たかちほのブログ

読者申請はお気楽に( ^ω^)_凵どうぞ。表示でお願いします。
アメンバー仲良くなった方のみにさせて頂いて居ます。

白蛇様は居るよ。居るけど見えないだけさ・・・




東の国に・・・・

現れ出る・・・・

箱・・・・


ファルコンは実在した




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昨日作った記事ですが、かなり重要な部分だと思います

必見

 きっと皆様題名に驚いたんじゃないんでしょうか?いつもの調子だと何を書くんだろう(;´д`)と思ったかもしれませんが(笑)先に言っておきますが、芸能人を見る感覚かもしれませんがが私は天皇家は上品なイメージだし好きです。

しかし、真実と、好きという事は別に考えています。

 

ネット上の情報はきちんとした情報源かどうか見極めないと・・・・

洗脳とは全体を見ないで一方向からしか見ないと成立するものであろう

現に、神社や寺は滅茶滅茶にしされていますから、遡って検証すれば答えが出るのに、自分の観念だけで答えを探そうとしても時間の徒労に終わるんだと自分の経験から思っています。

 

【明治天皇のすり替え話は案外答えが簡単に出るのでは?と思っています】

それは信仰を変えたという暗示かも知れないと思います。

というのは、皆様天皇家=神道って思っていませんか?

あっ、当たり前だろ

たかちほ何言ってんの(@_@;)今更

と大部分の人が思うことでしょう

 『実はそこが大きな盲点なのですよ』

天皇といえば、現人神・・・・スピ本から神社系知識を得てしまった人は飛鳥氏の話にも出てきますね。

しかしです・・・・天皇が神君子として世にデビューしたのっていつだと思っていますか?

実は明治なんです

今までと違った大掛かりな変化は伊勢神宮を歴史上はじめて天皇が参拝したことで、これによってアマテラス信仰と天皇を現人神とみなすシナリオが動き出した

伊藤博文をはじめとした天皇集権作戦の大成功がここで決まったという訳だ

明治憲法は、たくみに二つのことを一続きの政治意匠に仕立てている
 第1条では「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」としながらも、他方、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攪シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」というように、第55条で「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」というように、それぞれ規定することによって、国体の体現者としての天皇は、同時に立憲君主として憲法と議会と政府に巧妙につながっていったのである

※これも誤解なきように言っておきますがミステリーテラーとしての飛鳥さんは好きですが、ですが・・・・この明治維新の時の天皇の現人神は明治政府が作ったものだという事実をどうして抜いてしまっているんですか?天皇=アマテラスという考え方は相当近代に確立されたという事実はどこへ行ってしまったのか?

 

現に記紀によれば、天皇(当時は大王)と仏教の関わりは6世紀の欽明天皇に始まる

 
つまり、天皇自体も神仏習合信仰でした。
その一例を以下に書きます。
 

大嘗祭は仏教の火葬によって確立された

持統自身は違った。孫である文武へ初めての生前譲位を断行し、そのまま大嘗祭で穢れなき天皇霊を継承させた。そして自らの死に際しては火葬を命じたのであった。それでも、崩御した持統には約一年の殯が施されたが、遺命通り火葬に付され、夫帝が待つ大内山陵に合葬された。以後、例外はあるが、皇位継承として、生前譲位→新帝の大嘗祭→先帝崩御→火葬→埋葬、あるいは先帝崩御→新帝即位→先帝の火葬→埋葬→新帝の大嘗祭、という流れが定まった

 
平安以降は仏教こそが「国教」であった

平安時代となり、空海と最澄が唐に渡り、密教という霊的呪術を日本に導入した。天皇以下貴族はこれに入れ込み、加持祈祷(かじきとう)が天皇と日本を防衛することになる。宮中では毎年正月、神道による前七日(第一週)の節会の後、八日からの第二週、今度は空海ら密教僧による「後七日御修法」が行なわれ、玉体(天皇)の安穏を祈願していた。また、最澄の延暦寺でも、国難など大事の際は「安鎮国家法」という法会が催されていた[注5]。

