のひとつに数えられました。
観桜の行事、「大和郡山 お城まつり」を毎年開催されています。
柳沢神社は、城主・柳沢吉里の父・柳沢吉保を祭神とする柳沢家の神社です。
お城まつりでは、さまざまな高級金魚が一堂に会し品評されます。
おっきい金魚は、こわいですね。

ちっちゃいのが、いいです。

毎年4月上旬、桜花満開の頃、訪れる人たちの目を楽しませています。
世間では、暗愚・徳川綱吉のゴマすりと評されていますが、
郡山藩政においては、名君と評されていました。
大和郡山市民がたたえる武将に、筒井順慶 、豊臣秀長 に名を連ねています。
算命学カウンセラー紅星くれないぼし先生の鑑定結果は如何でしょうか。
↓
↓
↓
↓
連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
第14弾 「柳沢 吉里 」
☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:
関連情報:
第一弾、豊臣秀長 。
第二弾、筒井順慶 。
第四弾、菅原道真 。
第五弾、中将姫 。
第七弾、志賀直哉。第十二弾、森鴎外
第十三弾、正岡子規
算命学カウンセラー紅星(くれないぼし)先生のブログは、こちら。
算命学カウンセラー紅星(くれないぼし)先生のメールマガジンは、こちら。
~自分の宿命と、環境はあっていますか?まずは自分の宿命を知りましょう~
奈良歴史ミステリーハンターの奈良の歴史と観光情報は、こちら。
「奈良メールマガジン
」発行中。詳しくは
こちら
をご覧ください