前回は→その3            最初から→その1





 前述で御紹介したかった、北斗七星にまつわるお宝とは・・・・


『七星剣』という北斗七星が刻み込まれた直刀の事なのです。


さて、それは一体どんな剣なのでしょうか・・・・?



【七星剣とは何か?】

この剣には、ちょっとした違いはそれぞれにありますが、北斗七星、そして北極星。


七星の横には河鼓三星(鷲座三星)と 織女三星(琴座三星)らしきものが描かれている謎が有るとの事・・・・。


しかし、これって私のブログを読んで頂いて居る読者の方なら気が付きませんか?



そうです(*^^)v空海の話しと重なるんですよ。

だから「これは謎でも何でもなく」時代とともに信仰が薄れたのか?もしくは神道の方が押され気味だった為、為政者によって隠された可能性が高いと思いませんか?


三国誌等が好きな方はこの七星剣御存知の方もいらっしゃるかもしれません。


七夕の原型も日本ではないし、北極星の話しも道教が由来と考えれば直ぐに答えは出ます。


つまりは、そういった、大陸から渡ってきた物を信仰していた。


それなのに、今のままだと空海様の意思も後世に正しく伝わって居ない事になります。


空海様は真言密教(仏教)を表だって打ち立てますが、どう見ても北極星の絶対神を信仰してますよね(神道)



星田妙見宮 境内説明板より

当霊山は平安時代の弘仁年間(810~824)に弘法大師空海上人が私市の獅子窟寺の岩屋で仏眼仏母尊の修法をされたときに当霊山に七曜の星が降臨し、


大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳、神仏の法宅諸天善神影向來会の名山、星霊場としてまつられました。

~以上~


つまり彼はこの降りた物が大事だと解って居て大切に自ら祀ったと言う事です。



それでは具体的に「七星剣」を見て行きましょう(*^^)v

●正倉院・「呉竹鞘杖刀(くれたけさやじょうとう)」

奈良時代のもので、表は金象眼で天平雲に北斗と三星が二つと斜め3列の6星・裏は星の順序が反対に模様が刻いる。




●法隆寺金堂・持国天の模造七星剣(銅製)


雲紋・北斗七星そして日・月が刻まれている。



七星剣に刻み込まれた星の意味は七星剣は古代の中国におきまして、「国家鎮護・破邪滅敵」を目的として造られ、 その剣に刻まれた北斗七星は、宇宙の中心である北極星(天帝)を守ることを表しておりました。


          。輔星
           ○--------○------○天権   ○天枢
        / 開陽 玉衡 |     |
         ○          ○----------○天[王旋]
        搖光         天[王幾]

中でも搖光は「破軍星」とも呼ばれまして、この星に向かって戦いを挑めば負け、 この星を背にして戦えば必ず勝利すると云われておりました。



そして・・・・かの有名な方もこの剣を持って居た様子です・

その誰でも知っているかの御方とは・・・・?



はい(*^^)vそうです。一万円札のモデルにもなっている超有名人

聖徳太子様でございますヽ(^。^)ノ


●四天王寺伝来「聖徳太子御所佩の剣」と言われる国宝

聖徳太子御所佩の剣

聖徳太子が所持していたといわれる七星剣は、黒ずんだ鉄の直刀(20cm)で、表に金象眼五飛鳥雲・ 中央に北斗七星・七星の両側にV字型の三星と横に並んだ3星に青竜と白虎が刻まれ、 裏には雲紋と北斗七星・それに青竜と白虎が刻まれております


そして聖徳太子と言えば・・・・仏教伝来・・・・


で・・・・その仏教の種類は法華経・・・・法華経と言うのはルーツを調べると原始キリスト教に近しいのです。

※その事について詳細に渡って述べたのがこちらです→こちら


つまりは・・・・・


皆全て一つに集約されてしまってくる・・・・・。そんな感じがしますよね。


空海も聖徳太子も北斗七星を信仰し大切に思って居た事は残されたものからも間違いない事でしょう。



そしてこの二人に共通する北斗七星への信仰。


空海の時代には七夕と言う要素も被せて有りますが、上の事をみると、絶対神が中心的な要素で有る事は解ります。


それに・・・・空海が生きていた時代にようやく現代の織り姫と彦星の形になったのであり、じゃあその前の時代にはその話しはどうだったかと言うと・・・・。


実は全く違うものだったのです。


そこから垣間見える事とは一体何でしょうか・・・?


七夕がその時代以前にはどいう扱いだったかを知らなければ、織り姫がセオリツヒメだとか彦星がスサノオだとか単純にはあてはめられませんよね?


だって・・・・北斗七星とか織り姫星への信仰はそれ(現在の七夕)より前から存在するのです。


そして始めからその形として日本には無いのです。


つまりあてはめて無理やり考えようという事自体が物語の成立した時代から考えると疑問を感じます。


古神道ってそれこそ、つまりユダヤ教の流れを汲んで居るなら、当然現代の日本の七夕の伝説が出来あがる前からの信仰です。


それでは古代の七夕の伝説の原型とは何でしょうか?


その話しの元は実は複数の物が混ざって居ます。


次回は、古代の七夕とは一体どんなものだったかを御紹介していきたいと思います(*^^)v





続きは→その5