平安京大内裏には、空海の進言によって真言院が建てられた。それは陰陽寮や神祇官(神道の役所)の建物よりも内裏に近い位置にあった。ここで、玉体の代わりに玉衣が「後七日御修法」による加持を受け、外部の邪霊・悪霊から天皇を守っていた。それは、毎秋の新嘗祭(真言院のすぐ横にあった中和院で挙行)で神と新穀を食すことで、内部から玉体と天皇霊を賦活(ふかつ)する神道呪法とちょうど対になっていたのだ。

 

天皇に愛された最澄は伝教大師、空海は弘法大師と尊号を賜った。ますます皇統の仏教への傾倒は続き、出家した上皇を「法皇」と呼ぶように、僧職は皇族や貴族たちの隠居後の仕事ともなった。門跡寺院が次々に誕生し、そこはいつしか皇族たちの菩提寺となる。鎌倉時代に入り、公家方が敗れた承久の変の後ち、受け手がなかった天皇葬儀を引き受けた京都の泉湧寺が以後、皇室の菩提寺となり「御寺」(みてら)と呼ばれ、明治に至ったのである。

 

中世における天皇と仏教との関わりの象徴に後醍醐天皇の例を挙げておこう。後醍醐天皇の肖像は、まさに神仏に守られた天皇として描き出されている。中国皇帝風な衣の上に僧が着る袈裟(けさ)をかけ、両手には密教呪具を持っている(その所作は金剛サッタの変化身であることの表現)。さらに、仏菩薩が乗る壇上に坐しているのである。背後には「天照皇大神」などの神名が掲げられているが、それも本地仏である大日如来の威光の表現かも知れない。

~以上~

 

これは私だけが書ける情報ですが、神道護持の頂点の人が、空海と皇族が関わりが強かったのは、お宅に伺った時、空海のお寺の部材が使用されていた事。空海の仏像がある事からもよくわかりました。

本来だだの神道一派なら必要ないでしょ?天照の像を飾っている筈です。

 

最初?どうして?という疑問の方が強かったですが

※アークをしょう事になっている一族だからなのか?アークに関係あるから=アークを隠した空海と縁が深いからかな?と思っていたのですが、実は皇族自体が上のように仏教を信仰していた時代があったからでしょうね。

 

アマテラス=天皇というのは政府の方針であり真実とはまた別でしょうね。

すると剣が・・・・見たことさえないという話もうなずけます。

参考文献

山折哲雄『死の民俗学』岩波現代文庫
黒田日出男『王の身体 王の肖像』平凡社
安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書

 

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前回は→その1

※引き続き、自身の魂のルーツを知りたい人達向けに書いているので、興味のない方はスルーして下さいねm(_)m

 

~私は今、こうしてこのシリーズを書き綴って皆様にお話出来る事を非常に嬉しく思います。

皆が見えた事も含め・・・・全てが繋がっているんです。私達は一つでした。

今の様なバラバラな世の中と違うんです。

今日というこの良き日に・・・・私は胸が何故か一杯です・゜・(ノД`)・゜・~

 

そこは全てが輝き渡っている様な大地でした。

私達はそこに生まれ育ちました・・・・・

綺麗な木々や森・・・・

綺麗な太陽・・・・澄み渡る空気と風・・・・・

水は綺麗で水面が煌き・・・・・・・

そこには、今で言われるような自然破壊もなく・・・・・・・        

私達は毎日笑い・・・・・笑ってない人が一人もいないんです

この女性がノアに生まれ変わり、小さい子は我が子に生まれ変わっているようでした。しかし当時は私の子供ではなかった。

どこからやって来たかはまだ見えませんが、いつの間にかここに居て、どうやらお稚児様の様な存在だった様子です。

 

