文仁進さんの不倫の噂は本当か?(3) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■限界だった結婚生活を予見する仁進さんの説教

<2011年11月ごろの信者向け全米中継の仁進さんのビデオ説教>

『祝福された人達の中には、祝福に値しなかった人達が多くいます。永続的結婚関係に値しなかった人達です。言い換えれば、祝福は、配偶者が信頼できて、忠誠心があり、同じ目標に向かっているということを前提としています。もし、片方が忠誠心があり助けているのに、もう片方が何でも自分のしたいことをしているとしたなら、祝福は永遠であるとは言えません。多くの場合、その人が変わる唯一つの道は、配偶者が「もうたくさんだ。祝福を重んじ、私達の関係を重んじるのなら、あなたは変わらなければならない。そうでなければ、私は出て行く。」という勇気を持つ事なのです。』

祝福はどんな理由があろうと壊してはいけないのが前提です。
ですから性格が合わないなどという、その程度の理由では「祝福を破棄」することは認めてもらえないでしょう。

しかし仁進さんが信者向けの説教で、このように語った背景には夫の朴珍成氏との価値観の違いによる心の距離がもうどんなに努力しても縮まることがないと、自分自身に言い聞かせていた説教だったのでしょう。
そして説教内容にもあるように、もし祝福だったとしても夫婦関係が修復できないなら『「私は出て行く」という勇気を持つべき』とまで言い切っています。

大概のみ言葉は「身体障害者でも感謝しろ」「殴られても感謝しろ」「祝福を壊せばサタンが讒訴し、地獄に行く」というものですから、仁進さんがこのようなことを言うとは意外だったのですが、これは誰に言っているのではなく自分自身に言っていたのでしょう。
たぶんもう仁進さんの心の中ではもう覚悟ができていたのかも知れません。

もう2011年の年末ごろには姿を見せなくなったといいますから、思いつめていたのでしょうか。


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■祝福を受けた夫の珍成氏と生理的に合わなかった嫌悪感と珍成氏の弟との危険な恋

孝進氏の元妻の洪蘭淑さんは著書の中でこのように書いています。

仁進は「お父様」が自分を珍成(朴普煕の息子)とマッチングしたことにかんかんになっていた。彼女にとって、珍成は我慢のならない青年だった。仁進には大勢のボーイフレンドがいた。祝福は彼女の眼中にはなかった。彼女は、朴家の人間に一番目立つ肉体的特長から珍成を「魚の眼」と呼んだ。
実は、仁進は年下の青年にのぼせ上がっていた。その前年、ワシントンDCで統一教会の会議に出席したとき、仁進と私(洪蘭淑)は会場のホテルで同室になった。ある晩遅く、私が眠っていると思った彼女は、バージニアのこの青年に電話をかけた。彼女はそっとささやき、私の知る彼女には似つかわしくない少女のような笑い声を立てた。私は彼女が青年とべたべたとふざけ合い、『「祝福子女」はキスはしていけないと考えられているけれど、私たちは例外よ』と言っているのを聞いた。
それは危険な恋だった。そのとき、ふたりのどちらも、自分たちの父親が同一人物だとは知らなかった。少年は文鮮明の非嫡出子(婚外子)だった。私は一年前に母からそう告げられていたが、その夜の話から、だれもまだ、彼らに事実を教えていないことは明らかだった。少年が文師と教会員との情事から生まれたことは「36家庭」のあいだでは公然の秘密だった。母は私に『それはロマンチックな関係ではなかった』と説明した。それは神に定められた「摂理」の結合だが、俗世間には理解できない結合だ。あらゆる誤解をさけるために少年は生まれたときに、文鮮明のもっとも信頼する顧問のひとりの家庭に預けられ、その息子として育てられた。本当の母親はバージニアの彼の近くに住み、子供のころは、家族の友人役を演じた。文師は父親であることを公には認めてはいないが、少年本人と文家の第二世代には、1980年代末に真実が告げられた。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P177)


