足元は温かく | ハリーの養生訓

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僕が見つけた養生

足が冷えている人、けっこう多いのではないでしょうか。


あまりにあたりまえのことで、それほど気にも留めていないかもしれません。

しかし、東洋医学では、「冷えは万病の元」であると考えています。

東洋医学では健康な身体のバランスを「上虚下実」と表現します。

つまり、上半身が虚=力が抜けてすっきりしている状態、下半身が実=力がみなぎっている状態。

ところが現代人のほとんどは、その正反対の身体になっています。

食べすぎ、考えすぎ、運動不足で、上半身に気がのぼせ上がり、下半身は力なく弱っています。

昔から健康の大原則「頭寒足熱」と言いますが、それとは程遠い現状なのです。

するとどうなるか、上半身に気がのぼせることで、頭痛、耳鳴り、かすみ目、首肩のこり、自律神経失調など、下半身が弱れば、冷え、むくみ、婦人科系疾患、腰抜け(腰椎ヘルニア)など。

こうした現代人特有の疾病が現われてきます。

ですから、とにかく「頭寒足熱」を目指すべきでしょう。

ではどうすればよいか。

頭脳労働主体による脳疲労、パソコンからの視覚への過度な光刺激による脳の異常興奮、意識主導、なにかと悩んだり考えたりの現代人ですから、気がのぼせ上がるのも無理ありませんが、普段酷使している上半身を休める工夫とともに、普段使われていない下半身を積極的に動かしたり刺激を与えていくことが必要でしょう。
歩くこと。

手っ取り早く、なおかつ効果的な方法と思います。

もうひとつ、冷えに関連して申し上げておきたいことは、日本は湿潤な気候風土であり、不感蒸散といって皮膚

から空気中へ水分が蒸発する量が少ないため、尿や汗で水分を排泄しなければ、どうしても身体に水があまってしまうということです。


これを東洋医学では「水毒」と呼んでいますが、世界で最も鼻づまりの多い国民だといわれるゆえんもそこにあります。

冷えとあいまって体内であまった水分が行き場を失ってしまっている状態なのです。

花粉症や喘息、アトピーなどのアレルギーも過剰な水分の排泄の表れと考えられています。

いずれにも、現代人はのぼせ上がっている上に、日本の特有の風土から水分がたまり、特に下半身に停滞して、冷えやむくみとして顕著に現れることになるのです。


足元の冷えは、足をつたって骨盤内臓器を冷やしていきます。

子宮、卵巣、さらに腎臓、膀胱、胃腸と、すべての内臓へと影響していきます。

「冷えは万病の元」であることが理解されたことと思います。

それでは、健康な身体を取り戻すためにどうすれば良いか。

とにかく足を冷やさないことです。

温める。

シャワーだけではなく湯船につかる、半身浴する、足湯する。

まず先に思い浮かぶのがこの方法です。

たしかに冷えているのだから温める。

正解だと思います。

しかし、人間の身体はそう単純にもいかない。

温めすぎるとかえって冷やそうと身体が働いてしまうのです。

毛細血管を拡張したり、毛穴を広げたり、汗を出したり、いずれも身体を冷やそうとする現象です。

温めていたつもりが逆効果になってしまうかもしれないのです。

「過ぎたるは及ばざるが如し」ということで、温めすぎは禁物ということ。

適度に温めることが重要になるでしょう。

また、外部から温めることが日常化すると、今度はそればかりに頼るようになって、自力で温めようとする力が低下してくる恐れがあります。

過保護にすればするほど弱っていくというのは、あらゆる事柄に共通することです。

これを防ぐために、時に逆刺激、つまり冷やす刺激で身体を鼓舞することも大切になります。

冷浴とか乾布摩擦などはその典型例です。

根本は内部の力、つまり自ら熱を作り出す力を高めていくことです。

また食事からのアプローチも欠かせません。

冷たい飲食物を過剰に取ることや、精製糖を多く含むスイーツを食べることも、身体の中から冷やす原因になります。

水飲み健康法などもありますが、日本の気候風土とご自身の体質をかんがみて量は調整されるべきでしょう。

またどんなに良い食材でも過食となれば、内臓に負担をかけることになります。

内臓に血液循環がかかりきりになれば、手足末端の循環がおろそかになり身体が冷えていきます。

小食を心がけることで、冷えが改善され内臓機能は力強く活性化していきます。

東洋医学では「良く噛む」ことで、あごの力を強め姿勢を整え、消化液の分泌を促すことで、水分過剰で弱りがちな脾胃(消化吸収機能や生殖器系)を強めると考えられています。

良く噛めば、満足感を得られやすく過食も自然と防ぐことができるでしょう。

以上、羅列してきましたが、奇をてらった目新しい方法はひとつもないことに気づかれたことでしょう。

日々の生活で当たり前のように行われることですが、それだけに見過ごされたり惰性に流れたり、軽視されがちなことでもあります。

これを改めて見直し、丁寧に行うだけで、今よりもずっと健康感をもたらし、もしかしたらあきらめていた慢性病にも回復に兆しが見られるかもしれません。

「今を丁寧に生きること」なしに、いかなる健康法も治療法もないと考えています。

「生活上の総合的な実践」なくして、完全な治癒はないと信じます。

それは生命に対する信頼の表れであり、人間としての自然性を回復し、自他共に感謝して生きるということにもつながっていくことでしょう。

浅薄で傲慢な意識を手放して、深奥な身体の智慧に学ぶ。

極まった文明に対する災難に直面して、新たな局面に突入した、これからの時代に必要とされるのは、「自然と人間」を結ぶ東洋的にしてサステナブルな健康観ではないでしょうか。