今の時期から35度超え連発してたんじゃ9月頃には45度超えるんじゃないでしょうか?なんてオヤジギャグを飛ばすことでちょっとは涼しくなって欲しい!尼崎のクールガイTaKaYaMaですこんにちは。

寒いオヤジギャグ…
暑いから涼しくなって欲しい…
クールガイTaKaYaMa…

あー、なるほど!


はい、そんなわけで、犬のしつけにおいて結構言われていることにTaKaYaMa的視点から色々突っ込んでみる「ダメかな?シリーズ」、今回のテーマは「オヤツ」。

このオヤツですが、大きく見ると「しつけに使ってもいいじゃん」という考え方と、「しつけに使っちゃダメだ」という考え方の2つに分かれているようです。
そこで、この2つの考え方に、TaKaYaMa的視点から色々突っ込んでみようかと思います。


 オヤツ反対派の発言:
  オヤツを使ってると、オヤツを持っている時しか言うことを聞かなくなるでしょ?
  これは、飼い主の言うことを聞いてるんじゃなくて、オヤツの言うことを聞いてるだけだよ。
  オヤツを使うことには反対だね。

 オヤツ賛成派の発言:
  オヤツが無いと言うことを聞かなくなるっていうのは、正しいオヤツの使い方を知らない人の意見。
  正しい使い方をしていれば、オヤツ無しでも言うことを聞いてくれるようになるよ。
  オヤツが悪いんじゃなくて、教えるトレーナーの腕の問題。


どちらも、割とよく見かける感じの主張ですかね。


 反対派「オヤツを持っている時にしか、言うことを聞かなくなる」

これは、結構言われていることですね。

 賛成派「うまく対応すれば、オヤツを持っていなくても聞いてくれるようになる」

これも、結構言われています。

実は、これらは両方とも真実です。
「真実はいつも一つ!」とは、某「体は子供!頭脳は大人!」な、「殺人事件に巻き込まれる率が異様に高い探偵」の名ゼリフですが、ポストモダン的に考えれば違います。
つまり、両方とも「そのとーり!」(児玉清)なんですね。

まず、「オヤツを持っている時しか、言うことを聞かなくなる」ですが、これはいわゆる「ルアー」としてオヤツを使い続けていると、この状況になります。
要は「オヤツで釣って、犬に何かをさせ続けていると、オヤツ無しでは言うことを聞かない」ということです。

よくあるのが「オヤツを手に持ち、犬に見せながら『オスワリ』と指示を出す」というもの。
いずれは「オヤツを持たずに、犬に指示を出す」という方向に持っていく必要があるんですが、それをしない限り「オヤツを持っているか?持っていないか?」で、犬が指示に従うか従わないかの差が出てきます。

また、「オヤツで釣らないように気をつけていても、オヤツが無いと指示に従わない」ということも、よく起こります。
犬もそれなりに飼い主さんを観察していますので、どれだけ注意していても「オヤツを持っているか?持っていないか?」を、見抜くことが出来るんですね。
なので、「あくまでご褒美としてのオヤツであって、オヤツで釣っているわけではない」ということをしていても、「オヤツが無いと、言うことを聞かない」ということが起こります。

犬って、本当に賢い生き物ですよね。

しかしながら、上手に対応すれば、最初はオヤツを使っていたとしても「オヤツ無しでも言うことを聞く」ということは可能だったりします。

ただし、こいつを可能にしようと思ったら「強化の本質」をしっかりと理解し、「どんな行動をさせたいのか?」ということを、はっきりとさせておかなくてはいけません。
結構難しいことだったりします(どうしたってオヤツの有る/無しは、犬にばれますから)。
でも、可能は可能なんですね。
これについては、長くなりますのでまた後日改めて(予定は未定ですが…)。

とりあえず今日は「オヤツ無しでも言うことを聞く」「オヤツが無いと言うことを聞かない」という2つの意見は、どちらも正しいということを知って下さい。


さて、勘のいい人ならもうお分かりかもしれませんが、真上に書いた通り「オヤツ無しでも言うことを聞く」「オヤツが無いと言うことを聞かない」という2つの意見は、どちらも正しいわけです。
正しいのに、何故今更突っ込む必要があるのか?
正しいんだから、別に突っ込まなくてもいいんじゃないの?って思いません?

