伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』 | 文学どうでしょう

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八月の路上に捨てる (文春文庫)/文藝春秋

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伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』(文春文庫)を読みました。芥川賞受賞作です。

離婚届けの提出を翌日に控えた男のごく普通の一日を綴った物語が、「八月の路上に捨てる」。愛し合って結婚したはずなのに何故人はすれ違い、別れてしまうのだろうというやるせなさに満ちた中編です。

結婚ばかりではなく、夢だった映画の脚本家にもなれないままのアルバイト暮らしで、仕事もうまくいっていない主人公。掛け違えてしまったボタンのようにどこかで人生の道を間違えてしまったのでした。

思い通りの人生を過ごせる人の方が少ないはずで、誰もが「こんなはずじゃなかったのに」「どうしてこうなってしまったんだろう」と後悔を抱えて生きていくもの。なので、とても共感しやすい作品です。

主人公の佐藤敦がしているのは、自動販売機の缶の補充をするアルバイト。同じトラックに乗っている女性水城さんも二人の子供を持つ離婚経験者で、敦は水城さんに色々な打ち明け話をしていくのでした。

水城さんは今大人気の、将棋を題材にした少年マンガの話をします。その中に出て来る「けむりづめ」という、詰め将棋の問題について。

「そのマンガでね、けむりづめってのが紹介されてるんだってさ。知ってる?」
「俺、将棋指せますけど、詳しくないです」
「じゃあ、さっと説明してやる。あのねえ、こっちはがむしゃらに攻めまくんの。玉を追いつめるのに最初の一手を指すじゃん。あとは、駒をどんどん取られながら追いつめてく」
「それじゃ駒がなくなっちゃうじゃないですか」
「そう。駒は煙みたいにぽんぽん消えていく。だけど上手くやったら、最後の最後で玉を追いつめられる。問題はちゃんと解けるんだよ。いつかね」
 その代わり、一手でも間違うとあとはゲームオーバーしかないんだよなあ。水城さんは言った。
(中略)
「じゃあ、それが俺の人生だとか言うんでしょう」
 違うよと、水城さんは言った。塩辛い味付けが好きなので、納豆を落としたどんぶりの上に、さらに醤油を「の」の字にかけ回していた。
「あたしがそっくりなの。色んなものをなくしてなくして、それでも最後は勝つかもって夢見ながらやってんだもん」
(30~31ページ)


色んなものを失いながら、そして、一手でも間違うと終わりでも、それでも、いつかいいことがあると信じて生きていくこと。「けむりづめ」と重なるような生き方って、なんだかよく分かる感じがします。

そんな風に人生のうまくいかなさを、「ワカル、ワカル」と思わせながら読ませるところに面白味のある作品ですが、ぼくがこの小説を好きなのは、敦が結構なダメ男なところ。ダメ男小説好きなんですよ。

日本文学のお家芸とも言うべきものに「自然主義」や「私小説」と呼ばれるものがあります。「自然主義」は起こった出来事をありのままに書くものですが、やがては告白のようなものになっていきました。

そして、そうした「自然主義」の流れを汲んで作者と主人公が重なるものが「私小説」。自分に都合のいいことや劇的なことを書いたらそれはフィクションなので、必然的にダメ男小説が多くなって来ます。

「私小説」のダメ男小説に関心のある方は、正宗白鳥、近松秋江、岩野泡鳴の小説を読んでみてください。三人セットで、注と解説が充実している『明治の文学』(筑摩書房)第24巻が特におすすめです。

まあ全集はボリュームがありますから、ダメ男からは少しずれますが「自然主義」からもおすすめを一冊。「八月の路上に捨てる」が気に入った方にぜひ読んでもらいたいのが田山花袋の『田舎教師』です。

田舎教師 (新潮文庫)/新潮社

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作家を志しながら生活のために教師になった青年の理想と現実が淡々とした筆致で描かれる小説で、田山花袋と言えば、「自然主義」の代名詞と言うべき『蒲団』が有名ですが、こちらも印象深い作品です。

「八月の路上に捨てる」はそうした「自然主義」あるいは「私小説」を思わせるダメ男の物語を、現代風のおしゃれな雰囲気で包み込んだような作品。「こいつダメだなあ」と思いながら読むのも一興です。

作品のあらすじ


『八月の路上に捨てる』には、「八月の路上に捨てる」「貝からみる風景」「安定期つれづれ」の3編が収録されています。

「八月の路上に捨てる」

八月最後の日。29歳の敦は、いつものように2歳年上の女性水城さんとトラックで自動販売機をまわっていました。水城さんは九月からは総務課に移ることが決まっており、これが一緒にする最後の仕事。

水城さんに離婚のことを聞かれ、智恵子との出会いを思い出した敦。初めて会ったのは大学の体育の授業。敦は映画の脚本家、智恵子は雑誌編集者になるという夢を持っていただけに、すぐ打ち解けました。

大学卒業後、敦は就職もせずに夢を目指し続けましたが、智恵子はマンション販売代理店に就職します。円形脱毛症になるぐらい仕事に辛さを感じていた智恵子は、食品関係企業の出版部門に転職しました。

