前回は『大衆社会の処方箋』第Ⅱ部より、大衆は社会的ジレンマ状況下で「裏切り」を選択し、非協力的に振る舞い、他者との協力的な議論を「破壊」し、政府・行政に「反逆」するということが証明されたことを紹介しました。
今回は第Ⅲ部「大衆の起源」についての感想なのですが、
いやー、読んでいて結構難しかったです(^_^;)
つまり大衆はどういった経緯で誕生したのかというもののルーツを過去の著名な哲学者の言説をもとに紐解いていくということが成されていたのですが、天才の考えることは凡人にはよく分からないといったところです。でも、凡人なりに頑張って読みました!
例によって簡単にまとめますが、
①死にまつわる経験・伝聞が多い程、「本来的時間性」(byハイデガー)を獲得できる
②「本来的時間性」があれば、「運命愛」(byニーチェ)が精神に宿る
③「運命愛」がなければ、社会の中の様々な共同体から「疎外」(byヘーゲル)されやすい
④共同体からの「人間疎外」が「大衆性」(byオルテガ)を引き起こす
ということのようです。
「本来的時間性」とはその人物が、自らの死を明確かつ先駆的に覚悟する能力、「運命愛」とは自らの人生のすべてを肯定的に受け入れること、「人間疎外」とは共同体との一体感を失うことのようです。「大衆性」は前回までのエントリーを参照。
このルートが大衆化の原因のうちの一つであるという話でした。(それぞれの関連は統計学的に有意であることが本書では述べられておりました。)
つまり、どういうことか?
死にまつわる経験を多くするほど、自らの死を覚悟することができ、自分の人生を受け容れ、共同体への帰属意識を強めることで、大衆化しにくいという理解でよいのかな?
死にまつわる経験を多くしろと言われても難しい気もしますが、自らの死を覚悟して物事を考えるというのは意識的にできたりしないでしょうかね。本書によれば「いま・ここ」しか考えないと利己的になりやすいとのこと。死を覚悟することで公(共同体)のために生きることができ、ひいてはそれが回り回って自分の利益になるのかもしれませんね。
まぁ、「どうせ死ぬなら好きに生きる」という考え方もあるかもしれませんが、もしかするとこういう考え方の方は本当に自分が死ぬとははっきりとイメージできていないのかもしれません。
しかし、自分が死ぬ事とかあんまりはっきり考えたことはありませんでしたねぇ(;^_^A。10年後自分がどんな人生を送っているかもよく分かりませんが、最終的にはいつか(今日の可能性も含め)死ぬということを頭に入れておくべきなのかもしれません。その覚悟があって初めて善く生きるための動機へとつながるのかもしれません。
「かもしれません」ばかり連発して申し訳ないm(_ _ )m
次回は最後の第Ⅳ部「大衆社会の処方箋」です。
やっとここまで読んだぞ。あと一歩。次がメインディッシュだ!!
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