角田喜久雄『髑髏銭』 | 文学どうでしょう

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角田喜久雄『髑髏銭』(講談社大衆文学館)を読みました。

ぼくが読んだ講談社大衆文学館のものは絶版ですが、電子書籍版は手に入るようですし、また、春陽文庫からも出ています。

富田常雄の『姿三四郎』を紹介した時にも触れましたが、年が改まったこともあるので、講談社大衆文学館について、また少し書きます。

講談社大衆文学館というのは、1995~97年にかけて出版された、文庫サイズの大衆文学の選集です。おそらく全100巻だろうと思います。

長谷川伸、三上於菟吉、野村胡堂、山手樹一郎、国枝史郎など、大衆文学を代表する作家たちの作品が文庫で読めるという、とてもいいシリーズなのですが、残念ながら現在は絶版状態。

なかなか手に入りづらいのがちょっと厄介なんですが、ぼくが今一番興味があるのが明治~昭和の大衆文学なので、今年はこのシリーズを少しずつ読んでいきたいなあと思っています。

さて、今回紹介する『髑髏銭』は、新聞に連載されていたこともあって、とにかく物語の筋が面白く、毎回はらはらどきどきの展開が続く、まさに大衆文学と呼ぶにふさわしい作品です。

物語の舞台となるのは元禄5年の江戸時代。5代将軍、徳川綱吉の時代です。

25、6歳の浪人者、神奈三四郎は、とにかく腕が立ち、男ぶりもいい若侍。徳川綱吉に近付き、誰にも明かすことの出来ない宿願を果たしたいと思っています。

そんな三四郎は、ひょんなことから、莫大な財宝を手に入れるために必要な、髑髏銭(どくろせん)の奪い合いに巻き込まれていくこととなります。

江戸幕府の側用人(そばようにん。将軍の側近で、将軍と老中の橋渡し的な役目)である柳沢吉保も髑髏銭を狙っているのですが、何より恐ろしいのは、銭酸漿(ぜにほおずき)の異名を取る謎の怪物。

銭酸漿は片目を失い、銭形の朱肉を一面に押した布で覆面をしているのですが、それが酸漿(ほおずき)のような赤さをしていることから、銭酸漿と呼ばれるようになりました。

容貌だけでなく、正体も謎に包まれており、残虐非道な行いで江戸の町を恐怖に陥れている銭酸漿は、なんと鎖鎌の達人なんです。

欲ではなく、復讐心から髑髏銭を追っている銭酸漿は、幾度となく三四郎と刃を交えることとなり・・・。

折角なので、三四郎と銭酸漿との息つまる決闘場面を、少しだけ紹介しましょう。

 やむなく抜いた刀ながら、相手の気魄に惹き入れられて、今、三四郎の闘志は赫々と燃え上って来た。
 逞しく張った両の肩に、力瘤が隆々と盛り上り、踏んまえた両の足はそのまま大地にめりこんだように微動さえしない。
 銭酸漿も、既に固く唇をむすんで、その蒼白な顔は、寧ろ陰惨に見えるまで鋭さに沈んで来た。
 この辺り、叢が続いて、その先は桐林。天も地も朝靄に押し包まれて、寂として風の声さえ聞こえない。
 銭酸漿は、その胸の辺りにある左手に刃の折り畳める特異な形の鎌を持ち、だらりとさげた右手は鉄鎖の先端についた、あの凄じい分銅を握っている。
 眠っているかと疑われるばかり、糸のように細く見開いた隻眼が、その胸の中の暗さを思わせるような冷たさで、じッと、またたきすらせず、三四郎の呼吸を凝視していた。
 何方も動かぬ。(468ページ)


いやあ、いいですねえ。こうした緊迫した場面は、時代小説ならではの醍醐味ですね。

この場面からもよく分かりますが、清廉潔白なヒーロー三四郎よりも、むしろ復讐の鬼と化し、誰からも忌み嫌われている、銭酸漿の方が印象に残る作品でもあります。

銭酸漿は、単なる悪役ではなく、子供たちに優しい一面があったり、心にどうしようもない淋しさを抱えている複雑な人物として設定されていて、言わばダークヒーローとも言うべき存在なんですね。

さてさて、三四郎はその男ぶりのよさからモテモテで、ヒロインにあたるお小夜という娘、柳沢吉保の娘で武芸の達人である檜、スリの名人である十六夜のお銀の3人から想いを寄せられます。

物語は髑髏銭に隠された謎がメインだったはずなのに、段々と、純粋なお小夜、お嬢様の檜、蓮っ葉なお銀という個性豊かな面々が、三四郎を取り合ってバチバチ火花を散らすという、まさかの展開になっていきます。

三四郎の宿願や、銭酸漿の復讐から物語の軸がぶれて、どんどんおかしな方向に物語が膨らんでいくのは、ある意味では物語の破綻に他ならないのですが、それが大衆文学の醍醐味なわけですよ。

何より驚いたのが、我らがダークヒーロー銭酸漿も「……俺は、お銀、お前を……」(299ページ)と、ただでさえごちゃごちゃした恋愛模様に参戦してきたこと。いやあ予想外の展開でした。

恋のさや当ての結末やいかに!?

