ポール・オースター『幽霊たち』 | 文学どうでしょう

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ポール・オースター(柴田元幸訳)『幽霊たち』(新潮文庫)を読みました。

ポール・オースターの作品を扱うのは初めてですが、これまでにも何度か触れて来てはいます。

どういう文脈で触れて来ていたかというと、カフカを思わせる”不条理”な作風の持ち主として、そして、ポストモダン文学の書き手としてでした。

文学における”不条理”というのは、カフカの『変身』で、グレーゴール・ザムザがある朝突然虫になってしまったように、また『審判(訴訟)』で、ヨーゼフ・Kが理由も分からず裁判の被告になってしまったように、突然わけの分からない状況に追い込まれた様子が描かれることです。

出来事が起こるにはそれなりの理由が本来あるはずですが、その理由は明らかになりません。分からない部分が多いだけに、物語はより一層寓意性(その状況がもっと他の何かを表していること)を持つことになります。

もう一つのポストモダン文学というのは、既存の文学のフレーム(枠組み)を壊すような作品だと思ってください。

それぞれの作家や作品によっても違いますが、文体をわざとぐちゃぐちゃにしたり、起承転結というストーリーの流れから、あえて逸脱したりします。

たとえばミステリでは、犯人が名探偵によって捕まるのがお約束ですよね。犯人が捕まらなければ、話はおかしな方向に行くわけで、すっきりしない、何だか不思議な感覚の物語になります。

ポストモダン文学は、そうした文学のお約束から外れているだけに斬新さ、独特の面白さがある一方で、時に文章としては読みづらく、内容的に意味不明な感じのものがあったりもします。

不条理”な雰囲気を持ち、既存の文学のフレームを壊していながら、それがとても洗練されていて、普通の読者が読んでも面白いくらいのいいバランスを保っているのが、ポール・オースターなんです。

今回紹介する『幽霊たち』もすっきり納得のいく物語ではないというか、”謎解き”という、読者が想定したオチに向かう話ではないので、ある意味では肩すかしの小説かも知れません。

ただ、これは発想といい、非常に静謐でクリアな文体といい、かなり面白い小説だと思います。

あまり読んだことのないタイプの小説だろうと思うので、興味を持った方にはぜひ読んでもらいたい、おすすめの一冊ですよ。

カフカの小説では、Kというイニシャルの人物がよく登場します。それは作者自身を思わせると同時に、キャラクターとして肉付けされていない、独特の記号性を持ちます。

ちなみに、日本の作家で言うと、倉橋由美子も記号の名前の人物の小説を書いたり、桂子(ある意味ではK子なわけで)という女性が主人公のシリーズを書いたりしています。

今回紹介する『幽霊たち』では、登場人物たちはすべて色の名前を持っています。ブラック、ホワイト、ブラウン、ブルーなどなど。

これもイニシャルと同じで、人間的というよりは記号性が高くなります。

つまり、生活臭がしないというか、その人物がどういう父母の元に生まれ、どういう学校生活を送って来たかという”人生”的なこととは、もはや切り離されている存在なんです。

代替可能な記号的存在の物語なだけに、作品には独特の質感が生まれています。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーがあとを継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。舞台はニューヨーク、時代は現代、この二点は最後まで変わらない。(5ページ)


変装や尾行など、探偵に必要な技術をブラウンから学んだブルーは、毎日事務所へ行き、何かが起こるのを待っています。

やがてホワイトという人物が現れ、ブラックという男の見張りをブルーに依頼します。

ホワイトはブラックの住んでいるアパートの向かいのアパートに、すでに部屋を用意していて、ブルーはそこからブラックを見張り、週に一度調査報告書を送ればいいという、簡単な仕事です。

1947年2月3日。「この仕事が何年もつづくことになるとは夢にも思っていない」(7ページ)ブルーは、早速仕事に取り掛かりました。

向かいのアパートの部屋から覗くブラックの生活は単調そのものです。ほとんどずっと何かを書いているだけです。

ブルーはぼんやりと恋人である未来のミセス・ブルーのことを考えます。この仕事の依頼を受けなかったら、今頃は楽しくデートをしていたはずなので。

夕食を終えたブラックは読書を始めます。双眼鏡で見ると、ソローの『ウォールデン』で、ブルーはそのタイトルをノートに書き留めました。

そうして何日かブルーはブラックの観察を続けますが、ブラックは取り立てて変わったことはしていません。書き物をし、ご飯を食べ、本を読み、時折散歩に出かけるだけです。

ブルーはこの調査は一体何のためかと考え始めます。初めは浮気調査かと思いますが、ブラックが女性と会っている様子はありません。

ブラックは国際的なスパイなのではないか? などとも考えますが、いくら考えた所で答えは出ないまま。調査報告書を送ると、ちゃんとお金が郵送為替で届けられました。

簡単な仕事なだけに、ブルーは次第に精神的に追いつめられていきます。目的も、いつ終わるかも分からない仕事だからです。

引退した師匠のブラウンに自分の心境を綴った手紙を書きますが、的外れの返事しか返って来ませんでした。

やがてブルーはブラックを残したまま外出するようになります。野球を見に行ったりするんですね。

ブラックはといえば、相も変わらずオレンジ・ストリートのアパートでペンを手に持ち紙を前にして机の上にかがみ込んでいる。そのブラックを残して出かけるにあたって、ブルーは何の不安も感じない。彼は百パーセント確信している。自分が帰ってくるときも、事態は何ひとつ変わっていないはずだ、と。(49ページ)


