流動性の意義 | 秋山のブログ

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経済で過剰に評価されているものに流動性がある(流動性選好説、流動性の罠の問題に関しては以前も書いた)。流動性に貢献するというとあたかもすごくいいことをしているように聞こえて、貢献以上のデメリットを容認してしまうといったことが散見される。
資産を損失なく貨幣に換える容易さはより容易であることが望ましいのは当然である。しかし本来は、それを達成するために必要とされるコストが、達成したことによるコストを上回るかどうかが重要なはずだろう。また、流動性の貢献が存在を肯定する理由に使われている投機家の存在が、本当に貢献しているのかという問題もある。

ちょっと参考になるページを二つあげておく。
一つは日銀の「国債市場の流動性向上等について」、もう一つは「マネーゲームに参加する投機家の存在は害悪?」という記事である。

前者から今回の趣旨に合った部分を抜き出して要約して書く。
〇流動性の高い市場とは、大口の取引を小さな価格変動で速やかに執行できる市場
〇流動性の高い市場の特徴
  投資家にとっては取引コストが抑制され、資金調達側は中長期的な調達コストが抑制される。
  多様性の増大により取引が一方向に流れず安定。
  価格のベンチマークとしての機能が高い。
〇国債の現状として、満期保有が多いため、市場における国債は不足している。
〇海外投資家等は流動性向上を求めている。

間違いを指摘すると、多様性で安定するという話や、価格のベンチマークという話は、先物の愚等でも書いたことであるが、参加者の判断を完全にランダムな確率に則るものであるという前提のもとの話であり、全く正しくない。数がいて、競争があれば自然に適正になるという単なる信仰だろう。むしろ満期保有の安定した需要、他に逃げることのない状況こそが、調達コストを抑え、且つスムーズな調達に繋がる。海外投資家が流動性向上を求めるのは、いつでも逃げられる状況を作って、その不安定さゆえ(不安定な金融商品の高い利率を思い浮かべるとよく分る)の高い金利等による利益、もしくは逃げることをにおわせて得る利益を期待しているのだ。
要するに、流動性向上を求めるということは、安定して安くなると主張しながら、不安定にして高い利益を期待するということだ。そして現実に、不安定且つ高い分け前を投機筋に献上することになる。

さて後者を検討しよう。同じく抽出、要約する。
〇市場は実需筋と投機筋で支えている。
〇為替市場を例にとれば、実需のみだと売りたい人は買いたい人が現れるまで待たなくてはいけない。
〇経済規模の小さな国や、経常収支の均衡する国なら国家が一時的に相手を務めればいいが、日本のような大幅な黒字国だと売りたい人が行列をつくることになる。そうするとどれだけ安くても売った物勝ちという恐ろしい事態になる。
〇投機家は、売りたい人が多いときはそれを安く買い、買いたい人が多いときはそれを高く売って利ざやを稼ぐが、多数の投機家が参加することで競争がおこり、価格の差は小さくなる。実需の偏りの緩衝材となり、過度の変動を抑えるこの作用こそ流動性の提供である。

たいへんもっともらしいが、以前から私のページを読まれている方は、容易に誤りが分るだろう。まず、市場はここで期待されているような効果を発揮できない(投機筋の莫大な利益を見ても違うことは容易に分るだろう)。実需と乖離した価格変動によって、実需が上前をはねられているというのが現実だ。
日本のような大きな国でも、国が一時的な相手を務められないわけではない。ただし、どのような比率で交換するかが大きな問題になるだろう。そこで大多数の意見によってこの価格になっているという話は、都合がよい(様々な介入によって、大国レベルであれば価格に干渉することも可能でもある)。市場によって価格が決まることは、貿易にとっては望ましい面もある。今さら固定相場制もないだろう。しかしだからと言って、リバレッジによって実需の何倍にも肥大化して、投機筋の思惑で価格が支配されている状況というのは、好ましくないだろう。
どのようなシステムを作ればよいのか、今はまだちょっと決定打が出せない。今後の宿題としておこうと思う。

ということで、流動性の提供という言葉には、以上のようなカラクリがある。さも全体に貢献しているかのように使われる場合のほとんどは、単なる詭弁である。