問題の背景を別の視点から | ふじなまさきなまの「俺は強い」

ふじなまさきなまの「俺は強い」

偉そうに「俺は強い」と威張っているように見えるかもしれませんが、弱いから、強くなりたいからこう言ってるのです。「そうなりたい」と願う「アファメーション」です。

たなかさんからのコメントに応える(?)つもりで。


まず、国際的に見れば 個人登録制度 が当たり前とのこと。


そうだろうと思います。

なんせ、これほど スポーツ活動を学校に頼ってるなんておかしい位なのですから!


だから バレーボール教室 などをやるにも、有料で開催するのが難しい。

まだまだ日本では、一部を除いて、「スポーツをやらせてもらうのは只が当たり前」なのですよ。
一部というのは、スイミングとか体操クラブだとか、テニスクラブ、フィットネスクラブなど。
そのあたりはお金を出してみんな行きますね。


でも、学校の部活動が一生懸命背負っていればいるほど、有料のクラブ化は難しくなるようです。


ママさんバレーボールなどは、体育館使用料が有料なくらいで、

所属して指導してもらうのにもほとんどかからないのではないでしょうか?
自分も筑波にいたときにママバレの指導をさせてもらいましたが、

お小遣い程度のバイト代。

あのころはそれで全く構わなかったのですが、

日本のスポーツ構造を考えると、

もっと誰もが

「スポーツを指導してもらうことにお金を払うのが当たり前」

という感覚になった方が良いのかもしれません。


学校教育現場には、

「部活動を学校の活動から切り離した方が良い!」

という根強い意見があります。


そりゃそうでしょう。


休日出勤も時間外の指導も、ほぼ全てボランティアに近いのですから。


どうも教師がお金のことを語るのはセコイように考えられますが、

休日に試合などで1日中引率しても、手当は2000円に満たなかったと思います。

(実はまるで気にしていないので良くわからないのですが^^;)


8時間で時給250円!

しかも、現状試合期にはその1ヶ月ほど前から、土日はほぼなくなります。


イヤならやめれば良いじゃないか。

と、言われるかもしれませんが、俺は嫌がってません。

自分が好きだから。

そうじゃない先生は、こんなボランティアやらないでしょう!


先生よりもその家族に聞けばどう思われているかが良くわかると思います。


さて、そのような実状があるから、今回のような制度の実施は、簡単には行かないのです!


それをわからずにやっているとしか思えないから腹立たしいのです。


はっきり言います!


個人登録制度 は、それ自体は国際的に見ても、

我が国のスポーツ環境をある意味で健全かするためには、悪いことではないのです!



このことを充分に理解している上での反対なのです!


「海外は昔からやっている!」

といくら主張したところで、歴史が違うのです!


それこそ、スポーツエリートは高く評価され、尊敬され、

多くの人たちがスポーツに熱狂し、

大統領も仕事をそっちのけで、スーパーボウル観戦に行くような国とは違うのです!
(その国の批判ではありません。)


日本ではまだ、スポーツエリートは、多くの場合「筋肉バカ」とされ、

勉強が出来ることや、芸術的に素晴らしい才能を持っていることよりも、低く評価されているのです。


歴史や文化の問題です。

日本には古くから「武道」はありましたが、スポーツはありません。

まともにスポーツが登場したのは昭和といっても良いでしょう。
それ以前、「武士」は所詮、士農工商という肩書きがなければ上にいられず、

はっきり言えば、農工商には心からバカにされていました。

その延長線上に有る感覚なのではないかと思ってしまうほどです。

本校の初代校長である 嘉納治五郎先生 が、柔道を武道として教育の場に降ろしました。
それは素晴らしい功績です。

その後、様々なスポーツが 「教材」 として学校教育に入りました。


しかし、戦争という悪しき時代に、そのために身体を鍛えているかのごとき教育がなされ、

体育は教練となり、それはそのまま戦後になっても未だに、「体育は躾け」のように考えられ、

学校で警察官のように振る舞うのは体育教師であり、

体育教師は怒鳴って静かにさせることを一番の仕事として求められる。

(幸い筑附はそうではありません。ま、でも、我々が笑顔で朝礼台に登っただけで、静かになりますけど^^;)


そのためそれに反対するかのように、「楽しい体育」が語られ、体育のスポーツ化が促進された。

しかし 「体育」 は 「スポーツ」 ではない。

「スポーツ」 は 「体育」 の 「教材」 なのだ。

だから本当は 「日本協会」 の上にある 「日本体育協会」 は、

そろそろ 「日本スポーツ協会」 に名称を変更すべきなのだ。


日本協会も日本体育協会も 「体育」 をやっているとは思えない。

競技スポーツの総本山として、各種目とも世界で勝つためのことを考えているような気がしてならない。

それは 「体育」 とは異なる目標設定であり、機能なのだ。


そして、下手をするとその感覚がそのまま 「体育」 で語られるから、

「スポーツの不得意な者」 がダメな生徒とされ、

不得意な者は体育が嫌いになる。

多くの人たちを 「体育嫌い」 に育てているから、

日本のスポーツは、 「個人登録」 せず、 「スポーツエリート」 を評価せず、

「有料ではスポーツを楽しまない」 人々を作り出してきてしまったのだ。


だから難しいのだ。


だからもっと慎重にコトを勧めないと、誰にも理解されず、反対派を生みだし、

結局は日本に正しいスポーツ文化が発生して行かなくなるのだ。


今回の決定も、下々のことはお構いなしに、「体育会的高圧的態度」 で、決めようとする。

(本当はこの 「体育会」 という言葉もおかしい。だから東大は「運動会」と言うらしい。

 それも...とは思うが、その方が正しいのだ!さすが東大!)


いい加減にして欲しいのだ。

だからいつまでも スポーツバカ としか言ってもらえないのだ。


ということで、

今日は、「個人登録制度」の根本的な問題点と、日本のスポーツ・体育のあり方という話でした。


日本協会には本気でもう少し考えてもらわないと、日本のスポーツ界が終わってしまう。


そうでなくても、いろいろな醜聞が、いろいろな協会から聞こえて来るではありませんか!


少し前に新しく日本バレーボール協会の会長になられた 


立木正夫氏(サントリー株式会社顧問)は、


これらのことをどのようにお考えなのだろうか?


いつになったら、ここ数日の意見に対抗してくれる意見が寄せられるのだろう?

どなたか匿名で構いませんから、議論をしてくれませんか!?


協会関係者大募集!