子供達は血縁関係なく大人皆から可愛がられていました。子供達は皆の財産で皆で育ている様な気風があった様子です。

取り分け・・・・能力の高いこの子は霊力も強く将来高位の巫女として将来を嘱望されていたようでした。

この女性が、非常にこの子を特別に可愛がっていた事が見えます。

この女性は子供好きでしたが、取り立てて・・・・そう特別に大切に思っていたようでした。

私達は平和で・・・

私達は健康でした・・・・

神殿にはとても大きなお風呂が有りました。風貌はローマ風呂に似ています。花は菊の花。

あの世界に戻りたい・・・・・・

見えた人は皆私に口々に言ってきます。それ程今という生きづらい世の中と違い風光明媚な素晴らしい世の中だったのでしょう・・・・・・

 

どういう訳か・・・健康的な暮らしをしているせいなのか『病』という文字が見えません・・・

そんな楽しい暮らしも強欲な者たちの出現により状況が変わって行くのでした・・・・・

 

これは皆の見えた事も私と共通しているようですが、私達は白い貫頭衣の様な物を身に着けいています。

私は頭に榊の冠を被っています。現代に生きるたかちほは榊???ローレルとかじゃなくて?と不思議に思ったのですが・・・・・

富士山の近くの、神社に木花開耶姫の絵が有り、この絵のように輪っかにして榊らしきものを被っていたので、某神社に質問しました。

すると・・・・「昔の巫女は季節の花を頭に指したり、神聖な葉もこのようにしていましたよ」

という回答を頂きました。

つまり「たかちほが見えた事は実在している事柄な様子でした」

 

そして、このように白い服を着ている我々のチームをよく思わないものが出現しました。

その集団は反抗的で、我々がおしなべて白いものを好んできているのに対し、わざと・・・

でしょうかね。黒い服を着ているものが見えます。

喧嘩をけしかけるような感じで・・・・昔で言う愚連隊でしょうか・・・・・

綺麗な心だらけの我々に対し、全く真逆の存在だったと言えよう・・・・・・・

 

次回は、この集団と我々の対立が始まります。

実は過去世が見えている私だけではなく、ノアにも昔の記憶が有り、アークが見えていました。

だから「アークはたかちほが、見つける」とこの頃から思っていました。つまりブログを書き始めてまもなくで気が付いていたという事です。

 

続く

 

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スパム等があったわけではないですが、少しの間メッセを塞いでいます。

アメンバーさんだけには後で理由を教えます

もし、お急ぎの用件がある場合はコメントに、認証しなくてよいですと明記して頂ければ認証しないで答えをメッセにて返信しますので、そちらからどうぞ。

コメントは通常通りに出来る様に設定しますので、コメントしてくださる方は引き続き宜しくお願いしますm(_)m

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前回は→その21           最初は→その1               

 

【仏教成立時代】

今からおよそ2500年前(紀元前5~4世紀)に、ゴータマ・シッダールタ釈迦)の思想や言動が中心になって生まれました。

【当時の日本は弥生時代】

今から約2500年前、大陸から北九州に渡って来た人々によって、稲作とその技術が伝えられました。
佐賀県唐津市の菜畑遺跡は、日本最古の水稲耕作が行われた水田跡です。

この関係をまずは頭に叩き込むようにお願いしますm(_)m

仏教成立時代=日本では弥生時代

で・・・・・・・・・・・
以下を読んでみて下さいm(_)m
 
※女媧氏とは仏教の前身になるマニ法典に出てくる神様。もっと古くは山海経に出ています。

【何と!日本にも伏羲氏と女媧氏の痕跡が有る?】

道教神である女媧・伏義信仰が日本に渡来した時期に関しては、早い時期で紀元前1世紀(弥生時代中期)説がある。その説(考察)によれば、鳥取県国府町所在の今木神社が所有する線刻された石に描かれた胴が長い人絵が女媧・伏義に当たるとしている(石の大きさは、直径75センチ、短径63センチ)。