そうです。
壮大な前フリここまで。
ここからが本題です。

「オヤツ賛成派」も「オヤツ反対派」も、どっちも「いつかはオヤツ無しで、言うことを聞くようにしなくてはならない」と、考えている方が多いようです。

僕はここに突っ込みたいわけですよ。

たとえば、こんな意見があります。

 「オヤツが無いと言うことを聞かないというのは、飼い主ではなくオヤツの言うことを聞いているだけだ」

この意見、かなりおかしいと思いませんか?
ちょっと拡大します。

 「オヤツが無いと言うことを聞かないというのは、
 飼い主ではなくオヤツの言うことを聞いているだけだ」

もいっちょ拡大します。

 「オヤツが無いと言うことを聞かないというのは、
 飼い主ではなくオヤツの言うことを聞いているだけだ」

このブログを読んでいる方の中で、「犬に対して、オヤツが指示を出しているところを見たことがある」という人、是非ご連絡下さい。ものすごい、世紀の大発見です。とんでもないことです。

「指示を出して犬をしつけてくれる新型オヤツ コマンダー」として、僕が早速売り出したいと思いますので。

「オヤツの言うことを聞いてる」って、オヤツが喋ったら怖いでしょうよ。

ええ、分かってます。分かってますとも。
これは「比喩」です。「もののたとえ」です。
そして、僕の言ってることが「ただの揚げ足取り」に見えていることでしょう。

でも、違うんですよねこれが。

どんな動物でもそうなんですが、「行動の直前にあるきっかけ」によって、動物は行動を変化させます。
これを「弁別の法則」と言います。
弁別とは、区別するという意味。
人間で言えば、「赤信号の時」と「青信号の時」とでは、行動が変わりますよね?それと同じだと思って下さい。

さて、ここで問題。
あなたは「赤や青の信号」の指示に、従っているんでしょうか?
違いますよね?その裏にある「ルールに従っている」だけで、「信号の指示に従っている」というわけではありませんよね?信号はあくまで「ただのきっかけ」に過ぎません。
結局は「ただの刺激」です。

そして、この視点から見てみると、「オヤツの有る/無し」もまた、「ただのきっかけ」でしかないんです。

あなたは「青信号の時に進めば、確実に安全に道路を横断出来る」というルールに、従っているだけです。
犬は「オヤツがある時にオスワリすれば、確実にオヤツが手に入る」というルールに、従っているだけです。

つまり、「オヤツの言うことを聞いている」のではなく、「飼い主との間にいつの間にか出来上がったルール(暗黙の了解と言ってもいいかもしれない)に、従っている」わけです。
そもそも、飼い主は「オヤツを通して、オスワリという指示を出している」わけですから、「飼い主の言うことを聞かずに、オヤツの言うことを聞いている」ということにはなりません。

いや別にね、いいんですよ。
「オヤツ無しでも、言うことを聞いてもらいたいの!」っていう目標があるんなら、それで全然構わないんです。
ただ、僕が言いたいのは、「本当に、オヤツ無しで言うことを聞かせないといけないのか?」ということ。

上に書いた通り、「オヤツの有る/無し」は、「ただのきっかけ」です。
そしてこれは、「オスワリ」というコマンドにも言えることです。

あなたは「青信号の時に進めば、確実に安全に道路を横断出来る」というルールに、従っているだけです。
犬は「オスワリと言われた時にオスワリすれば、何らかのメリットがある」というルールに、従っているだけです。

「オスワリ」というコマンドも、犬にとっては「ただのきっかけ」「ただの刺激」でしかありません。

 「オヤツを持っている手」
 「何も持っていない手によるハンドシグナル」
 「オスワリというコマンド」

どれも全て、「ただのきっかけ」です。

そんな「ただのきっかけ」に、やたらとこだわるのって、何だかナンセンスだと思いませんか?

オヤツを使っちゃダメって、思いますか?
僕は、別に使ってもいいと思うんですよ。

そして次回は、この「オヤツの是非」について、更に新しい視点をお伝えします。

キーワードは「バリアフリー」。

お楽しみに。


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