読み終わると、髑髏銭をめぐるストーリーはもうはっきり言ってあまり印象に残らないんですが、三四郎、銭酸漿、お小夜、檜、お銀という個性あふれるキャラクターが、とにかく魅力的な小説です。

作品のあらすじ


武家の娘ながら両親を失い、針仕事で細々と暮らしている18、9歳のお小夜の家に、米五郎と名乗る、町人らしき男が逃げ込んできました。

どうしてもと米五郎に頼まれて、米五郎の持っていた包みを届けに行った先で、お小夜は二枚の銅銭を眼の上に乗せられた死体を見つけてしまいます。

逃げ出そうとしたお小夜ですが、立ちふさがるように戸口に立っていたのは、赤い覆面をした不気味な男。

 枯木のように痩せて背の高い男だ。黒い衣類の着流しに、黒い柄糸、黒鍔、黒鞘の刀を落しざしにして、懐手の肩を病的にいからせ、片手には弓の折れらしいものを杖についている。(31ページ)


お小夜はそれが江戸の町を騒がしている怪物、銭酸漿だとすぐに気が付きました。目の前の死体を殺したのは銭酸漿に間違いありませんし、その銭酸漿が目撃者を生かしておくとも思えません。

お小夜、絶体絶命の危機。すると、そこへやって来たのは、ここへ来る途中で道を尋ねてきた若侍でした。銭酸漿の放った飛び道具を、若侍は刀で撃ち落とします。

 若侍は、一刀流の正統と見える平正眼の構えのかげから、相手の異様な武器と構えとに、注意深い凝視を送っていた。
「若僧。少しは、やるな……」
 朱い覆面のかげから、突然嗄れ声が陰気に漏れてくる。
「何故、邪魔アしやアがる?」
「邪魔?」
 若侍の片頬に、冷笑のようなものがかすかに動いた。
「人殺しの邪魔をして、何故、悪い?」
 こうした切迫した空気の中にあって、その若さに似げない不敵な沈着さである。
「何ッ!」(39ページ)


一触即発の空気でしたが、猫の鳴き声を耳にすると、銭酸漿ははっとした様子で身を引き、猫のあとを追いかけて行きました。

神奈三四郎と名乗った若侍は、お小夜が落とした簪(かんざし)を届けに来て、たまたま危ない所を救ってくれたというわけです。

お小夜の自宅は岡っ引きが包囲しているので、戻ることは出来ません。やむをえずお小夜は、三四郎の長屋へ身を寄せることとなりました。

三四郎とお小夜の間には何もないのですが、美男美女の2人は、勿論お互いを憎からず思っています。

2人が米五郎から預かった包みを見てみると、そこには黒猫の死骸が入れられていました。

「生類憐憫の御布令」が施行されている時代です。死骸が見つかればただではすまないのに、一体この猫は何のために殺されたのでしょう? そう言えば、銭酸漿が追いかけていたのも猫でした。

猫の死骸を埋めた三四郎とお小夜の所へ、仙海という50歳ほどの男が遊びに来ます。

僧名を持ち、頭は剃っていますが、その粋な格好から、どうやら本当のお坊さんではないようです。

三四郎と仙海は親しく付き合っているのですが、仙海には三四郎にも知らせていない裏の顔がありました。

実は仙海は「その綽名の如く念仏を口癖に唱えているという事と、その神通力の前には如何なる金庫錠前も無力に均しい」(76ページ)大泥棒、念仏の仙十郎だったのです。

仙十郎は米五郎を見つけ出して脅し、殺された猫にまつわる秘密を聞き出しました。

どうやら多くの人間が、莫大な財宝への鍵となる髑髏銭を探しており、髑髏銭にまつわる秘密は、柳沢吉保が所有している『精撰皇朝銭譜』という本に書かれているらしいことが分かります。

