関節はなめらかに | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

健康のためにヨガをお勧めすると決まってこんな返事が返ってきます。


「私、昔から身体が硬いから無理だわ」


それ聞くと、巷間跋扈するヨガのイメージというのは手ごわい…といつもながらに思うのです。


くにゃくにゃと身体をくねらせ、アクロバティックに跳ね上がり、ありえない体位で悦に入っている、あのヨガでしょ。


たしかにそういうのもあるでしょうが、そうじゃないのもあるわけです。


もともとはヨガは坐法を中心とした瞑想法ですからきわめて静かなものです。


時代が下って、ある程度の時間快適に座っていられるような身体を作るべくハタヨガ、つまり現在流行する身体動作中心のヨガが発展していきました。


ハタヨガにもさまざまな流派があり、一口にヨガといってもまったく様相は異なります。


最初に門をくぐったところがあまりに激しかったために身体を壊し、ヨガを断念したという話を聞きます。


もったいないことです。


始める前にいくつかリサーチし、自らに合ったものを選ぶことが求められるでしょう。


指導者の質も大切になってきます。


指導者養成が過当競争となって、雨後の竹の子のように指導者が輩出されています。


ある程度の医学的な知識があることはもちろんのこと、個人差を重んじ、ペース配分など細やかな気配りのできる指導者がいいでしょう。


その反対に画一的に一斉に行ったり、個人差を視野に入れず、これができて当たり前でしょう、といった態度
の指導者は敬遠されてもいいかもしれません。


ヨガは人と比較したり、競争したりするする筋合いのものではありません。


いかに自分自身と向き合い、ありのままを認めリラックスするかが大切です。


ヨガにおいて怪我をして初めて、不適切な指導もさることながら、ヨガに向き合う自分自身の心構え、たとえば他と比較し負けまいとしたり、よりきれいに見せたいとする虚栄心や自己顕示欲があったことに気づかれるかもしれません。


その意味においては一度は通る道であって経験も無駄ではないかもしれません。


そうした経験を糧にできる人は大いにしていただくとしても、これから代替療法の一翼を担うべきヨガとしては疾患を抱えている人、身体の弱い人、高齢者などが、自分のペースを守りながら怪我をすることなく行えることがなによりも大切になるでしょう。


そのためにもヨガそれ自体の日本人に対する適合性を今一度考察してみる価値はあるかと思います。


インドで発祥したヨガは、インド人特有の癖を持っているともいえます。


インド人の体質、体格、解剖学的特長などがポーズの型に反映されていると見るべきです。


いざそれを日本人が模倣してみたとき、無理がかからない保障はありません。


気候風土をとってみても、湿潤熱帯のインドでは身体をゆるゆるに緩めることが、身体を開放的に涼しくし重宝かもしれませんが、四季の寒暖変化に富む日本において、ただゆるゆるになればいいかといえば、かえって身体のリズムに不調和をきたしてしまうかもしれません。


ゆるむべきときにしかるべきところがゆるみ、引き締まるべきときにしかるべきところが引き締まる、このあり方が四季のある日本にとって必要ではないでしょうか。


日本の鍛錬法の歴史を概観しても腹、腰、丹田、つまり下半身の充実がひとつキーワードになりそうです。

ひとつ中心を定め、そこに一本筋を通す。


するとおのずと枝葉末節の力が相対的に抜けてくるように思います。


換言すれば、どれだけ筋肉が伸びたか、または関節が曲がったかという、目に見える数値的なものはあまり意味がないということです。


自らの身体に注がれるこまやかな感覚こそ重要でしょう。


身体から得られる情報は、DNAが先祖伝来の情報を含有しているように膨大なものがあります。


身体の声に耳を傾けることは、意識主導の現代人が浅薄な知識を手放し、より本質に迫ろうとする行為にほかなりません。


その際、カチッと身体を固めてしまうよりは、ふる、ゆする、ゆれる、といったあり方で、そっと身体に寄り添うようにしてみることから始められるといいかもしれません。


身体は痛みを感じた時点で反射的に縮こまる性質があり、また痛みによって繊細な感覚が相殺されてしまう懸念もあります。


とにかく手始めは気持ちよさの追求に専念し、ふる、ゆする、ゆれる、に身をゆだねてみることです。

手首から先をぶらぶらとふってみます。


1分もすれば全身ポカポカとしてくるのを感じられるでしょう。


手首は「首」という字がつきますが、首、足首とも関連しています。


手首がほぐれれば首のこりも楽になっているはずです。


さらに手首はヨガでは子宮の急所と考えられています。


たかが関節されど関節。


自らの身体をいつくしみ、その有機的なつながりに思いをはせてみると、ますます自分を好きになるかもしれません。