書評 「教養主義復権論-本屋さんの学校Ⅱ」 仲正 昌樹著 | 「ガキの思想やあらへんで!!」  -独学者の哲学的倒錯モノローグ

「ガキの思想やあらへんで!!」  -独学者の哲学的倒錯モノローグ

そらあ、ええ歳こいて青臭い哲学やの思想やのに気い惹かれるわてはアホや。
本屋いったら真っ先に「人文・思想」の棚にいく変わりもんや。
せやかて、ほっといておくれやす!!どうせわたいは「独学者」やさかいな!
いっとくけど学(ガク)はないでえ。

<人間性>というものは、元々人間の中にデ~ンと居座っているものではない。人間相互のコミュニケーションを通じて形成されるもの。そしてその中で初めて人間は本来の<人間性>を獲得し<自由>になる。

そのための方法が<教養>を獲得すること。そして<教養>を身につけるためには、人文系の古典的テクストを先生や仲間と一緒に読み込みながら、読解の方法をマスターして、様々なテクストと格闘するなかで、取捨選択し、自らの知的主体性を確立することが<教養>の目的である。

しかし、その<教養>も、大学の大衆化+インターネットの普及による言語インフレの為、知的権威が没落し危機的状況にある。そして<教養>の没落に伴い<人間性>も危機にあり、昨今は<人間>が<再動物化>されているのかもしれない。

<再動物化>され、感情や扇動に左右される現在の我々は空虚な存在だ。高度に発達した消費社会における企業の巧みなマーケティング戦略がそれを助長しているといえば、これはあまりにも紋切型の表現であろうか?

仲正先生のいう<教養>によって確立された<知的主体>ならば、このような紋切型の言説では終わらせないだろう。

<紋切型の言説>―この本の中で仲正先生が批判されている<ネオリベ批判的言説>。私は<ネオリベ批判>を批判するつもりも、格差問題や非正規雇用の問題も否定するつもりもない。

内心忸怩たる思いがあるのは、これらの巷に流布する言説に対して、一度でもマルクス等の原典に立ち返って現状を分析しただろうか、ということである。マスコミや周囲になんとなく流布する言説を鵜呑みにして、自分の頭を使って考えてこなかったのではなかろうか?