富田常雄『姿三四郎』 | 文学どうでしょう

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富田常雄『姿三四郎』(全3巻、講談社大衆文学館)を読みました。

ぼくが前に読んだのは新潮文庫版だったんですが、現在はいずれも絶版のようですね。残念なことです。

あっ、ちなみに講談社大衆文学館というのは、講談社が出していた文庫サイズの選集です。時代小説と探偵小説を中心に、大衆文学の有名な作品が、数多く収録されています。

全部で100冊くらいあるんですが、これがかなり面白そうな、興奮もののラインナップなわけですよ。作家で言うとですね、たとえば長谷川伸、三上於菟吉、野村胡堂、山手樹一郎、国枝史郎などが収録されています。

現在ではあまり知られていない作家たちだと思いますし、ぼくもまだほとんど読んでいませんが、たとえば野村胡堂は「銭形平次」を書いた人です。そう聞くと、俄然興味が湧いて来ませんか?

時代小説や探偵小説のルーツ的なものに、今ぼくは一番興味がありますねえ。たとえば、林不忘の『丹下左膳』とか、五味康祐の『柳生武芸帳』とか、柴田錬三郎の『眠狂四郎』とか。

歴史小説と違って、大衆文学というのはもっとこう、なんていうんですか、講談が元になっているので、エンタメ度が高いわけですよ。主人公がピンチに陥って、「以下次号!」みたいな強引なノリが、とにかくもう面白いわけですよ。

そうそう、最近読んだんですが、その辺りの大衆文学史に興味のある方におすすめなのが、大村彦次郎の『時代小説盛衰史』です。

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時代小説盛衰史 下 (ちくま文庫)/筑摩書房

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伊藤整の『日本文壇史』の大衆文学版のような感じで、単純な資料ではなくて、少し物語テイストが加わっているので、読み物として結構面白いです。

吉川英治、山岡荘八、司馬遼太郎、池波正太郎辺りの作家の作品は、ぼくも昔よく読んでいましたが、それ以外の作家となるとさっぱり分からなかったので、かなり勉強になりました。

と言うわけで、講談社大衆文学館を、全巻読破を目指して少しずつ読んでいこうと思ってます。今では絶版状態でなかなか手に入りづらいものが多いですけども。

さてさて、そんな講談社大衆文学館から今回紹介するのは、みなさんご存知の『姿三四郎』です。

小さい体ながら、必殺技の山嵐を使う柔道家、姿三四郎。何人かの女性から愛されますが、心は柔道一筋。迫り来る強敵たちと戦いながら、三四郎は心身ともに成長していって・・・。

とそんな物語です。現在でも柔道家に”三四郎”というあだ名がつけられたり、もう結構前ですが、セガサターンのCMで、藤岡弘、が「せがた三四郎」というパロディを演じたりもしてましたね。

『姿三四郎』は、はっきり言って面白いですよ。夢中になって読める作品です。空手やボクシング、レスリングなど、柔道以外の相手とも戦っていきます。

そうした異種格闘技戦になっていくのもこの作品の魅力ですし、王道ラブストーリー的な要素もいいですが、何と言っても、この小説の一番の面白さというのは、武道の修業が単に肉体を鍛えるということを意味していないことです。

”強さ”とは一体何でしょうか。向かって来る相手を倒せば、証明できるものでしょうか。敵を倒し続ければ、その先に本当の”強さ”があるのでしょうか。

そんなことはないですよね。倒せば倒すほど、かえって敵は増えてしまいます。本当の”強さ”というのは、誰かと比べて獲得できるものではないんですね。

武道の神髄を究め、揺るがない”強さ”を手に入れること――。それは仏道修行で悟りを得ることにも似た、艱難辛苦の道のりです。

姿三四郎が迷いながらも進んでいく道は、勿論武道の道ではありますが、それは宗教的な精神修行を思わせるものでもありますし、同時に「人はいかに生きていくべきか」という、人生そのものの修業でもあります。

戦いながら、迷いながら、成長していく姿三四郎。命を懸けたその戦いに思わず手に汗を握り、不器用な恋愛にやきもきしてしまう、そんな物語です。

作品のあらすじ


雨上がりのおぼろ月夜の中、姿三四郎は弟子入りするために、心明活殺流柔術指南の門馬三郎の元を訪れました。

するとそこでは、柔術家たちが集まって、ある密談をしていたんです。それは、生意気な矢野正五郎を、いかに懲らしめるかというもの。

矢野正五郎は東京大学出身で、学習院の講師をしているエリートで、柔術に独自の理論を組み合わせた柔道を作り上げました。紘道館という道場を開いています。

柔術家にしてみれば、柔道そのものが気に入りませんから、みんなで寄ってたかって矢野正五郎を闇討ちしてしまおうということになりました。

姿三四郎も何となくついていったんですが、そこで驚くべき光景を目撃します。矢野正五郎が迫り来る敵を、ばったばったとなぎ倒したんですね。

その技の素晴らしさ、そして何よりも矢野正五郎の人柄に打たれて、姿三四郎は紘道館への入門を決めました。入門した姿三四郎はめきめきと腕をあげ、やがて四天王の一人に数えられるまでになります。