こちらは地元の方のお散歩ブログよりお借りした写真。ここにはペトログラフの岩がある

(^_^;)凄いですね~

調査によれば、「鳥」「虎」と読める漢字も刻まれており

その書体から中国山東省に残る「魯孝王刻石」(紀元前56年成立)にある「鳳」の中にある鳥が最も酷似し、隷書体の中でも古い時代にある古隷の書体と考えられている。『淮南子』(前2世紀成立)では、「鳥」は無道・殺りくの神を表し、「虎」は兵戦の神を表している。このことから、「天地再生・人類創造の神である伏義と女媧に祈り、兵戦の神(虎)と無道・殺りくの神(鳥)を遠ざけ、災厄の除去を願ったもの」と解釈されている(しかし、この神の性格が兵戦の神(虎)と無道・殺りくの神(鳥)である可能性も考えられる)。刻石自体が亀甲と形状が類似することから、甲を用いた占いと共通し、『淮南子』の知識を有したシャーマンか王が用いたと考えられている。

記述としては、『続日本紀』慶雲3年(706年)11月3日条に、文武天皇が新羅国王に対して、「昔の女媧のように石を練って天を支える才能もなく(以下略)」と中国神話を引用した文書を送っていることから、少なくとも律令時代には認識されていたことがわかる

~以上~

 

この部分について詳細を見たい方は以下の記事を見てみてください。※このシリーズの過去の記事になります

これが何を示すか分かりましたか?

そうです仏教が日本に伝来したのは?そうです。飛鳥時代ですよね?

しかし、じゃあどうして仏教が伝わる前の弥生時代にに女媧・伏義がこの神社に書かれているんでしょうか?

 

実はこの答えは普通に考えれば簡単だと思います。

 

そして、扶桑国ってあの日蓮も自らがしたためた、書物にも書いていましたよね?

扶桑国とは日本の事と山海経に書いてあるんです。奇書扱いと言う人もいますが、

反論する人はこう言うでしょう【奇書だから妄想では?】と・・・・

しかしじゃあどうしてその本の内容と同じものをこの神社で書けるのでしょうか?偶然の一致では?と言い訳しますか?

しかし籠神社の社殿にはありますよね?日本と大陸は繋がっていたと。中山氏も言っていますし、飛鳥という人も書いていましたよね?

 

プレートの動きを反対にすればくっつくことは誰の目から見ても明らかです。それは科学的見地からも言われている事なので、たかちほの思い込みでもありません。

 

今より文明が遅れていたはずとアカデミックはしたいはずですが・・・・・

じゃあどうしてこんなに離れた日本の事を書けるんでしょうか?同じものがあるという事は何らかの交流が有っただろうと容易に推察できます。後は段々に動いて移り住んだとか

 
今木神社のこの文字を見る限り。仏教が出来た当時にはすでにマニ法典が伝わっていたか?仏教が伝わっていた可能性が高くなるんです。

 

つまり、日本の土着にあった宗教ってマニ法典に近いものか、仏教だとどう見ても思いませんか?

~以上~

 

すると・・・一つの説がもろくも崩れ去ることになります。

それは日本古神道=キリスト教の流れ

です。日ユ同祖論ではそのように主張していますが・・・・・

 

キリスト教が伝わる前から龍神伝説がすでにあるってことになります。

マニ法典か仏教を元としたね。決してキリスト教では無いでしょう。

 

紀元1世紀中頃、イエスの死後に起こった弟子の運動(初期キリスト教運動)が、キリスト教の直接的な起源である

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

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※これはメッセを頂いた読者様の知識に対して思うところが合ったので取り急ぎ私のメモのようなものです。興味ない方はスルーで宜しくお願いします。

どうも有難うございます。持つべきものはブロともさんですね

ヽ(・∀・)ノ

皆様の豊かな知識には驚かされる事が多いですm(_)mたかちほは全体を見られる体質の持ち主だとは思うのですが、マニアックな知識は良い意味でオタクなみの人の方が持っていたりします。私はそこまでわからなかったりしますから・・・・・

 

