NHKの時事公論で取り上げられていた
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『受精卵の選別は認められるか~着床前スクリーニング~』
着床前スクリーニング、出生前診断・・・
技術の進歩って、どんどんいろんなことができるようになってる。
詳しくは、リンク先の記事を読んでもらうとして。
ちょっとここで考えたいのは、技術的なことと同時に、ひとの価値観や倫理観とかのこと。
なにが良い、なにが悪い。ではなくてね。
実際、目の前に技術があると、『使う』『使わない』ということも選択を迫られるようになる。
ぼくのところでも、障害を持ったこどもさんを産んだお母さんもいらっしゃる。生命ってやっぱり、わからない。
以前インタビューを紹介させてもらったEさんも、そんなおひとりだった。
そこで、こんなことを言われてた。(一部抜粋)
「やっぱり元気に生んであげられなかったのが、悪かったなーって思うんです。いまでもそうは思います。
どんな病気の子を持ったお母さんでもそうだと思います。
私は病気を持ってたわけではないので、薬を飲んだりしてはなかったですけど、例えば持病を持ってらっしゃる方だったら、私が飲んでたあの薬がいけなかったのかしら、とか絶対に思われると思う。
うちの子を妊娠した時、生理がちょっと遅れてて、病院に行った時に採血でホルモンを調べたら黄体ホルモンが少ないかなって言われて、妊娠が継続できるようにホルモン注射をしたんですよ。
だから、
あの時に注射をしたから、妊娠ができて、だから、本当だったら流れる子が・・・って思ったり。」
不妊治療をしているからこそ、そんなことをどうしても考えてしまう。
そして、すごく印象的だったのが、この言葉だった。
「生む前も悩むし苦しむし、
産んだ後も毎日苦しんだり悩んだりする」
生む前は、この子を生んでいいんだろうかって悩むし、生んでからも良かったんだろうかって。
本当にそうだと思います。
やっぱり悩んだりとか、こどものつらそうな姿を見ると、産まないほうがよかったんかな、この子のためには、とか。そういう葛藤がいつもある。
でもそういうのって、そういう子供をもってみないとわからない。
普通の子を生んだら、それはそれでうれしいし、いいことなんだけど。
実際、病気のこどもを中絶した話とか、聞いたら「えー!」って思うだけだったかもしれない。
でも、今だったらいろいろ。
その家庭、その家庭にいろいろな事情があって、悩まずに答えを出した人って本当に少ないと思うんです。
たくさん悩んで、離婚の危機とか、そういうことも乗り越えて出した答えだと思うから。
そうやって親が一生懸命考えて出した答えに対して、こどもは嫌だとか、思ってないだろうなーって思うんです。
でも、本当に一生懸命見れないかもしれない。
でも、生んだとしても、育児放棄しちゃったりしたら、その子は本当に人間としてしあわせじゃないじゃないですか。
だから、そんな事まで考えて中絶するなら、それはそれで正しい、正しくないじゃなくて、その夫婦の結論だと思うし、他人がとやかく言うことではないと思うんです。」
ぼくね、Eさんにインタビューさせてもらって、本当に、そのとおりだなって思った。
社会やまわりが、正しい、正しくないを判断するのではなくて、選択をしたお母さん、お父さんをサポートする。その選択を尊重する。
それこそが、求められていることじゃないかなって思う。
以前、日本で体外受精がスタートした初期の初期から、不妊治療に携わって来られた荒木先生の講演を聴いたことがある。
いまでは、考えられない。
時代とともに、価値観や倫理観は変わる。
みんなそれぞれ、いろんな価値を持っていて、いろんなことを感じる。
いろんな思いがあって、いろんな選択をすることになる。
ぼくは、
そのひと、そのひとの選択を尊重できる人間で、ありたいな。
そして、みんなで、
そのひと、そのひとの選択を尊重する寛容な社会であってほしいな。