新潮日本古典集成『雨月物語 癇癖談』 | 文学どうでしょう

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新潮日本古典集成『雨月物語 癇癖談』(新潮社)を読みました。

日本の古典文学を原典で読んでみたいけれど、どの全集で読むのが一番いいの? という方は、こちらの記事もご参照ください。→全集について

さて、一口に日本の古典文学と言っても、時代も幅広いですし、内容も多種多様ですよね。神話や歴史を描いたものがあれば、和歌物語があり、随筆があります。

当時の文化や歴史を学べるのも古典の醍醐味ですし、また、古典から人生訓を読み取るのも、とてもためになることだと思います。

ただ、現代の読者にとって、ある意味で一番重要なのは、今読んで”小説的”に面白いかどうかではないでしょうか?

「素晴らしい」古典ではなく、「面白い」古典が読みたいという方に何よりおすすめなのが、今回紹介する『雨月物語』なんです。

『雨月物語』は、歌人でもあり、国学者でもあり、一時は医者もやっていた上田秋成によって、江戸時代後期に書かれた読本(よみほん。簡単に言えば江戸時代の小説のこと)です。

その当時の江戸では、中国の白話小説(はくわしょうせつ)が流行していたんですね。

白話小説は、耳慣れない言葉だと思いますが、書き言葉(漢文をイメージしてもらえれば、大体あっています)ではなく、話し言葉で書かれたもののことです。

読みやすく、物語性に富んでいるのがその大きな特徴で、有名な作品としては、みなさんご存知の『三国志演義』や『水滸伝』などがあります。

江戸時代には著作権という概念がありませんから、面白そうな話があると、アイディアやストーリーを持って来て、読本を書いてしまうことが多かったんですね。

同じく江戸時代後期に書かれた曲亭馬琴の読本、『南総里見八犬伝』もまた、中国の白話小説に大きな影響を受けた作品でしたね。

『雨月物語』には、幽霊など、人間ではない存在が登場する怪奇譚が9編収録されているのですが、やはり、中国に話の典拠があるものが多いです。

ただ、作者の上田秋成は国学者でもあった人物でしたね。

国学というのは、外来の文化ではなく、『古事記』や『万葉集』など、日本独自の文化を大切にしようという学問のこと。

『雨月物語』は、アイディアは中国から持って来ていても、文章は日本の古典(特に平安時代の文学)を強く意識したものになっているんです。

たとえば、『雨月物語』の「浅茅が宿」での、荒れ果てた家の描写は、『源氏物語』の「蓬生」の巻から持って来たりなど。

同じように中国の話を換骨奪胎した他の読本とは一線を画して、『雨月物語』が今なお高く評価され続けている大きな理由は、やはり文章のよさにあるのではないかと思います。

海外のホラーでは、たとえば、いきなり得体の知れないモンスターがチェーンソーを持って追いかけて来たりしますよね。モンスターに襲われる必然性というのは、あまりないものです。

一方、『雨月物語』に登場する幽霊というのは、愛や怨念など、祟る相手に何かしらの強い想いがあるからこそ、この世に残り続けている存在なわけです。

そうした強い想いが描かれた時、ホラー的な恐怖を感じるのではなく、なんだかしみじみと心動かされてしまいます。そんな面白さのある作品です。

作品のあらすじ


雨月物語(うげつものがたり)


「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧富論」の9編が収録されています。

「白峯」

ある旅人が、島流しにあって無念の死を遂げた、崇徳上皇のお墓があるという白峯(しらみね。現在の香川県にある山)に向かいます。

「千仭の谷底より雲霧おひぼのれば、咫尺をも鬱悒きここ地せらる」(14ページ)つまり、深い谷底から霧が立ち込めて来て、目の前すら見えず、不安な気持ちになった旅人。

ようやく石の重ねられたお墓にたどり着くと、生前の崇徳上皇のことを思い出して、悲しい気持ちに襲われました。

せめてもの供養をと、旅人はひたすらお経を読み続けます。夜になると、辺りはおどろおどろしい雰囲気に包まれ、「円位円位」(15ページ)と旅人を呼ぶ声が聞こえて来ました。

円位とは、西行の法名ですから、旅人が西行であることがここで分かります。そして現われたのはなんと、顔や姿はぼんやりとしか見えない、崇徳上皇の亡霊だったのです。

西行は出家の身ですから、慌てず、この世に未練を残さず、成仏してくれるように頼みます。

しかし、怨みを抱えて死んだ崇徳上皇は、「汝しらず、近来の世の乱は朕がなす事なり」(16ページ)と、最近起こった平治の乱などは、自分が起こさせたものだと、からから笑い始めて・・・。