そしてその予想通り、事態は何ひとつ変わりません。やがてブルーもブラックが読んでいたソローの『ウォールデン』を読み始めます。

こうして淡々と日々は過ぎて行き、ブルーはやがてブラックとの接触を試みます。得意の変装術を使って浮浪者になりすましたブルー。

道を通りかかったブラックが、「ねえ君、ウォルト・ホイットマンにそっくりだって言われたことは?」(75ページ)と話しかけて来て、ブラックとブルーは会話をします。

ちなみにホイットマンは『草の葉』で有名な詩人です。ブラックがアメリカの詩人や小説家について話せば話すほど、ブルーは話の筋道をつかめなくなっていきました。

 わかりますよ、とブルーは言うが、実は何もわかっていない。ブラックが一言喋るたびに、どんどんわからなくなってきているのである。
 たとえばホーソーンだ、とブラックは言う。ソローの親友で、おそらくアメリカで最初の本当の作家だよ。この男は大学を卒業してセイレムの母親の家に戻り、自分の部屋に閉じこもって、十二年間そこから出てこなかった。
 そこで何してたんです?
 小説を書いていたのさ。
 それだけ? 書いてただけ?
 書くというのは孤独な作業だ。それは生活をおおいつくしてしまう。ある意味で、作家には自分の人生がないとも言える。そこにいるときでも、本当はそこにいないんだ。
 また幽霊ですね。
 その通り。
 何だか神秘的だ。(81~82ページ)


ブルーは、依頼人のホワイトとブラックとの間に何か繋がりがあるのではないかと思い、調査報告書の送付先である郵便局の私書箱を見張ることにしますが・・・。

とまあそんなお話です。正体不明のブラックを、理由も分からないまま延々見張るだけのブルー。なんともシュールな物語ですが、過去の出来事の回想が混じったりもするので、内容的にさほど読みにくくはないはずです。

ミステリの形式を借りていますが、ミステリではないので、”謎解き”の方向に物語は動いていきません。このどこか”不条理”な状況にこそ面白さのある小説です。

120ページほどの短い作品なので、少しでも興味を持った方は、ぜひ手に取ってみてください。

ポール・オースターの初期の三作品、『ガラスの街(シティ・オブ・グラス)』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』は、「ニューヨーク三部作」と呼ばれていたりもします。

話として繋がってはいないんですが、感覚として似ている部分があるので、ぜひあわせて読んでみてください。

元々は別の翻訳者で『シティ・オブ・グラス』という翻訳があったんですが、少し前に柴田元幸が『ガラスの街』というタイトルで新訳を出しました。

このブログでも、「ニューヨーク三部作」を少しずつ取り上げていきたいと思ってはいますので、お楽しみに。

おすすめの関連作品


リンクとして、登場人物が色の名前を持つ作品を、2つ紹介します。

まず1つ目は、絵本ですが、レオ・レオニの『あおくんときいろちゃん』。

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レオ・レオニは小さな魚が集まって巨大な魚に立ち向かう『スイミー』で有名な絵本作家ですが、非常にシュールな作風の持ち主で、子供よりも大人の方が楽しめたりするくらいです。

『あおくんときいろちゃん』は、そのタイトルの通り、あおくんときいろちゃんが出て来るんですが、一緒に遊んでいる内に、混ざり合ってみどりちゃんになってしまうんですね。

あおくんの家に行っても、きいろちゃんの家にいっても、うちの子じゃないと言われてしまって・・・。

色の変化が楽しい絵本なんですが、いくらでも深読み出来るお話でもありますよね。

何かのきっかけで自分が周りに認めてもらえなくなったさみしさ、悲しさもこの絵本には描かれています。突然姿が変わってしまうという点では、カフカの『変身』と共通した部分があります。

では続きまして。もう1つは映画で、クエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』。

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『パルプ・フィクション』や『キル・ビル』で有名な監督のデビュー作ですが、強盗団を描いた物語です。その強盗団はホワイトやピンクなど、色の名前のコードネームで呼び合っています。

いかに強盗をするかの物語ではなく、強盗が失敗した所から物語は始まっていて、どうやらメンバーの中に裏切り者がいるらしいんですね。疑心暗鬼になるメンバーたち。はたして・・・。

暴力性の強い作風の映画監督なので、苦手な人もいるかも知れませんが、時系列がずれていたりなど、構成的にも面白いので、機会があればぜひ観てみてください。

ちなみにですが、タランティーノ監督の作品でぼくが一番好きなのは、世間的にはあまり評価されていない『ジャッキー・ブラウン』だったりします。

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エルモア・レナードの原作が好きということもありますけども、スタイリッシュな犯罪映画で面白いです。特にロバート・デ・ニーロとブリジッド・フォンダのやり取りが最高ですよ!

そちらも機会があればぜひぜひ。

明日は、ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』を紹介する予定です。