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※参考文献:写真共にウィキペディア等

 天照大神も当然気になるところでしょうが、私はそれ以上にもっと気になる登場人物がいました。

いや人物というより神様として山海経には出てきます。

それは・・・・女媧(じょか、拼音: Nüwa)です。そう・・・あのマニ法典に出てくるものは、既にこの時点で有ったのです。

古代中国神話に登場する土と縄で人類を創造したとされる女神。笙簧の発明者

※笙(しょう):あの雅楽で使用される楽器

※簧(した):リードの事。と一緒で笛的なもの

伝説の縄の発明者葛天氏と同じく伏羲の号に属するとされる説と、三皇の一人に挙げる説がある。

※葛天氏とは?古代中国の伝説上の帝王の名。伏羲の号を継ぎ、治めずして治まった時代の帝王とされる。葛の茎を煮て繊維を抽出し、三つの束を撚り併せて糸や縄を創り、衣を創ったと伝えられる。日本の江戸時代には、昌平坂学問所において、縄、衣、歌、舞の発明者の名として講談された、

 

姿は蛇身人首と描写される。姓は風、伏羲とは兄妹または夫婦とされている。

私が何度も勝手に削られたイラスト。

定規とコンパスを持っています。これが何を意味するかわかりますよね・・・・

本当の創造主はこちらだと思います。

 

伏羲氏と女媧氏

 

【書物に残された伝説】

女媧が天下を補修した説話を載せている。古の時、天を支える四極の柱が傾いて、世界が裂けた。天は上空からズレてしまい、地もすべてを載せたままでいられなくなった。火災や洪水が止まず、猛獣どもが人を襲い食う破滅的な状態となった。女媧は、五色の石で天を補修し、大亀の足で四柱に代え、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたとある

 

【何と!日本にも伏羲氏と女媧氏の痕跡が有る?】

道教神である女媧・伏義信仰が日本に渡来した時期に関しては、早い時期で紀元前1世紀(弥生時代中期)説がある。その説(考察)によれば、鳥取県国府町所在の今木神社が所有する線刻された石に描かれた胴が長い人絵が女媧・伏義に当たるとしている(石の大きさは、直径75センチ、短径63センチ)。

こちらは地元の方のお散歩ブログよりお借りした写真。ここにはペトログラフの岩がある

(^_^;)凄いですね~

調査によれば、「鳥」「虎」と読める漢字も刻まれており

その書体から中国山東省に残る「魯孝王刻石」(紀元前56年成立)にある「鳳」の中にある鳥が最も酷似し、隷書体の中でも古い時代にある古隷の書体と考えられている。『淮南子』(前2世紀成立)では、「鳥」は無道・殺りくの神を表し、「虎」は兵戦の神を表している。このことから、「天地再生・人類創造の神である伏義と女媧に祈り、兵戦の神(虎)と無道・殺りくの神(鳥)を遠ざけ、災厄の除去を願ったもの」と解釈されている(しかし、この神の性格が兵戦の神(虎)と無道・殺りくの神(鳥)である可能性も考えられる)。刻石自体が亀甲と形状が類似することから、甲を用いた占いと共通し、『淮南子』の知識を有したシャーマンか王が用いたと考えられている。

記述としては、『続日本紀』慶雲3年(706年)11月3日条に、文武天皇が新羅国王に対して、「昔の女媧のように石を練って天を支える才能もなく(以下略)」と中国神話を引用した文書を送っていることから、少なくとも律令時代には認識されていたことがわかる

~以上~

 

 私見ですが、これは伝わったというより、大陸が繋がって、それぞれの地域の帝王がいたとする山海経の話が真実ではないかと思います。

するとこれは、伝来というより一つの大陸の物語が、今木神社に残っているだけでは?と考えます。

皆様はどう思われますか?

さて・・・・こんな広大なロマンを見てしまった読者の皆様・・・・・

しかしこの話は更にスケールが大きくなってくるのです・・・・・・

実はあの場所と繋がっていると思うんです。というより全ての歴史を紐解くと見えてくることが有るんです・・・・

次回( 'ω'o[ 宇宙への旅路です  ]o

お楽しみに♡

 

続きは→その17