怪しい履修コマ数50でOKとは | むしとの日々

むしとの日々

タイトルの意味は子供時代への郷愁と自分の次の世代がまったく虫に興味を持たないことの悲しみ。
子供孫の時代になって昭和は遠くになりけり。
それでも嫌いさらに反発を覚えるのが左翼的いや利権的自然保護です。
自然保護など語るべきでない。

 センベイが与党に入っているばかりに、必修教科不足のカバーに自民党案では70時間が大勢であったのに、センベイの横槍で50時間に削減、おそらく何時間やろうとと多くは聞いてないだろうし、出欠をとった後にはほとんどが退出したりして(笑)


センベイの横槍はセンベイ高校と称する各種学校の授業内容はどうなっているか追求される前に事態を沈静化したいのだろう。

一般の高校では授業時数のごまかしが何時かは白日の下にさらされる恐れがある、一方でカルト高校ではどのような教育を行おうと批判にさらされ違法行為がばれる可能性が今のところ低い。 

そういえば朝鮮大学と喪家高校はご近所だし。 部外者には計り知れないが糖尿将軍様とか糖尿太昨の肖像画があるかもシレン。


 いずれにしても必修科目を漫然と受講して何も頭に残らずともOKである。 それ以前に高校教育に必要な基礎知識能力がなくとも高校入学している者をどのように教育するか対策は全くない。

これを機会に高校の類別化を進めればよい、現在は大別して普通高校、職業高校と少数の芸術系高校があるだけである。


 分類案

1種普通高校、 2種普通高校、 中学復習学校 とか に分類すればよい。


 教育基本法改正の問題などもあるが高校教育の原点、レベルを設定した時代は高校進学率が僅かだった時代である。

高校全入運動が間違いの根源としても、今となっては十把一絡げに味噌も糞も高校と規定したら窮屈なだけ、時代に適合しない。