番外編前回は→その①          最初からその1

本編前回→その14



この絵の様な感じが一般的に知られている、ノアの箱船でしょう。

私もずっと、その様に思ってきたのです。

ところが、前回の話しのように箱舟の形状を書いたシュメールの粘土版が実在したのですが、その内容だと・・・・実は何と・・・丸型なのです・・・・。

今回はイスラエルの桶船の画像を探したのですが残念ながら見つかりませんでしたが、見つけ次第御紹介したいと思います(*^^)v


ちなみに前回の研究者の方のお話しによると円形の桶型船は古代イラクでは広く使われており、洪水にも耐えるように設計されているため、“理にかなっている”のだという。


しかし、ある意味世紀の大発見とも言うべき、粘土版は一体どいう経緯でここ最近見つかったのでしょうか?


フィンケル氏がこの粘土板と出会ったのは数年前、ある男性が彼のもとに持ち込んだことだった。その人物の父親が第二次大戦後の中東で手に入れたのだと言う。

それは薄い茶色で、スマートフォンほどのサイズ。



表面には古代メソポタミアのくさび文字が刻まれていた。 フィンケル氏によるとそれは


「これまで発見された人類が記したもののなかで最も重要なものの一つ」であるという。

して彼は以下の事も述べて居ます・・・・・。


フィンケル氏はこの発見が聖書の世界観を信じる人々にとっては困惑するものだと理解している。

何故ならこの発見によりノアの大洪水とはバビロニアの物語の可能性が高くなったから。


19世紀、大英博物館の研究者がバビロニアに大洪水があったことを指摘したことがあったが、ノアの大洪水との類似性から潰されている経緯がある。


ノアの大洪水とは聖書にあるような全世界規模で起こったものではなく、バビロニアで起こった洪水をもと作られた可能性があるのだ。

~以上~




たかちほ個人的には宗教とは文化だと思うのです、だからどれが先とか争うよりも、その思想が各々個人的に気に入り選べば良いのでは無いでしょうか?


ただ・・・・。正当性のある研究はそれとは別にきちんと行われないといけないのでは?と感じています。


シュメールの考古学者の間では洪水やノアの箱舟の原型がこの文化にあるというのは、もはや常識な訳です。


そいう訳で・・・・当然ながら、起こった場所設定そのものが違います。


そしてそのノアの箱舟のたどり着いた場所は実は・・・・




続きは→その③