前回は→その7          最初からは→その1


 

 さて(*^^)vこのモアイですがこの島にはいったい、どれ位の数のモアイが有るのでしょうか?


チリ領、イースター島に立ちすくむモアイ像・・・。


TVや写真でしか見た事が無ければ、多くの人は上の写真の様に、シャキッ!と立って居るイメージを持って居ないでしょうか?


しかし、現地に行くとそれが全く違うらしいです。


その多くがうつ伏せになって居るのです!


島全土で約1000体有るそうですが、立っているのはわずか40体程度らしく、しかも、その殆どが倒れてしまっているんです。


その理由には、島にまつわる悲しい過去があったのです。



【モアイ像が倒れている訳】
モアイ像が建造されたといわれているのは7~10世紀にかけてのこと。


島民たちは、モアイをつくりながら数百年にわたって、平穏な暮らしを続けていました。

しかし、16世紀から17世紀ごろ、島に住む部族間の争いから「モアイ倒し戦争」が勃発したのです。


相手村のモアイを倒し、モアイの目を破壊することが勝利の象徴とされ、50年近くも戦争が続いたそうです。

1722年にオランダの海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーンたちによって、イースター島が発見された時には、島のほとんどのモアイは倒されていました


そして、島民の多くが奴隷として島外に連行され、解放された奴隷が西洋から持ち帰った天然痘が猛威を振るうなどしたため、先住民は絶滅寸前まで追い込まれます。このため、島固有の文字を読める人がいなくなり、モアイの建造目的などの多くは謎に包まれることになったのです


1888年にイースター島はチリ領となり、20世紀になってようやくモアイの修復が始まります。そんななか、TBSの『日立 世界・ふしぎ発見!』内で、当時のイースター島知事が発信した「モアイをもう一度立たせたい。そのためにクレーンが1台あれば…」というメッセージに、香川県に本社を置く日本企業「タダノ」が反応。15体のモアイ像の復元を行うと同時に、島人への技術移転に貢献しました。
~以上~


この話しの物的証拠としては・・・

人骨がモアイの下には大量にあったりしますしね・・・


しかし、ここの島の人は西洋人に奴隷にされた事がきっかけで絶滅寸前まで追い込まれてしまったのですね。

島固有の文化である、文字板コハウロンゴロンゴを読めるものもいなくなり、更にキリスト教布教の際、コハウロンゴロンゴが多数焼かれてしまい、これらのごく一部しか残っていない。


なので今、この島特有の文字が解明できない=モアイについて本当の事がわかりにくくなってしまっている。


時代の流れの過ちとは言え、非常に残念な事ですね。


ただ、現在でも解って居る事はあります・・・。


そんな、解ってる事の中に・・・・


誰も気が付いてない事に私は気が付きました。


実は、モアイのある地域って、いくつか有りますが、調べているうちにこれは面白い!と思う場所が有ったのです。



続きは→その10

アメンバーさん続きは→その9