そして自身の証でも夫の珍成氏と外見と価値観が合わなかったことを述べています。

『私が感じたことは、お父様が相対者を選ぶとき、外見はあまり気にしないということです。例えば、お父様は皆さんの目が後頭部についていても、それはあまり気にしないというのです。最も重要だとお考えになるのは、皆さんの心情の基準なのです。
 私の夫は孝進兄さんの一番親しい友達でしたが、祝福を受けるとき、がりがりにやせ、ハンサムでもなく、私の相対者として好ましくない人だと思ったのです。しかし、時がたってみると、心の奥深くに、実に高貴なものがあったということを感じました。
 皆さんはまだ祝福を受けていませんが、祝福を受けるとき期待することは、完全であり、すべてのものが備えられた人であることでしょう。皆さんが願うこと、また私が願ったことは、とても美しく磨かれた十六カラットのダイヤモンドのようなものです。
 私が、十一年間の結婚生活を通して感じたことが何かといえば、真のご父母様が本当に美しい十六カラットのダイヤモンドを下さったということです。しかし、私自身が足らなくて、それが私の手の中にあるのに、感じることができなかったのです。
 私が真実に皆さんに願うことは、皆さんが祝福を受けるとき、外的に見えるものだけにとらわれて失望することは、絶対だめだということです。私が感じたことは、夫が、まだ研磨されていないダイヤモンドとして私に与えられたこと自体が、まさに祝福だったということです。
 神様が願われたことは、研磨されていないダイヤモンドを私が研磨して美しくすることであり、夫が、妻である私を美しいダイヤモンドに研磨することなのです。真の愛の授受とは、そのようなことです。

 皆さんが百パーセント完全なものを受け、皆さんの夫も、皆さんの完全な姿を前にしたら、それはどれほど退屈な人生になるでしょうか。なぜなら、そのときから下り坂であって、それ以上上がることができないからです。
 これが、この世の中で結婚する人々の最も大きな問題です。彼らは自分たちの愛が、最も高い境地に達したときに結婚するのです。しかし、結婚してから、相手の足らない点や問題点を発見するようになり、愛を維持することができず、下り坂を転がり落ちていくのです。
 反対に、私たちは最も下から始めます。私たちは自分の相対者をまったく知ることができず、関係もまったくなかった人です。ですから、第一印象がよくないときも多くあります。
 ですから、私は夫といつも「これからは、上に上がるしかない。ほかのところには行くことができない」と話しています。そして、私たちが争ったり、好んだりするのは、すべてが愛の一つの表現だということを感じます。何でも変わらずに二十四時間続けば、それがいくら貴いものであっても、その価値を失うことになり、退屈になるのです。
 皆さんの年ごろにおいて、最も悩むのは異性関係です。皆さんが修練会に来て、周囲を見回しながら、「あの人が私の相対者になるだろうか、この人が私の相対者になるだろうか」と、いつも考えているということも知っています。
 それが悪いというのではありません。それはとても自然なことです。しかし、一つ肝に銘じるべきことは、愛は予測外であるということです。神様も予想できないのです。皆さん自身が予想する人は、絶対に迎えることはありません。
 皆さんは初め、「この人は私に合わない人だ」と考えるかもしれませんが、皆さんが、お父様が決めてくださった相対者に対して精誠を尽くせば、いつかは「この人こそ私に必要な理想的な相対者だ」ということを感じるようになるでしょう。これが、まさに私の経験談です。
 私はアメリカ人と祝福を受けることを願っていました。お父様を一番迫害した国の代表が、私の相対者になることを願っていたのです。
 しかし、私はそれが不可能だということを知っていました。なぜなら、二世の中に、祝福を受けられる年齢に達したアメリカ人がいなかったからです。しかし、私は、私が恨んだアメリカを代表する人を愛することに挑戦したかったのです。
 初めて私の夫と会った時、その方は私が考えていたアメリカ人でもなく、とても東洋的な人でした。そのことにより、私が持っていたその時までの希望は、完全に無に帰してしまい、とても心痛く感じました。
 初めは、その方が私の夫として、どのようにしなければならないのか分からなかったようです。最初は、私がその方を怖がらせ、その方も私が怖がるようにしました。
 美しい結婚生活が始まるようになったとき、その方が私に「あなたは女性であり対象なので、従順の道を歩まなければならない」ということを強調しつづけました。私の夫にとっては、朴総裁とその夫人が見本だったのです。朴総裁の夫人は、ほとんど表に現れない方だったし、朴総裁の手助けをする人でした。
 私たちが結婚した時、お父様がされたお話は、「お前は仁進の懐の中で、長い間とどまらなければならない」ということでした。しかし、その方にそれは難しいことでした。女性に屈服しなければならず、従順にしなければならない道を、男性としてどうして行けるでしょうか。
 ですから、私たちがある問題について討論したり、争うときは、私はいつもボクシング・グローブをはめ、対戦する準備をしました。
そのような過程を通して、結果的に私たちは、互いに尊敬し認め合い、素晴らしい結婚生活を送るようになったのです。私たちは、何をするにも互いを必要とする立場にまでなりました。
 皆さん、考えてみてください。この世の中で僕になりたがる人は誰もいません。しかし、もしそれが人のためになり、互いに利益になるなら、自発的にすることもできるのです。
 私たちは、夫は私の前に僕のような立場だと考え、私もその方の前では僕のような立場だと思って、互いに為に生きる心で暮らしています。
 そのような極と極を一つにすることによって、調和をなすようにするということが、神様の知恵であったということを知りました。結婚の成功の秘訣は、男性と女性の関係です。

