ザ・バンド「怒りの涙」
エーリヒ フリート ナチスの陰の子ども時代―あるユダヤ系ドイツ詩人の回想 デボラ ドワーク 星をつけた子供たち―ナチ支配下のユダヤの子供たち |
【このコンテンツは批評目的によるザ・バンド、ボブ・ディラン氏、リチャード・マニュエル氏の音楽からの引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。著作権者主体者の権利、音楽の美学を侵害した場合このページに限り、いかなる修正・削除要請にも応じますので、ご教授ください】 疲れたときに噛み締める曲がある。夜道をとぼとぼ歩きながら、唸るように歌う歌がある。疎外感を感じたとき。被害妄想に悩まされるとき。物事が上手く進まないとき。体調も芳しくなく、テンションも低いとき。 ザ・バンド(the Band)の「怒りの涙(Tears of Rage)」が、僕にとってそうだ。ボブ・ディランのイラストが印象的なデビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク(Music from Big Pink)」の一曲目。強烈なハモンド・オルガンの、怒ったような音色からこの曲は始まる。非常にゆっくりしたテンポで淡々と。辛い想い出を噛み締めるかのように歌われる歌詞。曲はボブ・ディランと、ザ・バンドのリチャート・マニュエル(Richard Manuel)によるもの。キーはCメジャー。 【A-1】
われわれは独立記念日に きみを抱いて歩いた。 そしていま君はわれわれ皆を捨てて、 勝手にしろと言う。 基本的にこの歌詞では、とある父と娘の関係がモチーフとされている。ここで語られるのは幼女時代の思い出と、成長した娘の「積み木くずし」状態。父娘の関係を想像することで無限にイメージが広がる歌詞だ。 コード進行は、 Ⅰ-Ⅵm7-Ⅳ-Ⅱm7 ♭Ⅶ-Ⅳ-Ⅰ トニック(Ⅰ-Ⅵm7)→サブドミナント(Ⅳ-Ⅱm7)→サブドミナントマイナー(♭Ⅶ)→サブドミナント(Ⅳ)→トニック(Ⅰ)で、最も心の痛い部分を歌うときサブドミナントマイナーに鳴っている(参照 )と思えばよい。
おお、世界中のどんな娘が 父親をそのように扱っただろう? 手取り足取り父に尽くしながら いつでも「ノー」としか言わないなんて。 苦々しく歌われる歌詞が「積み木くずし」状態を加速する。そしてサビへ。
何故私はいつも盗人扱いされなきゃならないのか? さあ、おいで。わかっているだろうけど、 われわれは物凄く落ち込んでいて人生は短い。 この部分の歌詞だめ、心震えずにいられない。「私たちはとても気分がロー(low)で、人生は短い」なんて言葉、ボブ・ディラン以外の誰が書けるだろう? かっこよすぎ。コード進行は、 Ⅲ7-Ⅵm7-Ⅳ-Ⅰ
最初のⅢ7はドッペルドミナントでメジャーになったⅢm7で、 4小節目のⅣをⅡm7の代理として捉えると、Ⅲ7-Ⅵm7-Ⅱm7(-Ⅴ7)-Ⅰという完全四度上昇進行だ。 人間は、「ヒトとヒトの間」=「共同体」に存在して初めて人間だ。共同体は「うちら」と「あいつら」の境界線を引くことで世界観をメンバー間で共有し、成り立つ。「うちら」は比較的長期間定着した仲間のこと。「あいつら」は部外者、よそ者、他から来た者、流浪の民。社会で生きていくことは、幾つかのこういった共同体を変遷することでもある。 共同体は外部を排除することで、内側の求心力を強くする。ナチスがユダヤ人を迫害したように、仲良し不良グループが転校生を苛めるように、お局正社員が新人契約社員を苛めるように。 何故私はいつも盗人扱いされなきゃならないのか? と怒りの涙を流す。ここに心が震える。ユダヤ人ボブ・ディランも、カナダからの流浪の民であるザ・バンドの面々も、こういった心の痛み、怒りの涙を何回も味わってきたのだ、と推察する。現代日本、雇用も不安定で、流浪の民は増すばかり。共同体にいま、片足でも突っ込んでいるならば、「よそ者を盗人扱いしない」共同体を作っていくことを考えよう。「他者」を排除することで成立した世界観なんで、絶対につまらない。 ■関連記事:ニック・ロウ「リトル・ヒットラー」 ボブ・ディラン「ホーボーとはいえ」 ボブ・ディランとブラジャー ザ・フー「トミー」 ELO「トワイライト」 ■関連ブログ:芸術的生活 OnGen Rock & Movie Review ☆音楽解析の続編は『コチラ』 にて! |