「人生の午後」

それを初めて目にした時
シニアになった時のことかな
なんて一瞬思っちゃった(笑)



人生には
午前と午後がある。

午前は
自我を自分だと信じて
自我の声に従い
生きる人生。

午後は
自分が霊的な存在であることを知り
その自分として
生きる人生。

 

 

 

それを知った時が

いや、厳密に言うと

そうだと実感した時が

私の人生にありました。

 

ただ訪れた

不思議な感覚

 

それを

ひとつの表現としては

「シフト」とも言うことを

映画「ザ・シフト」で知りました。

 

2011年頃だったと思います。

 

その時

こんな言葉を綴りました。

 

 

何もかもがうまくいかず

出来事は悪い(と感じる)方へと

どんどん流れていき

つらいことばかりの毎日でした。

 

希望のかけらもなく

自分がただ呼吸をしている

肉の塊のように感じました。

 

一生このままで

終わるのではないかとさえ思った

そんな、地を這うような4年間。

 

それは不運や罰や

仕打ちではありませんでした。

 

また

私自身が堕落して

ダメ人間になったわけでも

ありませんでした。

 

自分は何もおかしくなかった…

 

そう、私は変容の旅をしていたのです。

 

 

エイミーのサイト

「エイミーからのメッセージ」より抜粋

 

 

私たちには

人それぞれの人生があるし

誰かと同じということはないし

 

それでも

その人それぞれの過程を経て

人はみなシフトするのでしょう。

 

 

 

 

人生の午前から午後へと

シフトしていく過程で

 

私の中には

恐ろしいことが起こっていました。

 

厳密に言うと

その時の私が

「恐ろしいと感じる」ことが。

 

 

 

ある時を境に

 

それまで

私自身の中にあった

 

これがよい

これが好き

これはこういうもの

これはこうなっている

こういう時はこうすればいい

 

そうしたものが

すべてなくなってしまいました。

 

なくなったと言うか

すっかり色あせてしまい

 

もはやそれを

自分のものにしておくことが

できなくなりました。

 

それらに魅力や心地よさ

信頼を感じることが

まったくできなくなったのです。

 

私の中は

空っぽになりました。

 

そして

どうやって生きていったらいいのか

まったくわからなくなりました。

 

それと同時に

私のあらゆる仕事が

パタリとなくなりました。

本当に、パタリ、と。

 

 

 

それは

私の心の中で

ひっそりと起こっていたこと。

 

今でこそ言葉にしていますが

当時は
何が起こったのか理解できず
言葉にすることもできず
ただただ苦しくて

自分の人生はここで終わって
あとは命が尽きるまで

心を凍らせたままなんだろうなって

思っていました。

 

ただふらふらと
さまようように
生きていたんです。





どんなに苦しくても
目の前には家族がいて、生活がある。

体を引きずるように
外でパートをし
当時の茨城県の最低賃金の時給で

働いていました。

それまで
セラピストとして
かなりの収入があった私は

働けど、働けど
わずかばかりの収入の仕事と
職場での苦痛な人間関係で
精神的にどんどん擦り減っていきました。

働くだけでは足りず
借金もしました。

こんなはずじゃなかったのに…
何がいけないんだろう…
どうしたらいいんだろう…


問うても問うても
答えはありません。

素敵な偶然も
思いがけない出来事も
何もありませんでした。

愛だの、神だの、スピリチュアルだの
耳障りのいい話には腹が立つだけ。

自分からシャットアウトしました。

何も考えられないまま
何も思い浮かばないまま

とにかく
朝起きて仕事に行って
帰ってきて寝る
そんなふうに過ごしていました。



そんな日々が4年ほど続きます。

そして、ある日
ある出来事をきっかけに
私に不思議な感覚が

いえ
不思議と言うか
本当に求めていた感覚が
訪れました。

それはまるで夜明けでした。




その感覚とは
 

なにもないのに
すべてがある、そんな感覚。

 

物質的なものや

状況の何かには

一切関係なく

 

欲しい、必要と

思っているものは何もないのに

 

すべてがある、そんな感覚。

 

自分はなんて豊かで

幸せなんだろう、って。

 

 

 

頭では

そんなこと思っちゃダメだ!って

自分に言いました。

 

こんなに苦しいのに

こんなに何もないのに

幸せって思っちゃダメ!って。

 

けれど

そんな頭の中の声は

その満ち足りたやさしい感覚に

包まれて消えていきました。

 

 


その出来事を境に
私の知覚がまるっきり
変わったのです。


理由はわかりません。

ただ変わったのです。
変わってしまったのです。

 

 

 

ちょうどその頃です。

 

冒頭に書いた映画「ザ・シフト」

観ることになったのは。

 

冒頭の字幕に

こうした文字が現れました。

 

人生の午後は
予期せぬ時に訪れる。


しかし、最初のうちは
それまでの心理と価値観が
正しいと信じている。


だが、人生の朝と午後では
プログラムが異なる。


人生の朝に輝いていたものは
午後に輝きを失い
人生の朝の真実は
午後に偽りとなる。

 

 

心理学者C・G・ユングの言葉です。

 

この言葉に出会った時

号泣しました。

 

そして、綴ったのです。

 

(苦しい4年間)それは不運や罰や

   仕打ちではありませんでした。

 

   また

   私自身が堕落して

   ダメ人間になったわけでも

   ありませんでした。

 

   自分は何もおかしくなかった…

 

   そう、私は変容の旅をしていたのです」

 

私は知ったのでした。

 

自分に起こっていた出来事が
一体なんなのか。

 

 


私の涙は悲しい涙では

ありませんでした。

 

何かがほどけるような

うまく言えないけれど

 

うれしくて、うれしくて

愛がどんなものかさえ

わからないけれど

 

見放されるどころか

こんなにも愛されているのだと

大切にされているのだと

感じたからかもしれません。

 

すべてが計らいだったのだと。

 

それも今言葉にしていることで

その時はわけもわからず

ただ涙が溢れてきました。

 

 

 

そんな出来事があって

「何か」が私の中で確実に

変わりました。

 

それから

それまで目にすることのなかった

人間の本質的なことや

意識の目覚めに関する情報が

まるでチャンネルを変えたみたいに

どんどん飛び込んでくるように

なりました。

 

また

好きでやっていたデザインに

お仕事としてのお話が

来るようになり

生活が潤うようになりました。

 

それまでとは違う

新しい出会いが

どんどんやってきて

その人たちと笑顔になったり

新しい何かのきっかけをつかんだり

していきました。

 

それにより

私の世界は

少しずつ変わっていったのです。

 

 

 

それまで

空っぽだった私の中は

どんどん「これだ」というものに

満たされていきました。

 

それは

かつての自分には

ないものでしたし

かつての自分なら

受け入れないものでした。

 

乾いた体が

美味しいお水を飲むように

私はそれらを自分のものに

していきました。

 

 

 

私に起こったシフト。

 

人生の午前から

人生の午後へと

移り変わる過程。

 

自分の中のものが

すべてなくなってしまった感覚。

 

それまで自分にあった

確固たるものを

すべてを

 

もう自分のものに

しておきたくないと

「何か」を求めながら

何にも手が届かなかったあの時。

 

そうした時期を経て私は

たどり着くところに

たどり着いたのです。

 

 

 

▶︎つづきの「人生の午後 2」はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

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