【旧約聖書より】

アークとは約3000年前、シナイ山でモーゼが神から授けられた十戒を刻んだ2枚の石板をしまった箱。サイズは112×68×68cm。アカシヤで造られ、金箔で内側、外側を覆われている。アカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作る。四つの金環を鋳造し、それを箱の四隅の脚に、すなわち箱の両側に二つずつ付ける。箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す。棒はその環に通したまま抜かずに置く。この箱に、わたしが与える掟の板を納めなさい。次に、贖いの座を純金で作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマとする。打ち出し作りで一対のケルビムを作り、贖いの座の両端、すなわち、一つを一方の端に、もう一つを他の端に付けなさい。一対のケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作る。一対のケルビムは顔を贖いの座に向けて向かい合い、翼を広げてそれを覆う。この贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱にわたしが与える掟の板を納める。わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。
- 出エジプト記 25:10-22

 

これは、どんな事を言ってもキリスト教の元ですから否定はできませんよね?

つまりアークは元からあるものではなく作るものなのです。

サイズは預言者だからわかったのです。預言書と予言者は似ていて異なります。

予言者は未来を当てる人という意味。予言者は神様の声を預かれる人。つまり聞くことの出来る人の事です(神が予知した話もあるので、予言も出来るとは思いますが)

彼は何故、箱のサイズがわかったんだと思いますか?

そうです絶対神が教えたからです。

 

しかし、歴史の狭間で消えたり出たりするのはなぜだと思いますか?

 

【消えた例は色々ありますが、これはほんの一例です】

紀元前970年~のソロモン王の統治下、エルサレムに神殿を造り、至聖所と呼ばれる内陣にアークを納めた。旧約聖書によると1年に1回、祭司たちが外にアークを運び出した。しかし紀元前900年以降突然消えた。

ソロモンは、そこでイスラエルの長老、すべての部族長、イスラエル人諸家系の首長をエルサレムの自分のもとに召集した。「ダビデの町」シオンから主の契約の箱を担ぎ上るためであった。エタニムの月、すなわち第七の月の祭りに、すべてのイスラエル人がソロモン王のもとに集まった。イスラエルの全長老が到着すると、祭司たちはその箱を担ぎ、主の箱のみならず臨在の幕屋も、幕屋にあった聖なる祭具もすべて担ぎ上った。祭司たちはレビ人たちと共にこれらのものを担ぎ上った。ソロモン王は、彼のもとに集まったイスラエルの全共同体と共に、その箱の前でいけにえとして羊や牛をささげた。その数はあまりにも多く、調べることも数えることもできなかった。祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所と言われる神殿の内陣に運び入れ、ケルビムの翼の下に安置した。ケルビムは箱のある場所の上に翼を広げ、その箱と担ぎ棒の上を覆うかたちになった。その棒は長かったので、先端が内陣の前の聖所からは見えたが、外からは見えなかった。それは今日もなおそこに置かれている。箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである。
- 列王記上歴 8:1-9

 

旧約聖書の中で、最後のアークに関する言及はヒゼキヤ王の統治下であった。バビロン補囚後、ゼルバベルによって寺院は再建され、動物の生け贄が再び行われるようになった。しかし聖書は、アークの運命に関し沈黙している。

 

ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。ヒゼキヤはそれを主の前に広げ、 主の前で祈った。 「ケルビム(訳注:アーク)の上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。」
 - イザヤ書 37:14-16

これ以降、契約の箱(アーク)は旧約聖書中に言及されることはなくなり、消えてしまった

 

【聖書のモデルとなったギルガメッシュ汝自伝の王様とメイ(アーク)はどうなったか?】

シュメールの都市の中でも極めて重要な都市遺跡である。ウル王墓と呼ばれるシュメール初期王朝時代の墓が発見されており、当時の社会や王達についての情報が多く得られている。しかし1991年の湾岸戦争の時、多国籍軍のミサイルの破片が当たり、大小数百の穴があいた。

わたしが言い切っていましたね。必ずその痕跡のあるところが何故か破壊されています。

これは偶然でしょうか?どうでしょうか?昔シンだった人達が生まれ変わっているのであれば、場所が嫌なのかもしれませんが、素敵な遺跡ですのでの事は忘れて是非大切に扱って頂きたいものです。

