エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて
~第100回目の原稿より~第7身体(ニルバーナ体)―16
~第100回目の原稿より~第7身体(ニルバーナ体)―16
今回も、マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の機能とその関わりを探求しながら、直接語る事は出来ない第7身体(ニルバーナ体)の周辺を、探求していきましょう。
前回は、東洋と西洋のスピリチュアリティの対比を切り口に、第3の眼の「観照」の機能が、第3身体(アストラル体)の次元への同化から自由になっていく上で大切だという事を書きました。第3の眼が開かれていくと、結果的に、複雑さや緊張にしがみついて人生を生きる事から、くつろいで楽に生きる事への扉も開かれていくのですね。
今回は、少し目線を変えて、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」を切り口にもして、お話を進めていきたいと思います。
第3の眼を開き、対象にブレない高みから全体を見守るならば、世界や自分に現に起こっている事がどのようなものであれ、それによって引き起こされる自分の反応は、実はそれらとは関係がないのだという理解がやって来ます。
でも、光と闇の対極が存在する第3身体(アストラル体)の次元からは、「そんなの納得出来ない!」という熱い批判がやって来そうです。
光と闇の自己イメージは、ポジティブであれネガティブであれ、この現実世界を生きていく上で役立つ要素です。と同時に、天の次元へと上昇し、高みから全体を見守る時、意識は、これら(への同化)はなくてもよいものだという視点へと開かれていきます。
自他や世界を光と闇に分断する同化の枠の中で物事を見続けながら、第3の眼を閉じたまま、おおいなる天の自由さへと上昇していく事は出来ません。
そして、上昇は、第3の次元を捨て去る事、光と闇をなくす事とは違います。その戦いもまた、第3の次元で起こっている反応です。戦う対象が外側のものであれ内側のものであれ、どれだけ高次で高潔に見えたとしても。
このあたりも、西洋のプロセスで陥りやすい部分なのかもしれません。
そして、そんな“自己イメージ”が見ている夢自体には、良いも悪いもありません。
生きた動きの世界の中では、光も闇もあり続けます。
あり続けながらも、高みから見守る事で、第3の眼差しが育まれていきます。
フルセッションを学ぶ「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」では、とりわけ講座の前半に、複数の人が静かな混乱を体験する事があります。
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」で「観る事」のいくつかの層を突破していたとしても、「プロ養成講座」に入った途端、新たな層で揺さぶりがかかる事があるのですね。
だから、講座内外でご質問を受けたりして、講師は、個々の方々へのフォローに忙しくなります。
これ迄の馴染みのある“正しさ”の概念に基づいた保証がない、心もとなさ、拠り所のなさ、落ちつかなさ・・・。
自分は、正しく出来ているだろうか?間違っていないだろうか?と。
そんな時には、
「ええ、正しくやっているという保証等、何もありません。」
「!!」
というふうに、もっと揺さぶりをかけてしまう事があります。
勿論、講座をご提供させて頂いている責任から、不安なまま参加者の方を放置する事はしませんし、呼びかけへのフォローをさせて頂いています。
と同時に、この揺さぶりは、その人の深いところにある真実への探求心を自らが揺り動かし、第3の眼を開こうともするものです。
その「!!」空白の瞬間は、その人が自分自身の固まった土壌を動かして、古からの探求の種を目覚めさせ、芽吹かせていくようなもの、と言えるのかもしれません。
面白い事に、「マウントフジフラワーエッセンス講座」に来られる人には、表層であれこれ動く思いとは別のところで、「いにしえの種」を目覚めさせる事への大きな乾きを内在している事が少なくないのです。(勿論、広い意味で言うなら、全ての人がそうなのでしょうが。)
しばしば、第3身体(アストラル体)の自己イメージは、この種の芽吹きに抵抗を起こします。でも、そのような軋轢もまた、この世界で種が芽吹いていく刺激にもなってくれるのです。
そういったところから見るなら、マウントフジフラワーエッセンスという乗り物の本質(あるいは核と言ってもいいでしょうか)は、セラピーでもなく、ヒーリングでもなく、自然療法でもなく、補完代替療法でもないのかもしれません。生きる事全体、そして、そこから開かれている「Beyond」に置かれている、と言ってもいいのでしょうか。
