月命日 | 日刊つぶやき新聞

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 暖かく晴れる日がしばらく続く

みたいですなぁ~(^∇^)


ええこっちゃ(*^▽^*)


一昨日の仙台のアケボノ

今日も、こんな感じなのだろう(≡^∇^≡)


今日は父の月命日。

H22/7/24から、

もう約3年半になる。


 月日の経つ事の早さに僕は

額へ汗する・・。


 今でもあの病棟の中での

父と二人きりの会話を思い出す。



 父は晩年、腎臓を患い、元々心臓への

病も持っていた。 


そして長年の労働による

椎間板ヘルニア。


入院を決定付けた、股関節骨折。


 人工透析により、会う度、

体力が衰えて行く事が目に見えて

わかった。 


 もともと腰痛持ちながら同時に

労働もしなければならず、強い鎮痛剤を

飲んでいた父は、入院前から少し痴呆が

進みつつあった。


 痴呆の決定打となったのは、

股関節骨折の時、

更に強い鎮痛剤を打ったせいかと思う。


 享年77歳というのは10年早かった

ように思う。


 病院では日に日に食欲が無くなって

行った。


 2日に1度、病院に通う時、

僕と父とツーショットになる時も

度々あった。


 若い頃、父に対し生意気だった僕も、

さすがに父の話の聞き手に徹した。


 父がどれだけ気持ちよく話せるか、

それが誘い水で元気になれるならばと

いう事に集中していた。



 夕方には

西向きの部屋に夕日がいつも差し込んでいた。


 元々、絵心のある父は、病院の

窓から見える夕日を見ながら

「見てみろ、今日もあんなに綺麗で見事だ」

とよく言っていた。


 転院を繰り返す中、ひとつの病院での

約3ヶ月間、父子のサシでの会話が続いた。


 元々、男同士。

 

 入院でもしなければ

親子でハラを割るなんて、

互いに照れくさくてできないものだ。


 父の若い頃からの思い出、

母との結婚の思い出、

姉や僕が生まれてからの思い出、

等々、エピソードには事欠かない、

凝縮された3ヶ月の会話だった。


 父の痴呆の為、時間は前後する事も

あったが、そんなのは関係ない。


 そして、父がよく話していた。

「おまえと、二人でゆっくりこうして話した事

なんてなかったなぁ・・」


「話してみると、おまえも大人になったなぁ・・」

と繰り返していた。

 

 そりゃ、僕は大人をとっくに通り過ぎている(汗)


 そして僕が食欲が衰えていく父に

「何か食べたいものはある?」と聞くと、

「コーラが飲みたい」・・と言う。


酒も煙草も遊びもやらないで生きてきた

父にとってコーラは、唯一ごちそうであった。


 腎臓病は水分補給が、相当制限されている。


母に話しても、病院に話しても

「コーラァ??」「×!!」と

言われるに決まっている・・。


 でも、僕はコーラを忍ばせて

持って行った。


 水にしろコーラにしろ、スポイトで数滴しか

飲ませられない・・。


 コーラが良くなかったとしたって、

決定的に体調に影響する訳ではないと

思った。


 父の大好物、コーラを口に含ませて

あげた。


 父は「ああぁぁぁ~ウマい!! 俺はこの世の

飲み物でコーラが一番好きなんだ!」と言っていた。


 やって良かったと思っている。


 数滴のコーラが父の脳内快楽ホルモンを

分泌させるなら、そちらの方が延命に

繋がると思った。


 百歩譲り、コーラが数日延命を削ったと

しても1日1度、最大の楽しみがあるのならば

それで良いと僕の価値観は思った。


 その後、母と病院との了承も取った。

病院側もホスピタルの考えだったのだろう。


 そして他界する日をむかえた。


生老病死とは永遠のテーマだ。


死ねば脳が無くなる。

医学的、科学的切り口で考えれば、

思考するツールが無くなるので

その後に意識があるわけがない。


 しかし、医者・科学者だって、

愛する者の死に対し、

「物理的な脳の停止、はい、おしまい」

と割り切れる人の方が少ないだろう。


 宗教の宗派的考えは様々だが、

僕は輪廻転生を信じる。


なぜなら、この宇宙で止まっている物は

何ひとつない。


 ビッグバンより宇宙は膨張しているのだから・・・。


 水だって、川、海、水蒸気、雲、雨、川と

「H2O」は「無」になる事はない。


 生命だけが死んで、そこから先、

永遠の「無」になると考える方が、

不自然であり、非科学的だと思う時代が

やがて来るように思う。


 そして、縁のある眷属は、また

同じところに生まれ合わせると

いった仏説もある。それは親子、兄弟

とかが逆転しているかもしれないが・・。


 まぁ、以前にも載せたが、父は

鶏ドシでせっかちなので、

次に人へ生まれ変わる迄

待てず「トリあえずトリとして・・」

・・・と仏様に交渉し、カメ吉として

会いに来ているのかもしれない。


 ねぇ父上(笑)


なあ、カメ吉・・。


カメ吉「はぁ??」(汗)

生まれ変わる時に

記憶がリセットされるのは

どうにもならない・・。


 前世を覚えていたら、遺産ひとつ取っても

世の中大混乱になるからだ(笑)


 そして上記説明と同様に

サンライズが何十億年も飽きずに

繰り返し、やって来る時間が

来ているのであった。



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