 

【アークは神宿るものだという聖書の書き方がヒント】
アークはモノリスとお伺いしましたが、確かに!私が目にしたのも石でした。石があのような形に霊眼では見えるわけです。

だから決してアークは物質ではナイでしょう。

作ったものに宿るのです。

だから運ぶとしたら・・・・石のままではないでしょうね。重すぎるし・・・・

 

【剣=アロンの杖】

そのアークの中身。三種の神器は、ユダヤの伝説の三種の神器と比定する意見は多いです。その三種の神器について書いていきますね。

草なぎの剣・・・・どうして天皇でも見たことないんでしょうか?当事者なのに全く?見せないまま?って奇妙な話。しかし明治の時代に始めて明治神宮で天皇が天照を参拝し、天皇=アマテラスとう事にしようとした話を読んで分かりました。

つまり天皇=神様にして天皇集権にしようとしたという話。戦後に人間宣言をされましたが、いつから神になったか?という話が書かれている書籍が存在しているので、それによると公に神宣言は明治から・・・・

 

最後の剣の行方は・・・・スサノオが天照に剣を献上しています。

アマテラス=卑弥呼だと考えれば全て辻褄が会います。(この説は専門家でも結構言っている事です)

卑弥呼はなんでしたか?そう王でしたよね?中身の剣を手にしているなら・・・・・

アークも持っていたと思います。現にとある地方には卑弥呼が山にアークを隠しているという説がある地域も有りました。

アークはだいだい巨大な王様が持っています。彼女がそれだけ力を持つことが出来たのは何故か?アークを持つアレキサンダー(スサノオ)から剣をもらったからじゃないですか?

古墳が多く立つまでは彼女の力はまだ効いていた・・・・・・・

しかし古墳を掘らないのは・・・・・どうしてだと思います?どの組織が誰が禁止しているか見て私はなるほどねと思いました。だってこんな素晴らしい遺跡の数々を研究しないほうがおかしいでしょ?墓だから?だからどうだと言うのですか?古代の事を調べるのであれば、ピラミッド(ここも墓説がありますからね)を調査するのと意義は変わらないと思います。

 

それに私がもし天皇なら、日本の本当の歴史を知り、国民の皆様により一層日本に親しみを持ち愛して欲しいので、真実を発表するでしょう。

普通に考えて【嘘つき】って人から好かれますか?そこを考えれば火を見るより明らかな事です。

 

ヒントは本当の王様なら剣が見える筈です。今までのアークの理論を総合するとどうみてもそうですよね?

 

 

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ただいま何人も昔の記憶を取り戻したと言ってきます。ノアはすぐ見つかりました。

しかし、他の人。私の記憶では200人はいたはず・・・・

その方々向けに書いていますので、興味ない方。霊視が苦手な方はスルーしてください。

 

~プロローグ~

 私は探していた・・・・ずっと何かを・・・・・

ずっと何かを忘れているとだけは思う。しかし・・・・一体何を忘れているのか?

大切なのに思い出せない・・・・・

そんなふうに前から何となく思っていた。

 

忘れもしない2011年3月11日、日本列島に沢山の方々の悲鳴が上がった。

昨日の事のように思い出せる・・・・・大きな波・・・・・

流される家々に大量の人々・・・・・・

何かが引っかかる!私はこれは何か仕組まれたと感覚で思った。

 

暗闇が続く・・・・・

暗い部屋に懐中電灯・・・・・

幼子の我が子が言う・・・・・

『ママ UFO!』指をさす方を見ると。富士山に向かって見たこともないようなオレンジ色の光が飛んでいく、飛び方とか速度が何というか見た事のないものだった・・・・・

 

急にその幼子の顔が、大人の無機質な・・・・まるで仏像の様な顔になった。冷徹な顔

 

