~プロローグ~
富士山の六角堂の岬に墨染の坊さんの姿が見え、指を指した方向を同行した人が写真を取ると黒い影が岬に立っていた。
彼女に言うと「それは日蓮じゃないの」と・・・・
私は当時物を知ら無さ過ぎた。というか宗教全般に興味ないんで。ただ人の霊魂は元々見える体質では有る。
私は彼が天候を変えている姿が見えた、荒波を鎮めるために祈っている姿・・・・彼はこの岬に良く来ていたようだ・・・
これはエネルギーの渦だと感じた。
私は、咄嗟に天候をコントロールした痕跡と感じた。しかし・・・いつも霊視が先に有りきの私。この話は実に面白い真実に結びついていた。
私はこの渦を見た時に
当時自分で書いたもの。こう思ったからなんとなく書き留めて居た。これを見せると、大本教関連の人が驚いていた。そもそも何で知識がないのにこれを書けるのかと?
そうです、私は感性で書いたのですが、最近調べてはっきりわかった事があるんです。
そもそもこの渦の件は、実は琵琶湖に行った時も感じていました。
私の実際の実際の記事の一部です→実際の記事全部はこちら
私は、某湖にて、右に回転する龍を見たので、今度は左に巻かなければいけないと感じたので
~以上~
そうなんです、某湖とは琵琶湖の事です。
しかし、この話実は・・・こうい事だったんだと、最近はっきりわかりました。
【相曽誠治氏(古神道研究家)の見解】
素粒子には、宇宙から、右に渦を巻きながら落ちてくるものと、左に渦を巻きながら落ちてくるものがある!
これは、降龍、昇龍の渦と同じ概念になります。
地球からも、つまり、大地の足元からも、同じように、左右の渦巻きが放射されています。
~以上~
因みに
右回り(時計回りは)パワーをあげる。体が元気になる
左回りはパワーが下がる。体が衰えたり病気になる
つまり、私の書いた図は、荒波パワーを落とすなら断然左回りで、正確な図だったという事です!
そして日蓮は龍使いで本当に天候をいじっていたのでしょうね。それは日蓮のシリーズでも書いた通り雨乞いマンダラの伝説でも良くわかりますね。
そこで初めて日蓮を見掛けた私ですが、その後話しかけられます。
枕元に立った彼に、何を言われたか?
「私の代わりに七面山の頂上に行ってきて」
ぶっちゃけ面倒くさいなと思ったWだって私は日蓮宗の信徒でもないし、山は見るもの。登るもんじゃないしと豪語するタイプ。高尾山を登るのもギリギリな性格。
しかし、このじいさん結構うるさい(信者の人ゴメンなさい)というのは多分一本気な性格ゆえ、こうして欲しいと決めたらやるまで結構色々言われた。
多分私に言ってきたのはチャンネルが合うからだろうね。別に誰でも良ければ誰にでも言っていると思うし。
しかし、やっぱり本人だと確信したのは・・・・
山頂近くに行ったら「日蓮本人は死ぬ間際まで七面山に登りたがっていた。しかし、願い叶わず死んだ。弟子が彼の意思を引き継ぎ代わりに登頂したら岩の上に七面大明神が君臨した」と書いてあったからだ。
成る程・・・・この看板を読んで、私も代わりに行かされた訳だと妙に納得しました。
しかし・・・【何故こうも日蓮は山に登りたがったんでしょうか?】
次回はそこにツッコミを入れ、果たして私たち人間にとって山とは何か?どうして山がそんなに神聖だと有り難がたがられているのか?
そんな疑問を解決しながら、彼の心情風景に迫っていきたいと思います。
続きは→その2