ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」 | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」


ワン・プラス・ワン

ワン・プラス・ワン

ROLLING STONES
Beggars Banquet


越谷 政義
STONES COMPLETE―ローリング・ストーンズ大百科1963‐2002


マーティン エリオット, 渡辺 淳
ローリング・ストーンズ レコーディング・セッション


水島 新司
ドカベン名勝負物語明訓VS土佐丸高1夏・甲子園


Wynder K. Frog
Out of the Frying Pan

John Martyn & Beverley
The Road to Ruin

宮本 正興, 松田 素二
新書アフリカ史


悪魔を憐れむ歌

 フランス映画ヌーヴェル・バーグの旗手であった、ジャン・リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)監督が1968年に撮影した「ワン・プラス・ワン」はとても奇妙な映画だ。フランスでは5月革命、日本では団塊世代による全共闘運動、吹き荒れる時代を描く。この映画の中で、ローリング・ストーンズが「悪魔を憐れむ歌(Sympathy for the Devil)」を演奏する風景が撮られている。そのシークエンスから、僕はローリング・ストーンズというバンドの音楽制作ポリシーと組織論を見て取ることが可能だと思っている。


 歌詞の内容はご存知の方も多いだろう。「ケネディを殺したのは私です」とか「ロシア革命のときにもいました」などなど、テロリズム、革命のなかに存在するパトスを、「悪魔」に擬人化する手法で、動乱する時代を描いているもの。キーはEメジャーでコード進行は、


 【A】|E|D7|A/C#|E/B|
 【B】|B7|B7/A|E|E|


 Aパートは、Ⅰ-bⅦ7-Ⅳ-Ⅰで、bⅦ7はサブドミナントマイナーで、Ⅳmの代理と解釈可能だから、基本はⅠ-Ⅳヴァンプと思えばよい。Bパートは、Ⅴ7-Ⅰのドミナントモーション。結局、Ⅰ-Ⅳ-Ⅴ7-Ⅰのコード進行に過ぎないわけ。ジャガー&リチャーズも私なんぞに言われたくないだろうが、単純な曲想だ。


 さて、映画ではわれわれが今日聴くことのできる「悪魔の憐れむ歌」が全く違うアレンジでの演奏を何回も繰り返したのち、試行錯誤の末に至った結果であることがわかる。たとえば、レコーディング風景初めの方では、比較的フォークロック的なアレンジがなされており、キース・リチャードは、以下のアルペジオフレーズでギターを弾いている。

   E                 D 
   +   +   +   +     +   +   +   +
e:-----0-----0-----|-------2---------|
B:---------0-----2-|-----3-----3-----|
G:---1-------------|---2---------2---|
D:-----------------|-0---------------|
A:-----------------|-----------------|
E:-0---------------|-----------------|

   A                 E
   +   +   +   +     +   +   +   +
e:-----------------|-------0---------|
B:-------2-2-------|-----0-----0-----|
G:-----2-----2-----|---1---------1---|
D:---2-------------|---------------2-|
A:-0---------------|-----------------|
E:---------------3-|-0---------------|

 弾いてみよう。まあ、成り立つ事は成り立つが、完成形が放つ毒々しさを何一つ表現できていないことがわかるだろう。


 で、セッション現場で何が起こるか? まず、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)がドラムを外され、パーカッションにまわる。「ドラムをロッキーに替えよう」というミック・ジャガーの提案で、アフリカ出身のロッキー・ディジョーン(Rocky Dizidzoinu)がスタジオ入りし、コンガを叩きはじめる。チャーリー、個人的には大好きなドラマーなのだが、得意とするジャズ=シャッフル気味、スウィングした近代風・都会風ドラミングは、「ブラウン・シュガー」までは適材適所、通用するのであるが、この「悪魔を憐れむ歌」での狙いからは、外れるものと判断されたのであろう。チャーリーに失礼でない言い方をするならば「この曲のドラムに都会風に洗練された粋なリズムは不要」なのである。ビル・ワイマン(Bill Wyman)もベースを外され、、パーカッションを担当。ベースはキース・リチャーズが弾くようになる(その後ギターをオヴァー・ダビング)。とまあ、このように各プレイヤーが本来の持ち場を離れたシフトを執っているのだ。


 これは、あたかも水島新司「ドカベン」の、山田太郎高校一年生の年、明訓高校対土佐丸高校戦、土佐丸犬飼が実施した、「土佐丸シフト」を思わせるようだ。明訓打者は、バントから一転してヒット・エンドラン。それもライト方向へ。バントに備えて前進してきた一塁手、一塁のベースカバーに入る右翼手、ライトはガラ空きのはずで、確実に2塁ランナー生還が見込まれる。だが、なんとライトにも選手がいた! 「センターは?」「センターもいるぞ!」「レフトもいる!」「土佐丸は10人で野球をやっている??」(大意)と、慌てる明訓ナイン。このからくりは、土佐丸高校の野手が一気にポジションを移動、あたかも10人の野手がいるかのごとく見えただけのこと。こういった人事采配・人事異動術である。


 ロッキー・ディジョーンは、アフリカ出身のパーカッション奏者。1960年代イギリスに渡り、ワインダー・K・フロッグ(Wynder K. Frog)、フォークシンガー、ジョン・マーティン(John Martyn)、ニック・ドレイク(Nick Drake)、ジンジャー・ベイカーのエアフォース(Airforce)などの録音に参加している。
 渡英の背景には、1847年のイギリスによるガーナ・アシャンテ王国侵略、植民地化、1957年の独立がある。20世紀のあらゆる音楽は、帝国主義段階にあった資本主義社会による民族のフュージョンに影響を受けている。彼のプレイがストーンズのプレイヤー以上に、この曲に独自の色彩を加えているわけ。


 ローリング・ストーンズは不器用で頑固一徹なバンドでは決してない。中村とうよう氏も指摘済みであるが、ローリング・ストーンズはこのように、常に自分たちの音楽性を固着することなく、他の文化圏からの新しい血を貪欲に吸収しつつ、音楽性を常に新しい時代に適合させてきた、吸収性、受容性と応用性に優れたバンドなのである。70年代初頭の、ビル・キース、ライ・クーダーの受容などなど、数えだしたらキリがない。


 団塊世代がもうすぐ定年を迎える。ポスト団塊世代が会社の主導権を握る時代である。ポスト団塊世代の数人から「ローリング・ストーンズの組織論は、会社の経営学としても通用するんだよ。だって、ストーンズのブランドをもう40年以上も維持し続けている、偉大なビジネスなんだよ」と指摘されたことがある。この曲でも正社員(チャーリー&ビル)よりも契約社員というか、アルバイト(ロッキー・ディジョーン)が大活躍しているわけで、人気絶頂期にそういった人員配置をできる、首脳陣ミックとキースはかなり優秀な経営陣・人材開発部なのだ。また、その音楽構築現場のなかで、ひとつの不満も言わず、求められた役割をこなしている、チャーリー・ワッツとビル・ワイマンの姿に胸を打たれる。


 ポスト冷戦時代の今ですら、テロリズムという「悪魔」を再生産し続ける資本主義社会。「悪魔を憐れむ歌」同時代で聴いたこれからの担い手たちは、悪魔にどのような憐れみをかけてゆくのだろう。


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