仙十郎はこの大きなヤマをつかむために、柳沢吉保の元へ忍び込んで行って・・・。

三四郎は三四郎で、誰にも告げていない秘密がありました。実は三四郎は、「寛永九年、高崎の地に非業の死をとげた駿河大納言忠長卿」(120ページ)の孫にあたる人物だったのです。

三代将軍家光との家督争いに敗れ、無残にも殺されてしまった祖父の恨みを胸に抱く三四郎。

「家光公の血を伝える人々に、兄が肉親の弟を殺戮するに及んだ理由を詰問し、場合によっては、当然流すべき血を流すのみだ……」(121ページ)とかたく心に誓い、5代将軍徳川綱吉に近付こうとしています。

そのためには、柳沢吉保に仕官し、取り立ててもらうのが近道だと思う三四郎ですが、仕官はなかなかうまくいきません。

手伝ってくれようとしたお小夜は、スリの十六夜のお銀の罠にかかり、罪人として柳沢吉保の囚われ人になってしまいました。

柳沢吉保が驚いたのは、お小夜が自分の娘の檜にそっくりだったこと。綱吉が檜を妾にしたいと何度も言って来ていることから、お小夜を養女にして、綱吉に差し出そうと考えるようになります。

我儘に育ち、武芸の腕も一流と自負している檜は、ひょんなことから三四郎と試合をすることになり、「もし、この檜が敗れた時は、この身体を、斬るなと裂くなと好きにせ」(203ページ)と自信満々に誓いを交わしました。

激しい戦いがくり広げられましたが、結局檜は三四郎に敗れてしまいます。人生で初めての敗北は、檜の心を打ちのめしました。

それからというもの、檜は三四郎に一途な想いを寄せるようになったのですが、三四郎は宿願を胸に秘めた身ですし、何よりお小夜のことが心にありますから、檜の愛を受け入れられません。

やがて、人々が血眼で探している髑髏銭は、実は2匹の猫の腹の中に隠されていたことが分かります。

それぞれがそれぞれの思惑で消えた猫を探して行きますが、銭酸漿と遭遇したスリのお銀は、思わぬ話を耳にしました。

銭酸漿は、なんと髑髏銭を作った浮田家の末裔だというのです。古銭蒐集家だった父を、財宝目当てで殺し、髑髏銭を奪った一味に対して、復讐の刃をふるっていたのです。

囚われの身となり、綱吉の妾にさせられようとしているお小夜。柳沢家を捨て、たとえ貧乏生活をすることになっても構わない、それでも三四郎と共に生きたいと願う檜。

いつしか三四郎に想いを寄せるようになってしまったスリのお銀。復讐心だけを胸に秘めながら、お銀を恋するようになってしまった銭酸漿。

様々な政治的問題に頭を抱えつつ、髑髏銭の財宝を狙う柳沢吉保。その財宝を横取りしようとする大泥棒、念仏の仙十郎。

そして、3人の女性に想われながらも応えず、宿願のために徳川綱吉に近付く時を、虎視眈々と狙っている三四郎。

様々な人物が、それぞれの思惑を抱えながら、江戸の町を縦横無尽に駆け巡ります。

はたして、髑髏銭の財宝を手にするのは一体誰なのか? そして、それぞれの恋の行方は!?

とまあそんなお話です。色んな所をはしょらなければならなかったので、なんだかよく分からなかったかも知れませんが、とにかくまあ、それだけ色んな物語の要素が詰め込まれている小説だということでご勘弁を。

とにかくキャラクターが魅力的な小説だと書きましたけれど、個人的にはもう、かなり色んな所がツボに入るんですよ。

たとえば、檜は家を抜け出して三四郎の長屋へ来てしまうんですね。それで三四郎のお世話をしようとするんですが、お嬢様育ちですから、お米のとぎ方すら知らないわけです。

そこで、隣の家の奥さんに聞きに行くんですが、「つきましては、早速ながら、慣れぬことにて勝手が相知れませぬ。水加減とやらは如何程にて宜しきものにござりまするか、御教示の程……」(434ページ)と堅苦しい言葉づかいをして、相手を恐縮させてしまいます。

檜は武芸も相当できますから、物語の前半ではもうかなり我儘なじゃじゃ馬娘だったのが、この健気さですよ。いやあ相当ぐっと来ましたね。

そんな感じで、それぞれのキャラ設定が活かされたり、思いがけないギャップが描かれたり、面白い展開がたくさんあります。

物語の軸がかなりぶれている小説ではありますが、抜群のキャラクター性を持つダークヒーロー銭酸漿や、美しく可憐なヒロインたちがとにかく印象に残る作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみて下さい。

明日は、横関大『再会』を紹介する予定です。