こんにちは。千葉です。

昨日は本当に烈しい日光にやられてしまい、午後は体調不良気味でありました。都市部のアスファルトの照り返し、もう直接的暴力ですよ、これ。


それはさておき。ちょっとだけ時事のお話を。


・総理は神輿だ、なんていうけれど


えっと、福田康夫氏が前任者の「体調不良」による辞任のあとを受けて有力な総理大臣候補として登場したとき、千葉は「そうか、この人がいましたね」と思ったものです。小泉モーニング娘。内閣、安倍晋三愛国内閣(今考えた適当なネーミングです)の後に、「福田調整型合理主義内閣」が来るのか、それはありかなって。と同時に、「官房長官時代みたいにキレないといいけれど」とも思いました。よく言えば鋭い切り返し、悪くとれば悪意ある反論ならぬ反撃が目立つ人でしたから。


ですが、今回の辞任はそっちが理由ではなかったようですね。前任者は「体調」「民主党の非協力的姿勢」をあげ、現総理は「民主党の~」「ねじれ国会の非効率」をあげたわけですが。


こういうとき、言及されない問題点が気になってしまうのはいけないことでしょうか。


前任者が、辞任表明の直前に「テロ特措法の成立に進退をかける、職責にしがみつかない(←たぶん誤った表現)」と言っていたことはご記憶でしょうか。タイミングを考えると、この件が今年はなかった、とは言いにくいような。福田氏、アメリカ追従に重きを置かないタイプだったようだし。そうそう、年次改革要望書とかいつ届くものなんでしょうね、とか。


週刊誌はこぞって言及している「やりすぎちゃった」某政党とか、派閥横断的に担ぎ出しておいていざとなったら支援どころか批判しない自分の所属政党とか、文字通り「約束が違う」とか思っちゃったのかな、なんて。


一応申し上げますが、千葉は前任者も今回の辞任も、全く評価できません、というか、意味がわかりません。難局を切り抜けられないのは難局を作り出している野党が悪い、あいつらが協力しないから心機一転を図るのだ、って二人連続で言ってますからね。それって政治家の発言としてどうでしょう、難局を打開することは自分の任ではない、ということだと思うのですが。ちょっとね、二世がどうとかの前に、政治家としての資質の問題を感じます(偉そうだな)。


・一私党の党首にすぎないのに


政局好きな「評論家」の中には、この辞任に一定の評価を与える人がいます。いわく、「民主党の党首選びがかすんだ」「国民的議論ができる自民党をアピールできる」とか言って。


でもすみません、自民党員しか投票できない私党の党首選びですよね、自民党総裁選って。以下に事実上の総理を選ぶ選挙とは言え、投票できるのは有権者のうちわずか2%にも満たない党員だけ、その上国会議員票がほとんどを占める(その国会議員票は基本的に派閥の意向で動くことになる)。こんな選挙で、如何に議論を展開したとして、いったい何を反映できると仰るのかしら?何も直接指名制の大統領が良い、とか言うつもりはないのですが、ちょっとね。


・大連立は何をもたらすと思ったか


小澤壱郎斯く考えたり、の妄想。

現在、自身が率いる政党は、あまりにも経験が不足している。自らが与党である、という経験が。


実際の政治は官僚のもたらす情報なしには動かせないのに、野党議員である自分たちが政策立案していくことで政治を変えていける、なんて本気で言ってしまうところがある。実情を知らないにもほどがある。


そこに与党からの連立のお誘いだ、一定以上の発言力、影響力の確保と、官僚を使う立場の経験を積ませる絶好の機会か、なんと言っても本来の責任は向こうにある、こちらとしては万が一起きてしまった失政についてさえ一定の逃げ道を確保しつつ自らに不足する経験を積むことができるだろう。


本意ではないしこれで達せられるのは目的のほんの一部にすぎない、さらにこれが危険な選択であることはわかっている、だが現状を打破する一歩めとしてはあり、ではないか?


な~んて、昨年の大連立騒ぎのときに妄想したことを思い出しました。彼が与党経験豊富であることからの、あくまでも妄想です。


ちょうどまた「大問題'08 」を読み返していたところにこの変事、ついちょっと時事ネタに走ってみた次第。ではまた。


・・・なお、昨年のドタバタについてはこう書いてました、私。 さすがに一年ではあまり見解が変わってませんね、あはははは。