「菊花の約」

丈部左門という学者は、赤穴宗右衛門という侍が病気で苦しんでいるのを助けてやり、それをきっかけにして2人は親しくなり、やがて義兄弟になりました。

赤穴は、争乱の続く自分の故郷の様子を見て来たいと、左門に暇乞いをします。左門は、いつ帰って来てくれるのか、赤穴に尋ねました。

左門云ふ、「秋はいつの日を定めて待つべきや。ねがふは約し給へ」。赤穴云ふ、「重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし」。左門いふ、「兄長必ず此の日をあやまり給ふな。一枝の菊花に薄酒を備へて待ちたてまつらん」と、互に情をつくして赤穴は西に帰りけり。(34ページ)


重陽、つまり9月9日の菊の節句には帰って来ると約束して、赤穴は出かけて行ったわけですね。

やがて約束した9月9日になりました。左門の母は、赤穴は何しろ遠い場所へ出かけて行ったのだから、間に合うかどうか分からないと言います。

しかし左門は、「赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ」(35ページ)とご馳走の用意を始めました。

ところが、夜になっても赤穴はやって来ません。

母を先に寝かし、ひたすら待ち続けた左門が諦めかけた時、「おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり」(36ページ)と、約束通り赤穴は戻って来てくれました。

喜ぶ左門ですが、赤穴はどこかおかしな様子で・・・。

「浅茅が宿」

下総(現在の千葉県)に勝四郎という男がいました。怠け者ゆえに、貧しくなりましたが、京で一儲けしたいと考えるようになります。

勝四郎は田んぼを売って、絹に変え、妻の宮木を置いて京へ出かけて行きました。

秋には帰るという約束を信じて夫を待ち続ける宮木ですが、鎌倉で大きな争いが起こり、京とは連絡が取れなくなってしまったのです。

美しい宮木に言い寄って来る男はたくさんいましたが、宮木は夫への操を立てて、すべてはねのけます。どんどん貧しくなっていきますが、夫を信じて待ち続ける宮木。

一方、狙い通り京で儲けた勝四郎でしたが、下総への関所が閉ざされていること、そして何より戦で妻は死んでしまっただろうと思い、故郷には戻らず、新しい人生を始めます。

それから7年ほどが過ぎて、ふと故郷に戻る気になりました。かつて自分が住んでいた家へ行ってみると・・・。

「夢応の鯉魚」

三井寺という寺に、絵を巧みに描くことで有名な興義というお坊さんがいました。

ある時、病気になって死んでしまったように思われた興義ですが、どうやら胸が少しあたたかいようだというので、弟子たちがそのまま見守っていると、三日後に息を吹き返しました。

興義は、早速平の助の殿の館に人をつかわします。そこで開いている宴会をやめてやって来たら、世にも珍しい話を聞かせてやると言わせたんですね。

興義が、平の助の殿の館の宴会の様子を知っているのが、周りの人間には不思議でなりません。すると、興義は自分はしばらく魚になっていたという、何とも奇妙な話をし始めたのです。

体から飛び出て、湖を泳いでいた興義は、魚になって泳いでみたいと言うと、海の神がそれを叶えてくれました。

「海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今江に入りて魚の遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて、水府のたのしみをせさせ給ふ。只餌の香ばしきに眛まされて、釣の糸にかかり身を亡ふ事なかれ」(66ページ)


海の神が、金色の光を放つ鯉の服を授けて、興義に水中の世界を楽しませてくれるというのですが、ただ一つだけ、釣り糸にかかった餌にだけは気を付けろというわけですね。

自由自在に泳ぎ回る魚であることを満喫している興義ですが、段々おなかがすいて来ます。すると、知り合いの文四が垂らしている釣り餌が目に入りました。

勿論、海の神の戒めを忘れたわけではありませんが、段々その誘惑に勝てなくなってきて・・・。

「仏法僧」

夢然という隠居が末っ子の作之治を連れて京に旅に出ました。しばらく京を堪能した後、今度は奈良の高野山へ向かいます。

しかし、旅人には寺を宿として貸すことは出来ないと言われ、霊廟の前にある燈籠堂で夜を明かすことになってしまったのです。

やがて、仏法僧(ぶっぽうそう。フクロウの一種、コノハズクのこと)の鳴き声が辺りに響き渡りました。

すると、烏帽子をかぶった貴人が武士の従者を連れて現れ、みんなでがやがやと話をし始めて・・・。この人々の正体は一体?