これは写真家さんが撮影したカッピー。

プロの写真ですし、まともな写真だった筈ですが、あとで変化して光出ました。

『UFOには龍が載っています。我々は地球にやってきました。

四年後に地球は透明になります私達は宇宙に帰るのです』

そう言い終ると再び普通の顔に戻りました・・・・

当時幼稚園にあがる前でした、それなのにこんな難しい事言える訳ありませんし、 私は、これは『子供の意思で言っていない』と思いました。

言い終わるとカッピーは全く言っていた事を覚えていなかったからです。しかしこれは何か絵空事じゃない!って本能的に思いました。

そして、始めて聞いた龍とUFOって???という疑問に繋がったのです。

 

こちらは、私の手です。

気功をする方ならご存知かも。手が光ったりとか暗闇で光ると言いますが私も油断すると(笑)手が光ってしまいます

私自体もこのように・・・・他の誰かや物を写してもこのようには一度も成る事はないので、明らかに何らかの作用でしょうね。

これは分杭峠の帰り道。母船は有るんだ!と思わせてくれた一枚です。

神社で撮影したシャボン玉UFO

 

私は余りにも知識がなさすぎた。龍とUFOが神道の伝説に出てきて、そして『そういう話有りかも!』とその時に始めて思いました。

富士山が気になる。ずっと富士山を色々ネットで調べていた。

すると一枚の写真に私の目は釘付けになった。

そこに龍が見えたから。でも私とブロとものな~さん以外はその木に居る白龍が見えないようでした。

するとこの龍は、昔某神社の水脈からそこまで泳いで自由に行き来していた龍だと話しかけられたんです。

この木の下にも通ってた水脈・・・・だからなのか、気配がして振り返って見ると

弁財天が立って居ました、小龍が居る様な光の形と共に・・・・・

けれど水脈が途絶えてしまい。身動きがつかない、苦しいから水を持ってきてくれ・・・・

そしてこの場に私は水を与えにやってきたんです。

調査してみると、本当にその神社の水脈とそこの洞窟はつながっていた過去があったんです。そして龍神伝説も有り、過去に白龍を目撃した伝説は私だけではなかったのです。

だから『ああ、どういう訳かわからないですが龍が見える体質が有るようだ』とその時に自覚しました。それまでは・・・・幽霊なら見えるけどというタイプというだけでした。

 

自由に撮影をする特技を持ちますが、これは結構要らないかも(ーー;)と思っている能力の一つなので友人が困ったとき以外使用しませんね。

この洞窟に来た時に、すでにどこにいるかきちんと『高次元の者た達が見える目になっていたので』実は祠ではなく向かい側に水を持って行きましました。

これは私が撮影したのではなく、とよたま氏が洞窟に水を与える私達親子の後ろ姿撮影したものです。

この写真に涙する人数が多いのは覚えているからですよ。私達を覚えているんです。

そして龍神が姿を現したのです・・・・大量のオーブと共にね・・・・・・

これは、皆様一人一人のオーブです。皆様の封印された霊力の元。

それが200人前後と感じました。そう・・・・私が亡き後に一緒に埋められてしまった皆の。

ごめんね皆・・・・・私は涙が溢れそうになりました・・・・

私が先に死んでしまったばかりに、私の付き人全ての良き力を持つ巫女達が埋められてしまったのです。

それも生きたままという非常に残忍な方法で・・・・・・

 

とある富士山近くの場所で弁財天ゆかりの場所で土下座をしたくなった方・・・・・

貴方が悪いんじゃいのです。度重なる敵の攻撃に私達は辟易していました。

嫌だった気持ちはわかります・・・・・

だから自分を責めないでください・・・・

これからその理由と詳細を書いていきますので・・・・・

 

私は決心してこの世に生まれて来たのだとわかりました。

絶対みんなを守る・・・・。そして皆を死なせない!