いつまでも芽の出ない敦は、収入が少ないことを責められたらそれをきっかけに諦めようと思い始めます。ところが、智恵子の口から出たのは意外にも、自分が稼ぐから結婚しようという話だったのでした。

話を聞いていた水城さんは、なにか話せと言われて感想を述べます。

「話聞いてると、佐藤って嫌な男だよなあ。そういうの内に溜めておくタイプじゃないと思ってたけどね、あたしには何でも話すから。エロ話でも平気でするじゃん」
「だって、嫁さんとエロ話なんか普通しないでしょう」
「うちはしてたけど」
 だから捨てられたんだと言うと、こっちが三行半をつきつけたのだと肩の辺りをゲンコツで殴られた。彼女から、三行半などという言葉が出てくるのは意外な気がした。
 水城さんの母親がよく使っていたのではないかと、敦は勝手な空想をする。訊いたことはないが、きっと彼女の母も夫に三行半をつきつけたのだ。
「そんなことまで話しますか?」
「何でも話し合わないと、あとで面倒になるからさ」
「まあ、だからうちはこうなったんでしょうけど」(23ページ)


智恵子が稼いで、敦は自分の夢を追いかける、そんな風に始まった二人の結婚生活の歯車は、思わぬ出来事をきっかけに狂い始めて……。

「貝からみる風景」

ライターとして自宅で働いている淳一の日課は、鮎子の退社にあわせて近所のスーパーで合流し、一緒に夕飯の買い物をすること。少し先に着く淳一がいつも見ているのは、”お客様の声”のコーナーでした。

「『ふう太郎スナック』が売り場から消えてしまいました。もう入荷しないのですか。子供が泣いて困っています」(93ページ)などの投書を見てこれを書いている人はどんな人だろうと空想するのです。

いつまでも古いファックスで要件を伝える父や、仕事を請け負ったもののまだ未入金の会社がつぶれたらしいという噂を聞いて困ったりもしますが、いつものように鮎子と並んで、ベッドに横になりました。

 夜風が届くと、レースのカーテンは淳一の胸元まですっぽりと包み込むように膨らんだ。中に入ると、貝の中にいるようだった。貝の中に寄生して暮らす小さな生き物になった気分になる。生まれて死ぬまで、この風景しか知らないちっぽけな存在。何が欲しいということもないし、何が要らないということもない。流れ込んでくるものをただ食らい、眠って起きて死んで、それが幸せかどうかさえ感じることもない。
 しかし桃源郷を見た気がして、淳一は隣の鮎子に一緒に入ってみなよと誘った。(112ページ)


そして淳一は、スーパーで起こった、ある出来事を話し始めて……。

「安定期つれづれ」

会社を早期退職し、特にやることもない英男はまだ働いている妻の静江を助けるために色々と家事を手伝う日々。チリ産の冷凍ものの鮭の切り身を買って来るともう少しいいものを買って来てと怒られます。

妊娠中の娘の真子がつわりがひどいからと帰って来ているので、タバコをやめることにしました。すぐにやめると体に変調をきたすので、ニコチンをおさえるパイプを使って、禁煙に取り組み始めたのです。

真子の夫である晃一が様子を伺いに来て、食事をしていきますが、真子と晃一の様子から、二人がなんとなくうまくいっていないことが分かりました。娘夫婦を心配する静江はなにかと英男を責め立てます。

「……何だか」
「何だ」
「こんなことなら、禁煙なんかしてもらわないほうが、私、嬉しいわ」
「何を言ってる。初孫に嫌われてもいいのかって脅したのはそっちだろう。ようやく俺も本腰を入れようって気になってきたのに」
 静江にしてみれば、禁煙することで頭がいっぱいになりすぎなのだとか。他のことができていないと言う。
 まったくの言いがかりだと英男は思ったものの、そう思わせておいたほうがすんなりと上手くいく。三十年以上も寄り添っていると、伝えるべきことがあっても、タイミングを外すとまるで駄目になることはよくわかっていた。静江だって同じ思いで、とりあえずはこぶしを引っ込めたことがあったに違いない。
「ほらみろ、お前が煙草の話なんかするから、また吸いたくなった。今日あたりから本数を減らそうと思っていたのに、あーあ」
(153~154ページ)


やがて、両親が自分のことで言い争っていると気付いた真子と、英男は結婚について、赤ちゃんについて腹を割って話すこととなり……。

とまあそんな3編が収録されています。様々な形で夫婦の姿がとらえられた一冊。やや重い内容で、身につまされる話が多かったですが、ウィットのある文体なので、暗くなり過ぎていないのがいいですね。

何も起こらないと言えば何も起こらない「貝からみる風景」もなかなか面白く、こういうゆるやかな雰囲気の小説もぼくは結構好きです。「安定期つれづれ」はまさに、”あるある”という感じの作品でした。

芥川賞受賞作は冷たい印象を受けるものが多いですが、伊藤たかみはテーマ的には重くても、どこか温かみがあるのが特徴。物語として引き込まれる一冊なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、ウルフ/リース『灯台へ/サルガッソーの広い海』を紹介する予定です。