「吉備津の釜」

吉備(現在の岡山県)に、井沢正太郎という若者がいました。

怠け者で、酒や女に溺れる正太郎に頭を抱えていた両親は、「あはれ良人の女子の貌よきを娶りてあはせなば、渠が身もおのづから脩まりなん」(85ページ)美人のお嫁さんをもらえば、自然と落ち着くのではないかと考え、縁談を決めます。

その相手が、眉目秀麗で有名な神主の娘、17歳の磯良(いそら)です。

父の神主は釜で吉凶を占います。吉ならば、釜は「牛の吼ゆるが如し」(86ページ)音が鳴るはず。しかし、何の音もしなかったのです。これは、凶の知らせに間違いありません。

しかし、神主の妻は、儀式を手伝った人々の体が清潔ではなかったのだと言って、占いを無視してしまいました。

正太郎と磯良の結婚は、初めはうまくいっていたのですが、やがて正太郎は磯良を騙して金を巻き上げ、愛人を連れて遠くへ逃げてしまったのです。

磯良の恨みの気持ちはただごとではありません。やがて、病気で寝込んでしまった磯良の恨みは益々強くなっていき、病は重くなっていきます。

それと同時に、正太郎の周りでは奇妙な出来事が起こるようになって・・・。

「蛇性の婬」

紀の国(現在の和歌山県)に住む、大宅の竹助の三男に、豊雄という若者がいました。

人柄は優しく、優雅なものを好み、汗水垂らして働く気がない豊雄。一応神官の元で学問を学んではいます。

師の元からの帰り道、雨が降って来たので雨宿りをしようとした所で、童を連れた、「年は廿にたらぬ女の、顔容髪のかかりいと艶ひやか」(100ページ)まだ二十歳にはなっていない、顔や、髪の毛が肩に垂れかかっている様子が美しい、絶世の美女と出会います。

雨に濡れて、自分を見てなんだか恥ずかしな様子をしているその女に、豊雄は心を惹かれました。

傘を貸してやり、後日返してもらいにその女、真女子の家を訪ね、打ち解けた2人は、将来を誓いあうこととなりました。

しかしやがて、不思議なことがいくつか起こり、真女子はどうやら、人間ではないらしいことが分かります。仙人のような翁が、真女子の正体を見抜いたのです。

翁「さればこそ。此の邪神は年経たる虵なり。かれが性は婬なる物にて、『牛と孳みては麟を生み、馬とあひては龍馬を生む』といへり。此の魅はせつるも、はたそこの秀麗に姧けたると見えたり。かくまで犱ねきを、よく慎み給はずば、おそらくは命を失ひ給ふべし」(111ページ)


「虵」は「ヘビ」のことです。真女子は長年生きているみだらな邪神で、豊雄の美貌に惹かれてしつこくとりついているというんですね。このままでは命が危ないと。

必死で真女子から逃れようとする豊雄ですが・・・。

「青頭巾」

快庵禅師というえらいお坊さんがいました。旅の途中で、下野(現在の栃木県)へ寄った時のこと。

村人たちは、快庵禅師の姿を見ると、「山の鬼こそ来りたれ。人みな出でよ」(133ページ)山の鬼がやって来た、みんな集まれ、と大騒ぎになったのです。

よくよく話を聞くと、里の上の寺で、ある恐ろしい事件が起こっていたことが分かりました。

住職は勉強熱心で、とても評判がよかったのですが、身の回りの世話をさせていた12、3歳の童が病気で亡くなってしまったんですね。

悲しみにくれる住職は、童を弔うことすら出来ずに、ずっとそばに置き、ついには腐ったその肉を食べてしまったのです。

それからというもの、住職は里に降りては墓を暴き、死肉を喰らう鬼と化してしまったのでした。

話を聞いた快庵禅師は、「老衲もしこの鬼を教化して本源の心にかへらしめなば、こよひの饗の報いともなりなんかし」(139ページ)老僧が鬼に説いて本来の心へ戻すことが出来れば、今夜のお礼になることでしょうと言って、山へ登っていって・・・。

