日本の高度成長期 | 秋山のブログ

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1955年頃、日本は戦前の状態まで回復し、『六○年代に入ると、日本は高度成長期を迎えた』。その後10年以上、10%を超える成長(実質)が続いた。すなわち年に10%以上生産量が増大したのである。この頃の人口増加率は1~2%程度なので、それは一人当たりの生産量が大きく増えていたことになる。

 

一人当たりの生産量が増えるために必要な物は、知識や技能、設備などである。国が整備する幹線道路などのインフラももちろん生産性を増大させる。ここで勘違いしてはいけないことは、これらもまた人の労働によって作られるものであって、お金はうまく誘導するための道具に過ぎないことだ。このためのお金を得るために、外国から投資を呼びこむとか、輸出超過にして外貨を稼ぐなどということは、間違った方針である。実際この時期の日本は、日銀が無から生み出したお金を銀行が企業に融資することによってお金を供給していた。途上国にとって外国の直接投資がありがたいのは、別の話(技術が流入するから)である。

 

成長するために必要なことは他にもある。需要が創出されることと、需要飽和に達した産業から次の産業に速やかに人が移動することだ。

生産能力があっても、需要がなければ生産は行なわれないだろう。需要はすなわち、消費者の収入の増加によって増加する。自分の意志のみによって、好きなようにモノを買うかどうか決定できる人間は、現在の日本には1割も存在しない(現実は主流派経済学の想定とは大きく異る)。収入の変化の影響は大きいのだ。収入が増加したから、新たな商品を購入することも可能になり、新たな仕事に移った人間も収入を得ることができるようになる。(生産能力の上昇分が資本家等により搾取されたならば、生産性の向上はおこらない

実際、高度成長期において賃金の上昇率は高かった。この賃金の上昇によって、物価の上昇もおこったが、一人あたりの買えるモノの量も増えた。国民がより多く生産できるようになって、より多くの収入を得るようになり、より多くの消費が可能になる。これこそが成長であって、より多く生産して、多くのモノを外国に売ったが、その利益は資本家の金庫(日本では企業の内部留保)に収められ、国民は消費を増やせないという話であれば、GDPがどれだけ拡大しても意味が無いだろう。輸出企業が利益を出してGDPを上げるために、消費税で国民ができる消費を減らすなどというのは、もちろん愚の骨頂だ。

高度成長期に田舎から若い金の卵たちが上京し、よい労働力となったのは、速やかな人の移動の例であろう。ただし、ここにも誤解しそうなポイントがあるので指摘しておきたい。田舎からの労働力の供給が行なわれたのは、日本の人口がどんどん増えていったからではない。労働者が増加しても、その分消費者も増えるのであるから、人口増加のみによって労働者が増えるわけではない。労働者を供給できたのは、田舎での生産性も向上し、余剰の人員ができたからである(1970年には米の生産調整も開始されている)。逆に言えば、現在の人口減少する日本においても、生産能力の拡大は容易に可能であるから、適正な賃金が支払われるような状況に戻れば、現代でも成長は全く難しいことではない。