でも、それは、表層において、直接的に語られる事はあまりないものです。講座のエネルギーフィールドに共に身を置く事、トランスミッションのスペースに在る事で、花が携えている本質に、ひとりでに馴染んでいくのですね。
いずれにせよ、マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、概念や技法を学び、レベルアップしたからOKというものではありません。
また、自分と真剣に向き合ったからOK、植物や自然界に詳しくなったからOK、とも言えないものです。
(だからといって、NOT OKでもありません。)
これらのOKは、第3の次元の自己イメージを満足させてくれるものです。現実の次元で役立つこれらのOKを携えながらも、マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、それらを超えた高みにも同時に在る事が起こってきます。
だから、参加者の方々にとっては、過去に慣れ親しんだフラワーエッセンスやその他の療法のイメージの枠を超え、新たな次元が揺さぶられる事ともなるのですね。
第3の次元では、「ええっ、そんな事!」、「わからない~」という反応が起こるかもしれませんが、こういった反応は、まさに第3の次元のお仕事ですから、大いに反応して頂く事にしています。
現在、プロとして活躍中の方には「あの時は何も分からない中で、自分はよくやった」、修了生の方には「現実とエネルギーの次元との関係を理解して、人生変わった」等と、よく言われたりします。
技法に習熟したから、自分と真剣に向き合ったから、植物の神秘に詳しくなったから、他者に認められたから・・・。これらの確固としているように見えるものは、私達を安心させ、どこかの枠組みに落ちつかせてくれます。
ですが、これらの確固としたものに見えるものは、本当に確固としたものでしょうか。
その基準は、何処から来ていますか?
どこで決められたものですか?
いつ生じたのですか?
誰から保障されていますか?
私達は、現実に見える世界にも、内側やエネルギーの見えない世界にも、沢山の基準を設けています。そして、その事で、現実の次元でもエネルギーの次元でも、様々な層を創造しています。
私達を安心させるそれらの層は、あたかも“真実”として成長していくので、現実においてもエネルギーの次元においても、機能してくれるのですね。
それらは役立ちますし、活用出来ます。マウントフジフラワーエッセンスでも、様々なエネルギー次元を扱っています。
そして、そんなふうに、多彩な次元からのサポートを受け取るマウントフジフラワーエッセンスのセッションだからこそ、第3の眼の観照の機能が大切にもなってくるのです。
第3の眼から見渡すなら、三次元世界であれ内的世界であれ、エネルギーの次元であれ、体験する対象は、そこからの反応を含め、自分自身ではありません。思考であれ、感情であれ、光であれ、闇であれ、権威であれ、愛であれ、瞑想性であれ。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションの核においては、気づきや瞑想性といった枠も夢のようなものかもしれず、そこに、特別な優位性や区別もなく、何も言えない、とも言えるのでしょうか。
これだと思っていた夢、でもそれに対する肯定も否定もなく、確固とした保証も、確信も、拠り所もありません。
あらゆるものがあってもなくてもいい空っぽさの中で、あらゆるものと関わり遊びながら、見守っています。
そして、全てがそうある事を許す見守りの中では、何でもOKとも言えるのかもしれません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、マウントフジフラワーエッセンスがクライエントへの働きかけのツールになるだけではなく、セラピストをもサポートしてくれます。
花達は、大地に根を張って留まり、来ては去っていく体験に委ね、ただそこにいます。
彼等は、自ら意識される事もなく、ただ在る事の癒し手です。
第3の眼から見守るならば、生きる事のありのままには、何の区別も問題もなく、何の問題のなさもありません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおいて、花達のように、この世界のダンスがそうある事の許しと共に在る事は、クライエントを、セラピスト自身を、開かれた場を、行為する事なく変容します。
マウントフジフラワーエッセンスの花達は、人生は、変える事なく変容するという理解へと、私達の3つ目の眼を開いてくれるのです。
(つづく)
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