「貧富論」

陸奥(現在の福島県)に岡左内という武士がいました。とにかく倹約が大好きで、貯めたお金を眺めるのが、何よりの楽しみです。

ある夜のこと。枕元に、にこにこと笑っている小さな翁が座っていました。

翁は、「君がかしづき給ふ黄金の精霊なり。年来篤くもてなし給ふうれしさに、夜話せんとて推してまゐりたるなり」(148ページ)と言います。

つまり、あなたが大切になさっている黄金の精霊です。長い間大切にしていただいたうれしさに、一晩お話をしましょうとあえて参上いたしました、というわけですね。

それから左内と翁は、お金について語り明かすこととなって・・・。

とまあそんな9編が収録されています。どの作品も面白いですが、人肉を喰らうという設定の壮絶さでは「青頭巾」が、魚になるという発想のユニークさとラストシーンの鮮やかさでは「夢応の鯉魚」がとりわけ印象に残ります。

怪談話としては、「吉備津の釜」がやはり一番面白いかも知れません。磯良は、貴志祐介の『十三番目の人格 ISOLA』の元ネタでもあります。

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ぼくが昔から最も好きなのは、「蛇性の婬」なんです。

恋に落ちた絶世の美女の正体が実はヘビで・・・という、怪談と恋愛という、普通は混ざり合わないはずの要素がごちゃまぜになっているのが、何ともユニークな作品。

お互い好きあっているなら、もう放っておいてやればいいのにと思ったりも。あれだけ愛されれば、とり殺されても幸せですよ、きっと。

癇癖談(くせものがたり)


タイトルの通り、『伊勢物語』のパロディであり、当時の様々な物事を諷刺的に(滑稽味をもたせながら批判する感じで)描いた、江戸版ジョーク集とも言うべき作品。

巻末に『伊勢物語』の抜粋が付録として載っていますが、『伊勢物語』の知識があると、より楽しめます。

たとえば、『伊勢物語』の第六段で、女が鬼にさらわれるという話があります。それのパロディで、ある色男が遊女と一緒に歩いている時に、鬼(強盗)が現れて、女の髪飾りを奪っていくんですね。

男は悔しがって、女が奪われた飾りなどを弁償してやります。しかしそれは実は、女とその愛人の金目当ての狂言だったというオチ。ちょっとひねってあって面白いですよね。

さらに、思わず笑ってしまったのが、『伊勢物語』の第二十三段のパロディ。

『伊勢物語』では、浮気している夫が、自分がいない時の妻と愛人の様子を覗き見して、愛人のだらしなさ、そして、妻の素晴らしさに気付き、妻の元へ戻るというお話なんです。

ところが、「癇癖談」では、愛人の所へ行ったふりをして自宅を覗いてみると、妻はいきいきと「そこをたけ、かしこに炭つげ」(191ページ)そこで火を燃やせ、あそこに炭を足せ、と自ら指示を出して、ご馳走をこしらえていたんですね。

『伊勢物語』では下品な仕草として描かれた、自らしゃもじでご飯をよそう様子が、「癇癖談」ではとてもうれしそうな、幸せそうな感じが出ていて、なんだかすごくおかしかったです。

自分がいない間に贅沢をされてはたまらんと、男は愛人を捨てて、妻の元に戻ることになったいうオチ。色気よりも食い気な感じが面白いですよね。

伊勢物語』のパロディ以外の部分で、特にぼくが気に入ったのは、俳諧の好きな人が、松尾芭蕉の『奥の細道』を真似て出かけて行く話。

旅先で宿を借りようとすると、「何がしどの御下には、はいかいしと博奕うちの、やどするものはなきぞ」(200ページ)と断られてしまいます。

つまり、この城下町には、俳諧師と博奕打ちを泊めてやれる所は、どこにもないというんですね。何故かと言うと、どちらも遊んでばかりいて、生活には何の役にも立たない仕事をしている人だから。

風流さを求めてわざわざ旅して行ったのに、博奕打ちと同じく遊び人だと思われてしまったのが、何とも情けないというオチ。

農作業に一生懸命になっている人に対して、言い返せない感じがあるのが面白いですよね。

とまあそんな「雨月物語」と「癇癖談」が収録された一冊です。

「雨月物語」は、それぞれの話は短いですし、江戸時代のものなので、やはり平安時代に比べると、文章的にも読みやすいです。

そして、「癇癖談」は短い笑い話がたくさん載せられた、気軽に読める楽しい作品。

あらすじを読んで、興味を持った方は、ぜひ原典に挑戦してみてくださいね。

また、原典は難しすぎるなあという方は、口語訳も色んな出版社から出ていますので、探してみてください。

明日は、鶴屋南北『東海道四谷怪談』を紹介する予定です。