お腹は柔らかく | ハリーの養生訓

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僕が見つけた養生

マッサージはヨーロッパ、按摩は中国、指圧は日本で発祥しました。


日本独自の手技療法である指圧の歴史を見ていくと、今でこそサウナでの慰安といったイメージがまとわりついていますが、本来は「病気治し」に先人達の血みどろの努力が払われていました。


特に腹部に対するアプローチは、日本で独特の発展をしてきました。


ダイレクトに内臓に働きかけるのですから、その効果も劇的なものがあります。


しかしながら、繊細な部位であるだけに熟練を要するもので、なかなか未熟なうちは敬遠してしまいがちです。


患者にしても、本当に信頼を置ける施術者であれば腹を見せられるでしょうが、やはりつらい部分やこった所を無難にやってほしいという心理も理解できないわけではありません。


そうした双方の都合によって、本当に効果的なものが陰に追いやられ、枝葉末節のテクニックが前面に出てくるという皮肉な状況になっているのです。


しかし、ただ気持ち良ければよいというニーズがある以上、それに応える単なる慰安としての指圧の存在を否定する理由はありませんが、本当に体質を改善し、病気を治し、なお再発しないようにしたいと考えるならば、やはり腹部に対するアプローチの復興を考えなければならないでしょう。


と、ここまでは業界の専門的な話に終始しましたが、それだけ腹部の重要性は歴史的にも専門家の間で共有されていたということを知っていただきたかったわけです。


そして、セルフケアとしても、腹部を柔らかくしておくことを提案したいと思います。


なぜ腹部が柔らかいほうがよいか。


消化器に限って言えば、それは筋肉でできた管です。


肩がこるのと同じように、精神的なストレスや冷えで緊張し固く凝ってきます。


固くなれば柔軟な蠕動運動が阻害されますから、通りが悪くなることによる便秘や消化不良は容易に想像できるでしょう。


身体に必要なものをしっかり吸収し、老廃物を完全に排泄できることが、生命の基本となるでしょう。


その土台なくしていかなる治療法もないわけです。


また腸は脳に次ぐ神経細胞を擁し「第二の脳」といわれる所以ですが、腸の神経細胞を介して中枢の脳へと働きかけることもできるでしょう。


幼少時、母親の温かい手を腹部に当ててもらうだけで、途端に眠くなるという現象を経験しましたが、それは腹部が心へとつながる経路であることを示しているに違いありません。


できることなら家族や気心知れた人に手当てしてもらうのに越したことはないでしょう。


しかしながら、そうした円満な人間関係に常に恵まれるとも限らず、現実的には難しい場合も多いかと思います。


そのために一人で行う方法が提案されます。


巷間、腸マッサージなどといって指を使い押したりもみほぐしたりする方法が喧伝されています。


実際に行って効果のある場合もあるでしょう。


しかし、個人的な経験から言えば、指先にコリを触知した段階で、それを対象化し、「ほぐさなければならない」という作為的な心が芽生えてしまうのです。


自分の外に対象を作り、それめがけて自分の思うままに働きかけられると錯覚するところに希望と絶望が同居しており、自らの意思に反してままならないところにストレスが生まれてくるのでしょう。


また外部の対象に対して、これを何とかしなければならないという強迫観念は征服欲と攻撃性を内包していて、ますます我と執着の再生産が行われていきます。


これでは健康のための方法が精神衛生上きわめて不健全な方法になりかねません。


さらに対象に向けられる自覚されない攻撃性こそが、自らの心身を傷つける、病気の原因ではないかと気づくのです。


善悪を判断せず、すべてを肯定的に受け入れるところに、こだわり(コリ)の解放があるはずです。


ですから具体的な方法としては、手をかざすか、当てる、もしくはさするだけにとどめ、「固い」「柔らかい」などの判別性感覚、つまり触覚による分析的な判断を手放しておく必要があります。


「固い」と感じた時点で、それが本当に固くなってしまうという理屈ですから、逆に言えば柔らかくなるイメージ、肯定的なエネルギーが注がれるイメージをもって行えば、柔軟性と力強さに満たされることになるわけです。


そのためにも触覚的な刺激は最小限にしておくほうが、専門家によらない家庭療法としては無難と言えるでしょう。