ある時、からまれた姿三四郎はケンカをしてしまいました。勿論勝ったんですが、先生である矢野正五郎から、激しく叱られることになります。

「お前は火の中にあっても、水のなかにあっても淡々として死ねるか」
「・・・・・・」
「それが柔道である。即ち、天地自然の真理のままに生き死にする悟りだ。この真理によって死の安心を得、生の生たるを知ることが柔道だ、姿、お前の柔道は柔道ではなかった」
 三四郎は熱した。
「先生、先生、僕は先生の命令とあれば今でも死ねます」
「嘘を言え」
 矢野正五郎の叱咤する声が部屋中に響いて、
「姿、お前は私が寺の池へ飛び込めと言えば即座に飛び込むか、飛び込んで死ねるかっ」
「死ねます」(天の巻、49ページ)


道場はお寺にあるんですね。三四郎はすぐさま池に飛び込ます。ですが、矢野正五郎は何も言ってくれません。

溺れないように、短い杭だけを頼りに、池の中で許しが出るのをじっと待っている三四郎。しかし、矢野正五郎は知らん顔です。

苦しんでいる三四郎を見ていた和尚はからからと笑いました。「陸へ上がるは無念、杭なくば死。三四郎、その杭が悟りよ」(天の巻、55~56ページ)と。

はたして、三四郎はどうなってしまうのでしょうか。

紘道館の柔道の名が上がれば上がるほど、柔術家たちは当然面白くありません。柔術対柔道の争いは徐々に避けられなくなっていきます。

柔術家の中でも、一際腕の立つのが良移心当流の免許皆伝、桧垣源之助です。師の村井半助をもしのぐとされる腕前の持ち主で、「不肖桧垣源之助、天下に柔術を競って敗北あるを知りません」(天の巻、70ページ)と豪語するほどの男。

源之助が想いを寄せているのが、師の娘である乙美です。しかし、蛇のように狡猾な性質を持つ源之助のことを、乙美はどうしても好きになれないんですね。

ある雨の日、乙美の履物の鼻緒が、ぷつんと切れてしまいました。そのままでは歩けないので困っていると、法律学校の書生らしき男が通りかかって、鼻緒をすげてくれました。

それ以来、何度か会う機会があり、無愛想ながらどこか温かみのあるこの法律書生に、乙美は仄かな恋心を抱くようになります。

やがて、乙美の父である村井半助は柔術を代表して、武術大会で紘道館の柔道と戦うことになりました。柔術と柔道で勝った方が、警視庁の武術世話係に決まる、とても大切な試合です。

村井半助の試合の相手は、恐るべき強敵、姿三四郎。乙美は父の身を心配して、神社に何度もお参りに行きます。その帰りに、土手で眠っている例の法律書生と偶然会いました。

乙美は自分の父が柔術をしていて、姿三四郎という人と戦うこと、勝つように祈っていることなどを話します。

すると法律書生は急に「僕はここで失敬します・・・・・・お父さんの武運を心から祈っています」(天の巻、143ページ)と言い、名前も名乗らずに立ち去ってしまったのでした。

乙美はさみしさを感じますが、立ち去った法律書生の気持ちは、それどころではありません。実は法律書生ではなく、彼こそが姿三四郎だったんですね。

師のため、そして柔道の未来のために負けるわけにはいきません。しかしそれは、好意を抱いている乙美の父親を傷つけることに他ならないわけで。

ジレンマを抱えて苦しむ姿三四郎ですが、決戦の日は刻一刻と近付いて来て――。

柔術と柔道、宿命の対決の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。ジレンマとしての強敵は村井半助ですが、柔術界で実力的に最も強敵なのは桧垣源之助です。姿三四郎を倒し、愛する乙美を手にしようと考えている源之助。

三四郎と源之助の戦いは、物語の序盤の大きな読みどころであり、ここで柔術と柔道との対決に一つの大きな決着がつきます。物語全体を通してみると、事実上の決勝戦とも言うべき好カードです。

三四郎と乙美は相思相愛なんですが、色々な事情がありますし、三四郎はまだ修業中の身ということで、全然結ばれません。

三四郎は旅に出て、スパアラ(ボクシング)、唐手(空手)、ラスラ(レスリング)などを身につけた、様々な強敵と戦いをくり広げていくことになります。

その中で出会ったのが、乙美にそっくりの美少女、南小路子爵の娘、高子です。身分や境遇は全然違う乙美と高子。しかし一体何故2人はこんなにも似ているのか?

プライドの高い高子も、三四郎に想いを寄せるようになるのですが、三四郎の心の中には既に乙美がいるので、その愛は決して報われることはありません。

物語の後半は、才能だけなら三四郎をしのぐとさえ言われる柔術家、津久井謙介との宿命の対決が描かれることになります。

かつて三四郎に敗れた男が鍛え上げ、西日本の柔術界を代表している津久井謙介。三四郎との決戦は、日本一を決める戦いでもあります。

そして何より津久井謙介は、三四郎のことを愛する高子を愛していて――。

全3巻とわりと長い小説ですが、物語として面白い小説なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。面白いですよ。三四郎を巡る恋愛模様にも注目です。

明日は、デニス・ルヘイン『シャッター・アイランド』を紹介する予定です。