(1994年8月7日 アメリカ世界宣教本部で行われた祝福二世の修練会での文仁進の説教)

結婚11年目の説教ですが、かなり無理しているように思えます。
「夫婦はお互いが僕になるがお互いの利益」だとしたらとても窮屈な結婚生活ではなかったのではないでしょうか。
仁進さんは白馬の王子のように自分に尽くしてくれる男性を理想相対として思い描いていましたが、祝福で結婚した夫の朴珍成氏は韓国人男性の根底にある朝鮮朱子学(儒教)の思想を持っていたので、「女必従夫」(儒教思想で「妻は必ず、夫に従うべきである」という意味)考えの持ち主だったわけです。

これは朴珍成氏に限らず韓国の男性はこの「女必従夫」という男尊女卑の思考でものを考える人が多いのです。韓国の前の李氏朝鮮が極端にそうでした。

余談ですが、私の韓国人の夫の家では、夫が小さいころ、まだ祖母が生きているときは、夫の母親や妹は決して男子と食事を取ることはなかったそうです。それが祖母が亡くなるまで続いたそうです。
家の男性は部屋で食事をしましたが、女性(母・妹)は台所で別々に食べていました。村の人たちも同じように男女が別々で食事をしてたので、その当時は気にしなかったようですが、今思うと「女性たちはどれだけ悔しく惨めだったろうね」と回想していました。

こういう李氏朝鮮から受け継いできた韓国の伝統的な忍苦の女性像「女必従夫」の考え方で、文教祖は自分のやっていることに対して決して反抗せず忍耐しなさい、と絶対服従させたのです。

それは自分が不倫をしても黙って耐えなさいという内容です。しかし、最初の妻は文教祖の複雑な女性関係(不倫)に怒り、離婚を要求したのです。

『聖進の母親は、「あなたとは一緒には住めないから離婚してくれ」と言うのです。だから私がそっと耳打ちをして、こう言って聞かせたのです。「『女必従夫』(妻は必ず夫に従うべきである)という東洋思想もあるから、嫌であっても一度考えてみて、三年だけ待ってみなさい。そうすれば、私が離婚しようと言っても逃げていくようになるから」と、そのようにうまく説き伏せて送り出したのに、私が出るや否や、自分の母親と兄たちを連れてきて、脅迫し、「判を押せ」と言うのです。』
(真の御父母様の生涯路程3)

文教祖の不倫やりたい放題に対して目をつぶれと言ったのです。この時すでに、まだ離婚成立前ですが、大学生の金明煕さんを妊娠させ姦通罪を逃れるため、身重の金明煕さんを日本へ密航までさせています。



■アメリカ人と祝福を受けたかった仁進さん

二世への説教の中で「私はアメリカ人と祝福を受けることを願っていた」「祝福の相手がアメリカ人ではなく典型的な東洋人で心痛かった(がっかりした)」と述べているように、幼いころからアメリカで育った仁進さんにとっては、東洋的な、特に韓国の「女必従夫」という考え方には、相当苦しんだようです。

『何故、女だけが我慢しなきゃいけないの?』

そして理解し、癒してくれる人を心の中で探すようになったのかも知れません。原理では絶対に認められることではないとはわかっていながらも・・・・。

そして、この生活を捨てる覚悟もできないままに時間だけが過ぎました。



■不倫相手のアリステア・ファラント氏は70年代からの信者?

1990年代の孝進氏のアルバム製作にも携わっていたアリステア・ファラント氏ですが、アメリカのヤンキー大会の感想を教会の刊行誌の中に彼のコメントがありました。
同姓同名なので多分本人だろうと思われます。
そうすると70年代からの信者ということになります。結婚はされているようですが、祝福家庭かは私にはわかりません。

1990年代の孝進氏のアルバムに仁進さんも歌を収録しています。そのときアリステア・ファラント氏がキーボード担当として参加していたそうなので、もしかしたら付き合いは、最近ではなくもっと昔から、長い間、秘密の関係だったのかもしれません。(これは単に私の想像ですが)

<アリステア・ファラント氏が製作に参加した孝進氏のアルバム>

Vol.5 愛約(1991年)
Vol.7 天前楽園(1991年)
Vol.9 Bag'em And Tag'em(1991年)
Vol.11 My Pledge(1992年)
Vol.13 Ballad Album(1993年)
Vol.15 AXE 6(1993年)
Vol.16 The Pit(1994年)


※ほとんどがキーボード担当