池見先生がこの小説の中で、ヨーガと坐禅と自律訓練法とフォーカシングの「クリアリング・ア・スペース」をブレンドしたオリジナルな瞑想を披露している。その中で「要は呼吸だ。」と。
ここで私は、フォーカシングはマインドフルネス認知療法や仏教の瞑想と親和性があるのではないか、と思った。
いや、親和性などというものではなく、その根をひとつにするような共通性があるのではなかろうか?
フォーカシングにしても呼吸を整え、からだに意識を向ける。それは、ジョン・カバット・ジンのマインドフルネス瞑想の<ボディスキャン>という瞑想ににている。カバット・ジンのマインドフルネス瞑想はもともと身体の痛みやストレスを緩和するストレスクリニックという医学的な療法であったが、その著作の中で、ボディスキャンを通じて過去のトラウマになる事件を思い出し、身体の痛みが軽減される女性のエピソードがある。
ロジャースからジェンドリンへの流れとベトナム出身のティック・ナット・ハンからジョン・カバット・ジンへの流れ、別々の流れにあるものが実は一つの核心にいきついていたのだとしたら?
以上、著書の内容とは関係ない好き勝手なことばかり書いて池見先生には申し訳ないですが、この本はとても楽しかったですし、バイリンガルとしての池見先生の体験もかたられて楽しかったです。
小説の中の「プライド」のために生きたお友達のエピソードも、ハートに来ました。