今世ではそれが叶う番だと兎から聞かされました。

そうです。その頃にはうさぎと会話が出来る様になっていました。しかし彼はその数ヵ月後に、肉体的な別れを迎えました。お星様になってからも彼が居るのはわかりました。しかし・・・幽霊じゃない。幽霊が見える私だからこそ、これが幽霊ではないとわかったのです。

肉体を脱ぐ前から体から脱走していますし・・・。

僕を見て~!言っていますW

これは因幡の兎だと気がつきまた。

肉体の死後が寂しくて私が泣いていると姿を現してくれました。
 
トトロの向かって右に・・牙がキザギザでトトロの真似でしょうか(笑)
ママ~何泣いてるの?
心配いらないよ~と立ち上がりました・・・・・
私はずっと泣いていましたが、以来泣くのを止めました・・・・
『愛は何時でもそこにある物だ』
と教えて貰ったからです。
 
次回は私達はどんな大陸に住んでいたのか?
そして、戦いの始まり・・・・・・
現世で再び知り合ったみんなの行方とは・・・・・・
 
続きはその2

 

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迫害というよりこれは国防の為だとわかります

 ~大義を守るためには良からぬ動きは制御しなければいけないと思います

 
たかちほは日ユ同祖論と書いて以下のように読み解きます。
どちらにしても仏教や、土着の日本の自然信仰の方が歴史が古いですから・・・

 

○東京書籍……

「秀吉は、九州を従えたあと、長崎がイエズス会に寄進されていることを知り、日本は『神国』であるとして宣教師の国外追放を命じました(バテレン追放令)。キリスト教の布教が、スペインやポルトガルの侵略政策と結びついていたことを危険視したのです」(99頁)

※人には分け与えよWというのは、万が一悪用するならジャイアン的国家にに都合の良い教えである事も否めないと思いますね。

 

○帝国書院……

家康のキリシタン追放の理由

、「キリシタンの急増が、スペインやポルトガルによる日本の侵略のきっかけになると考え、……キリスト教を禁止し……」(99頁)。
○育鵬社

①単元「27 豊臣秀吉の政治と外交」

バテレン追放令により宣教師の国外追放を命じ、キリスト教を禁止しました。イエズス会による布教が、ポルトガルやスペインの植民地化政策と密接につながっていることを危険視したためでした。」(96~97頁)

徳川家康

江戸時代の初めのころ、キリスト教は強い取りしまりを受けませんでした。しかしその教えは、幕府が求める道徳や、わが国の慣習と合わない点が多くまた、キリスト教はその地域の植民地化のために利用されているという実態もありました。そこで幕府は、キリスト教を禁止する方針をかため」(104頁)。
③備考……「島原・天草一揆と鎖国」の小見出し下、「スペイン・ポルトガルなどが世界各地に植民地を広げているなかで、
鎖国はわが国の独立を守り、平和を維持するための政策でした」(105頁)

 

○自由社……

①秀吉のキリシタン追放の理由……明確に書かれる

ただし、秀吉は、貿易による利益を重視して、南蛮商人の来航は引き続き認めたので、キリスト教の禁止は徹底しなかった。そのころ、フィリピンを拠点にしていたスペインの宣教師の間には、キリスト教を広めるため、南アメリカで行ったのと同じように、中国や日本を武力で征服する計画があったといわれる。」(114~115頁)

②家康のキリシタン追放の理由
オランダとイギリスは、……競争相手のスペインなどが、キリスト教を広めて日本を征服しようとしていると幕府に告げ口した。幕府は、1612(慶長17)年、幕府直轄領にキリスト教禁止令を出し、……」(123頁)。
~以上~
 
 
○育鵬社

しかしその教えは、幕府が求める道徳や、わが国の慣習と合わない点が多く

~ここがとても印象に残りましたね。確かにそうです~

 

王 仁三郎さんの目的は達成されないでしょうね。

三千年の世は元来仏教の言葉です。

もっと日本の坊さんたちしっかりしてくれ!て思います。もっと自分達の事を誇りに思って欲しいです。歴史ある日本に我々は生きているのです。

考古学者が話を変えて・・・海底遺跡見つかっても最初は一万年前以上と自ら診断したくせにW三千年に変更(笑)

記紀に合わせているって丸わかりですよ。学者として恥ずかしくないんですかねw?

皇紀にしておけば、権力者と丸く収まるしね。

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