清平修練苑の金孝南(訓母様)・金在奉夫妻が公金としての献金着服?(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「清平修練苑の金孝南(訓母様)・金在奉夫妻が公金としての献金着服?(1)」の続きです。

■金孝南訓母様は1975年2月8日1800双の祝福時、頭が禿げている金在奉氏を気に入らなかったが、何とか受け入れた。しかし家庭を持ったが夫は1983年に事業に失敗し極貧生活を92年まで続けたが、その後、清平での霊的役事の話がもたらされ、信者の献金でいまやリゾート会社の会長に・・・。


<金孝南訓母様の略歴>
1952年3月13日 金孝南女史、韓国・全羅南道潭陽郡大田面台木里で出生
1971年7月10日 文教祖が清平修錬苑 設立
1975年2月8日 金在奉氏と1800双祝福式参加
1992年~1995年 金孝南女史、霊的役事の準備期間(さまざまな知識の習得)
1995年1月18日 洪順愛大母様が憑依した金孝南訓母様の霊的恩賜の役事開始
1995年8月23日 韓承雲・洪順愛大母様霊界祝福(ソウル漢南国際研修院)
1995年8月23日 金孝南訓母様の長男・金賢辰氏(1977年生)を、韓承運-洪順愛大母様家庭の養子として霊的に入籍(養子名:韓賢秀)
1995年8月23日 金孝南訓母様の長男・金賢辰氏を祝福(文教祖は日本の777家庭の娘と祝福させようと組んだが、金孝南訓母様が日本人と結婚させるのを拒み、韓国人と祝福させたがその後離婚したという)
1995年以降 金孝南訓母様・金在奉夫妻が清平修錬苑の利権独占
2000年9月25日 文鮮明教祖から金孝南女史に「訓母様」の称号付与
2002年10月11日 金在奉氏名義で振興レジャー開発(株)設立(信用不良者だったので他人名義で登録という話もある)
2011年現在 清平での信者の献金とリゾート会社経営で優雅に暮らす





■金孝南訓母様家庭の実態(ある信者の告白)

韓国人のUさんと言う元幹部らしい人が書き込んだ内容をご紹介します。

清平の大母様と言われる女(金孝南)の娘の結婚式は超豪華なものであった。
ロッテ・ホテル、クリスタルボリュームで盛大に行うなんて・・・・、
日本の貧しい食口達を絞り絞って清平に豪華な宮殿を建てて自分の財産を増やし、今度は自分の娘の結婚式まで超豪華にするなんて・・・・、
相手の新郎はKAIST(韓国科学技術院)を卒業して現役陸軍大尉であるエリート将校だ。
本当に信じられないことである。
その娘・・・・以前信じられないスキャンダルがあった。
知ってる人は知ってるけど皆言わないのよ。
その恋愛相手の男は東馬山教会の6000家庭の長老の息子だった。
二人の深くて深いロマンス、いや恋愛はその線を著しく越えたそうだ。
その汚くて淫らな恋愛話をここでこれ以上言及したくない。
こんな話を聞いて戸惑いをどうやって表現したら良いのだろう。
どうして大母様は自分の娘の悪霊さえ掃うことが出来ないのに、天の役事をするんだと叫びながら(善良な)人たちを騙し続けるんだろうか。
だって娘だけか・・・

自分の長男も離婚して今は慰謝料問題で訴訟をしていると言っているけれども、もう終わったのだろうか。
婚姻破綻の責任はその息子だと聞いている。
まぁ世の中で離婚と言うことは、〈その原因〉が当然のことで、殆どが浮気、暴力、性格の違い、経済的理由等だけれども、その財閥に等しい家で経済的理由だとは思われない・・・・

もう一人の息子は同じ 1800家庭の2世の娘と祝福を受けたが、その女性を捨ててしまったのだ。
その理由は本当にとんでもないことである。
その訳は確かである。
なに祝福が結婚のリハーサルなのか。
天が怖くないのかと怒鳴る大母様、金孝南(ヒョナム)がどうして自分の子供達の悪行を糺すことが出来ないのか・・・
そうなのにどうやって人達の悪霊を払ってあげて霊界を行ったり来たりしてると言えるのか。
金ヒョナムよ!!!
天が怖くないのか。

1円すらなかった家庭だったのに今はゴルフ場二つビル.鹿農場・・・・
とんでもない財産を増やしたその資金出処を国税庁はしっかり目を光らせなければならないのである。
またどうして統一協会の財団だけは一度も調べようとしないのか・・・
彼女が大母様だと言いながら、清平を無所不不威の権力を行使し始めながら彼女の全盛時代が渡来したのだ・・・。
彼女の夫、金さんは一和代理店をしてたけど滅びて逃げ回した人物だったのに、今はゴルフ場を含めた多くの会社の会長様だそうだ。
それも信用不良者の立場だったので他人名義で事業をした彼なのに今はとんでもない富を誇る会長様だそうだ。

彼達の姿を見るととても汚い気がしてしょうがない。
あー怒りで身が震える・・・・。
そしてメシアなら当然こんな事を制止しなければならないんのだが・・・・。
こんな事実を知りながら何も言えない牧会者達、役員たちよ・・・。
あなたたちは本当に卑怯な人間たちだ。
初創期のその気迫はどこに行っちゃったのか。
(「コリアンインフォバンク」2011年3月25日記事)
http://sakarepo.blog39.fc2.com/blog-entry-1.html





■金孝南訓母様の夫の事業が失敗して無一文になったのに・・・・

『ところが、私の夫が事業に失敗し、同じ年の八三年度には、私の家は無一文のようになりました。非常に大きな損害で、言うに言えないほどの試練に遭遇したのです。その後、試練と涙の中で暮らし続けました。人々が考えれば、あれほどまでになり得るのかというくらいに、私の家庭は貧しくなったのです。私は貧しさが伴うたびごとに、精誠を尽くし、天の前に感謝しました。なぜなら、経済的に貧しくても、子女が健康で、夫婦も健康であり、また信仰を失っていくということもないので、いつも感謝する心が先立っていたからです。そのようなことが九二年度まで続いたのです。』
(1996年発行「清平特別修練会の手引き」 1995年金孝南訓母様の証)


『私の夫は、一九六二年に入教して、大変な模範生として、そのときまで信仰生活を一所懸命にしっかりと務めてきた人でした。ところが私は、ほかの宗教では模範的であり、優秀であったかもしれませんが、統一教会では、ただ聖日をしっかり守るだけの人だったのです。そのような私に、夫の頭がはげているということが、突然、試練としてやってきたのです。(中略)
しかし、そしてそれと同時に、私の家庭は経済的にとても難しい環境の中に置かれるようになりました。私の夫の事業も、すっかりだめになりました。私は生活するうえで、ために生きるほうでしたが、私の家庭が難しくなると、人々は集まってくるのではなく、顔を背けるようになりました。このように、私が天が下さったみ言を不信すると、私の家庭が困難な状況に陥り、また下さったみ言を不信すれば、また困難に陥ってと、そのようにしながら、九二年になるまでは継続して、とてもたくさんの曲折がありました。

(1997年6月1日 清平特別修錬会200回での金孝南訓母様の証)


2009年10月11日金孝南訓母様所有のパインリッジリゾート創立7周年時の写真
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